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日光東照宮

所在地:栃木県日光市。

徳川家康を神として奉った場所が今は世界遺産。

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今も関東の鎮護の役割を担っているのでしょうか…家康公の墓所です。


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 元和二(1616)年4月17日、徳川家康は死去しました。遺体は当初、駿河(静岡県)久能山に葬られましたが、翌年の一周忌に、ここ下野国日光に移されました。

 現在、我々が目にする豪華絢爛な社殿は、その17年後の寛永十一(1634)年の三代将軍、徳川家光による大工事によって完成したものです。

 表門を入ると上中下と名の付いた三棟の神庫が建ち並び、これらに沿って折れ曲がる参道沿いには、佐賀藩鍋島家奉納の水盤舎(手を洗うところ)に、有名な「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿を彫ってある神厩舎と、それぞれ個性的な建築が建ち並んでいますが、見逃せないのが古い灯籠で、黒田、蜂須賀、藤堂ら歴戦の名将の名が刻まれていて、日本史、戦国時代のファンにはたまらない一角です。また、陽明門の手前、銅の鳥居の近くには、仙台藩主、伊達政宗奉納の鉄灯籠(錆びている)、薩摩藩主、島津家久奉納の銅の灯籠が並べられ、両家が別格扱いであることが判ります。

 こうして辿りついた本殿の入り口が有名な陽明門、柱が白の塗り込めであることが珍しいですが、更にこれでもかと施された彫り物は見飽きることがないことから、「日暮門」とも言われたそうです。また、陽明門につい、目を奪われてしまいがちですが、左右に広がる回廊の花鳥をあしらった彫り物も溜息ものです。

 陽明門をくぐると大きさは小振りですが、見事な唐門が本殿前にあります。この唐門から左右に伸びる塀が透塀で、当時の建築、装飾技術の全てが結集されているんだなぁ、と感じ入ると共に、「一体、幾らかかったんだ」という現実的、庶民的な思いもふと、頭をよぎってしまいますね。

 本殿は家康、豊臣秀吉に源頼朝を祀った本殿、諸大名が参拝する拝殿、更に両者の間には将軍、又は御三家のみが足を踏み入れることを許された石の間に区別されています。内装は狩野派が描いた襖絵、格子天井と贅を尽くした構えに圧倒されるばかり。

 本殿を巡る回廊の東側に眠り猫を彫った坂下門があり、ここを通って更に奥に進むと長い階段を上った先に徳川家康の墓所にたどり着きます。周囲を石段が巡った中央に銅製の宝経印塔が建ち、乱世の勝者が静かに眠っています。

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表門手前の略図です。数字の入った丸印は大名によって奉納された灯篭で、1、2は久留米藩主有馬忠頼によるもので、奉納された時期も慶安四(1651)年(三代将軍家光が死去した年)とやや時期が下っています。、3、4は幕府大老酒井忠勝によるもので、奉納されたのは寛永十八(1641)年、五重塔も忠勝公の寄進ですが、時期は慶安三(1650)年と違っていて、忠勝公の家康公への尊崇の念を感じさせます。
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参道を昇っていくとまず目に入るのが、関ヶ原の戦いでも活躍した福岡藩主、黒田長政の奉納による巨大な石鳥居(日本一らしい)です。これをくぐった左手には五重塔があります。




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五重塔は重要文化財、赤が基調の美しい建築です。ここまでは無料で見られますが、陽明門をはじめ、本殿、奥の院は有料です。



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表門から神楽に使われる装束を納めた三棟の神庫、有名な「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿の彫られた神厩舎、佐賀藩主鍋島勝茂公奉納の御水舎を経て陽明門に至るわけですが、この一帯には全国の諸大名が奉納した灯篭が並んでおり、歴史好きにはたまらない見所となっています。中には、奉納者の判読が出来ないものもありますが、私が見た限りでは…

1、2、6、7、10、11、13、17、19、21、24、26、27、29、30、31、33、37、38、39、41、63、76:不明

3、4:本多富正(越前松平家家臣)

5、12:松平(榊原)忠次(上野館林藩主:10万石)

8:水谷勝隆(常陸下館藩主:3,2万石)

9:脇坂安元(伊予大洲藩主:5,3万石)

14、15(銅製):加藤明成(陸奥会津藩主:40万石)

16、18:鍋島元茂(肥前小城藩主:7,3万石)

20:安部正次(武蔵岩槻藩主:5,5万石)

22:秋田実季(常陸宍戸藩主:5万石)

23:堀親良(下野真岡藩主:1,2万石)

25、28:松平忠明(摂津大坂藩主:10万石)

32:小笠原忠真(播磨明石藩主:10万石)

34:本多康紀(三河岡崎藩主:5万石)?~銘文は松平伊勢守

35、36:本多忠刻(播磨姫路藩主忠政嫡子:10万石)

40(銅製):山内忠義(土佐藩主:20,2万石)

42、43:藤堂高虎(伊勢津藩主:32,3万石)

44:井伊直勝(上野安中藩主:3万石)

45、46:中川久盛(豊後岡藩主:7万石)

47:金森重頼(飛騨高山藩主:3,3万石)

48、49:酒井家次(越後高田藩主:10万石)

50、51:本多忠政(播磨姫路藩主:15万石)

52:松平信吉(常陸土浦藩主:4万石)

53、54:有馬豊氏(丹波福知山藩主:8万石)

55、56:加藤嘉明(伊予松山藩主:20万石)

57、58:蜂須賀至鎮(阿波徳島藩主:25,7万石)

86:福島正則(安芸広島藩主:49,8万石)

87、88:黒田長政(筑前福岡藩主:52万石)の妻(徳川家康養女、保科正直娘)

59、60(銅製):井伊直孝(近江彦根藩主:25万石)

61,62:伊達秀宗(伊予宇和島藩主:10万石)

64、65:細川忠興(豊前小倉藩主:39,9万石)

66,67:佐竹義宣(出羽秋田藩主:20,5万石)

68、69:池田忠雄(備前岡山藩主:31,5万石)

70、71(鉄製):伊達政宗(陸奥仙台藩主:62万石)

72、73(銅製):島津家久(薩摩藩主:72万石)

74:松平忠利(三河吉田藩主:3万石)

75、79:森忠政(美作津山藩主:18,6万石)

77、78:毛利秀就(長門萩藩主:37万石)

80、83:池田光政(因幡鳥取藩主:32,5万石)

81、82:京極忠高(若狭小浜藩:9,2万石)

84、85:京極高知(丹後宮津藩主:12,3万石)

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表門を入ってすぐ目につく銅製の灯篭は、図の14,15番にあたる加藤明成公による奉納です。奉納された年は寛永十八年で、丁度二年前に出奔した家老の堀主水を処刑した年にあたります。主水引渡しに幕府の協力を得られた事に対する感謝の念が込められているように思われます。ただ、この後明成は主水の妻子をも捕縛せんと、鎌倉東慶寺にも追っ手を送るのですが、当時の住持は豊臣秀頼の娘天秀尼であり、秀頼の元妻である千姫や大奥の実力者、春日の局の尊崇も篤かったことから大問題に発展、明成は会津四十万石を幕府に返上を余儀なくされます。
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一番上は陽明門の全景。下2枚も多分(?)陽明門です。




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唐門の屋根の形状が見所で、正面だけでなく、横に向かっても破風が向けられた複雑な構造になっています。その奥の本殿の屋根も、唐破風の後に切妻破風を二重に据えている。こんなに豪華な建築は他じゃちょっと見られません。

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眠り猫。もう少しズームアップして撮れば良かった…


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