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水口城

滋賀県甲賀郡水口町。将軍家光の宿泊施設として築かれた城。櫓を模した資料館があります。

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出丸内、当時の番所跡に櫓風の建築を模して仕上げられた資料館です。

 「甲賀」と聞くと忍者を思い出す方が多いと思います。戦国~江戸期にかけて、この地は京都へ至る宿場町として栄えた交通上の要地でした。豊臣秀吉は周辺を一望できる岡山に城を築かせ、この地を支配しましたが、関が原の戦いで水口岡山城主、長束正家は滅亡し、城も廃城となりました。

 その後、江戸に幕府を開いた徳川家康も京都への道筋にあるこの地を重視し、幕府の直轄地として支配しました。そして、三代将軍家光の代に将軍の宿所として新たに築かれたのが今日、平城として遺構が残る水口城です。築城には文人大名として名高い小堀政一(遠州)があてられました。

 天和二(1682)年には外様大名の加藤明友(賎ヶ岳七本槍の一人で伊予松山、会津若松城主を歴任した嘉明の孫)が2万石で水口城主を任命されました。本丸にあった豪華な御殿は維持が困難で程なく撤去されましたが、本丸を巡る堀、石垣や櫓は残されました。藩主は本丸の北、二の丸に政庁と御殿を建て、藩政を執ったそうです。
 
 明友の子、昭英の代に一時、下野壬生に移封されますが、もともとの出身が徳川氏と同じ三河であったためか、外様から準譜代に格上げされ、所領も2万5千石に加増、次の嘉矩の代で水口に戻って来ます。以降、転封も所領の増減もないまま、明治を迎える事になります。

 明治維新後、城内の建造物はことごとく撤去され、石垣の多くも取り払われ、鉄道の線路に使われてしまいましたが、現在は出丸が整備され、資料館が建てられています。

 城地は極めてシンプルで、正方形の本丸と、その東に突き出た出丸を水堀がぐるりと取り囲んでいるだけです。本丸の四隅には櫓が建っていたそうです。門は二ヶ所とも北に向かって開かれています。石垣は旧乾櫓のあった場所にのみ、当時の石積みが残されています。石積み技術がほぼ完成された時代の石垣として、貴重な遺構だと思います。

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出丸内、当時の番所跡に櫓風の建築を模して仕上げられた資料館です。

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これが本丸乾櫓跡、他は土の斜面がのこるのみ。ちなみに本丸内は現在、運動場です。

水口城の縄張図
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 合戦よりも、将軍宿所としての格式を優先させた構造です。本丸には豪華な御殿が立っていました。二の丸には厩や番所、藩主の御殿が建ち並んでいたそうですが、堀や土塁はなく、水路や塀で区画されていたのではないかと思われます。

 櫓を模した資料館が建つのは出丸の南東角で、かつての石垣が残るのは北西にわずかに突き出た乾櫓跡です。



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