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越後福島城

新潟県上越市。石碑以外、何ら痕跡を残さない幻の近世城郭跡。

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城の存在を示す石碑。土台の石は城に使われていたものとされています。これ以外に城の存在を示す遺構はほとんど残されていません。

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 豊臣政権期、越後の大半を領していた堀氏は、前の越後国主、上杉氏の居城である春日山城を引き続き利用していました。

 しかし、関が原の合戦を経て、戦国乱世に一区切りがついたこともあってか、改めて越後国主に任じられた堀秀治は、防衛重視の山城から都市と一体化して機能する新城への移転を決意、そこで新たに築かれたのが福島城です。完成したのは秀治が没し、その子、忠俊の代に入ってからの慶長12(1607)年、関ヶ原の戦いから7年後の事です。

 この城は日本海に面した平城で、石垣造りの大規模な城郭であったといわれています。

 ところが、慶長15年に忠俊と老臣、堀直寄らとの対立が表沙汰になり、若い忠俊は大国の主に相応しからずとして、堀氏の所領30万石は幕府に没収され、徳川家康の六男、松平忠輝が新たに福島城主に任じられてしまいます。しかも忠輝は程なく高田に新城を築き、これに移転、福島城はわずか七年間の利用で廃城となります。

 忠輝がなぜ、城を移したのか明確な理由はわかりませんが、日本海の荒波や水害に城が耐えられなかったのではないかと私は考えています。日本海に面した海城なんて、他に例がありませんから。海城のほとんどは波の少ない瀬戸内海沿岸に築かれているのです。

 不思議なのが福島城を固めていた石垣の行方です。新たに築かれた高田城は土塁作りで石垣はなく、壮大な石塁はどこに再利用されたのかが不明なのです。それとも実際は石垣の使用はわずかであったのか…謎は残ります。

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石碑の隣りにある縄張り図。本丸を中心に渦を巻くように曲輪が配されていた構造が窺えます。


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