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水口城(岡山古城)

滋賀県甲賀郡水口町。甲賀支配のため、豊臣秀吉によって築かれた山城。

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西から見た古城山の遠望。周辺を見下ろす絶好の立地で、いかにも城があったという雰囲気です。 南北はこのようなお椀をかぶせたような形に見えますが、東西方向には長い尾根が伸びています。

 近江国(滋賀県)甲賀の水口には二つの城跡があります。一つは豊臣秀吉が家臣の中村一氏に築かせた岡山古城と呼ばれる水口城、もう一つが徳川家光の代に幕府が将軍の宿所として築かせた水口城です。ここで取り上げるのは前者です。

 本能寺の変から3年後にあたる天正十三(1585)年、前年には徳川家康との小牧長久手の戦いを和議で終結させた秀吉は、東海道沿いの宿場町である甲賀の支配強化のため、中村一氏に築城を命じました。完成した水口岡山城には築城した一氏以降、増田長盛、長束正家といった秀吉側近が城主に任じられました。その顔ぶれからも豊臣政権がこの城を重視していたことが窺えます。

 慶長五(1600)年の関が原の戦いに際し、城主の長束正家は西軍首脳の一人として参加しますが、関が原の決戦に敗れて水口に逃げ帰ります。しかし、東軍池田長吉らの猛烈な追撃を受け、抗戦を断念、城を出て自刃しました。その後、城は廃城となります。

 石垣は後の新水口城築城の際に取り払われ、再利用されたようです。恐らく、門、櫓などの建造物も関が原の戦い後、ほどなく解体転用されたと思われますが、仔細は伝わっていません。合戦後、東軍に通じた甲賀の地侍に城を占拠されたとの伝承もあるので、あるいはその際に火災に見舞われた可能性もあります。

 わずか15年しかその役割を果たさなかった城ですが、山中にはわずかな石垣と広大な削平地が残り、壮大な城郭があった事を偲ぶことが出来ます。

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登山口にある城跡の存在を示す石碑。 山城ですが、登るのにさほど、苦労はしません。


↑滋賀県水口城の不動産物件↑

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上の写真は大手の虎口…全然わかんないか。当時は石垣と石段で出来ていて、登って左に曲がって右に登る構造になっていたと思われます。 で、下は同じ写真に私の妄想を加えたもの。赤やピンクで縁取ったのは石垣と石段、ブルーと緑で縁取ったのは塀、あるいは物見櫓。門Bはかなり大きいので、櫓門が建っていたでしょう。これを抜けると三の丸と思われる広場に出ます。


↑近畿地方の格安宿↑

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山頂本丸跡にあった案内板。尾根伝いに大まかに五つの郭があったことが分かります。左(西)に向かって大手口があり、右に搦手があったと思われます。左から2番目の一番広い郭が本丸跡です。

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わずかに残された石垣。この近くは崖なので、撤去を見合わせたのでしょう。墓石もあったので、事故でもあったのかもしれません。こうして近くで見られるのは本丸北側の斜面二箇所です。
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東方向を望んで。公園になっていますが、急な斜面に驚かされます。当時は石垣が積まれていたはずなので、山下から見上げた城山の姿は壮観だったと思われます。


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