永禄三年(1560)
主な出来事
1/17:三好長慶が、幕府御相伴衆に加えられ、修理大夫に任じられる。この時、三好義長は筑前守、松永久秀は弾正少弼に任じられる。(「戦争の日本史11」)
1/27:正親町天皇の即位式が行われる。
5/19:桶狭間の合戦 ○織田信長vs今川義元●
10/24:三好長慶が、河内高屋城、飯盛山城を攻略する。畠山高政、安見宗房らは紀伊に逃亡する。
生誕
石田三成(近江佐和山城守)
亀姫(徳川家康長女、奥平信昌室)
志駄義秀(上杉家臣)
直江兼続(上杉家臣)
死没
5/19:今川義元(42:駿河、遠江守護)
6/15:長宗我部国親(57:土佐岡豊城主、元親の父)
12/16:穴山信友(甲斐河内領主)
12/24:尼子晴久(47:出雲・隠岐・備前・備中・備後・美作・因幡・伯耆守護)
備考、その他
・長尾景虎、小田原城を攻めた後、鶴岡八幡宮を参詣する。この時、成田長泰と警固の者が争論に及び、長泰は病と称して景虎の下を去る。その後、6月28日に上京、7月7日将軍義輝に謁して管領に任ぜられ、輝虎を名乗る。(「定本常山紀談 上」)←上洛は永禄二年、小田原攻めは永禄四年の誤り
・桶狭間の合戦後、織田信長が近臣7~8人と共に上洛し、都の様子を見つつ、高屋城で三好長慶に会い、「尾張を三好家に進呈する代わりに、近畿にそれに値する所領を与えられれば、信長が三好家の先陣となる」と申し入れるが、松永久秀の反対でこれを退ける。また、信長の上洛を知った斎藤義龍が討手を差し向けたものの、信長自らが討手の宿に乗り込み、一喝。討手は信長に詫びて引き上げる。(「定本常山紀談 上」)←信長上洛は永禄二年の誤り?
・将軍足利義輝が、宣教師ガスパル・ヴィレラに京都での布教を許可する。(「小西行長」)
1/9:武田信虎の息女が公家の菊亭晴季に嫁ぐ。
1/17:三好長慶が、幕府御相伴衆に加えられ、修理大夫に任じられる。この時、三好義長は筑前守、松永久秀は弾正少弼に任じられる。(「戦争の日本史11」)
2/11:三木良頼、従四位下に叙任、古河飛騨守嗣頼を名乗る。同じく子の光頼は従五位下左衛門佐に任じられる。いずれも関白近衛前嗣の尽力による。
3月:宗像氏貞が筑前許斐城を奪回する。(「戦争の日本史12」)
5月:
・長尾景虎、居多神社に制札を掲げる。(「上杉景勝のすべて」)
・北條氏康が里見氏の本拠、上総久留里城を包囲する。(「戦争と日本史10」)
・畠山高政が、安見宗政と結んで三好長慶に対抗する姿勢を見せる。
5/12:今川義元が駿府を出陣する。(「戦争の日本史13」)
5/18:今川義元が沓掛城に入る。一方の織田信長は清州城にあって軍議も行わずに過ごす。
5/19:桶狭間の合戦 ○織田信長vs今川義元●
この時信長、中島砦から各砦の味方を集め、「今川の大軍が本道に繰り出し、旗本が小勢となったところを山陰から切ってかかり、忽ち勝負を決すべき」と下知する。今川勢は緒戦の勝利で酒盛りをしているところへ風雷が激しくなり、信長勢の接近に気づかなかったという。信長の不意の攻撃に慌てながらも応戦したものの、遂に義元自身が服部小平太に槍を突かれ、毛利新助に首を取られる。(「定本常山紀談 上」)
義元が討ち死にした際、大高城に陣取っていた松平元康は織田方の水野信元からの使者、浅井道忠から義元敗死を知らされ、岡崎への帰城を勧められる。しかし、元康は信元の謀略を疑い、自ら情報を得てから、浅井を道案内役として撤退し、別れ際、その証として元康の扇子を裂いて与えたという。後、浅井家はこの扇子を紋として使用したという。(「定本常山紀談 上」)
6月:河内征伐のため、尼崎に四国から三好勢が着陣する。
8/4:長尾景虎、関東出陣にあたって、長尾政景に春日山城の留守居を命じる。
9月:
・長尾景虎が上野厩橋城を攻略する。
・北條氏康が武蔵川越城に到着する。
9/19:関白近衛前嗣、京都を発って越後へ下向する。
10月:
・阿波の三好勢が讃岐の香川之景を攻撃する。
・古河公方足利義氏が下野の小山秀綱に対し、越後勢迎撃に対する協力を命じる。
・山城国杉山口で安見宗房方が三好勢と交戦して敗れる。
10/13:将軍足利義輝が、自らの邸宅のために、北野社の人夫を使ってもりのこけを運搬させる。
10/24:三好長慶が、河内高屋城、飯盛山城を攻略する。畠山高政、安見宗房らは紀伊に逃亡する。
11/13:三好長慶が飯盛山城に入る。
12月:
・北條氏康が河越城から小田原城へ撤退する。
・安房里見勢が、下総中島城を攻撃し、併せて北條方の葛西城を攻略する。





