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参考文献


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元亀四年~天正元年(1573)

主な出来事
2月:将軍足利義昭が、近江の石山、今堅田の砦に兵を送り、織田信長に対して挙兵する。(「信長と消えた家臣たち」)
2月中旬:武田信玄が三河野田城を攻略する。(「戦争の日本史13」)
2/17:武田軍が三河から撤退を開始する。
3/29:織田信長が入京する。
4/7:織田信長と足利義昭が、正親町天皇の仲介で和睦する。
4/12:武田信玄が信濃駒場で死去する。
7/3:足利義昭が山城槙島城に立て籠もって挙兵する。
7/9:織田信長が入京し、妙覚寺に着陣する。
7/18:織田信長が、山城槙島城を攻略、将軍足利義昭は子を人質に出して退去する。
7/28:天正に改元する。
8/4:織田信長、岐阜に帰国する。
8/13:刀根坂の戦い ○織田信長vs朝倉義景●
8/20:朝倉義景、一族の景鏡に裏切られ、賢松寺で自害する。
8/27:羽柴秀吉が小谷城京極丸を占拠し、小丸の浅井久政を攻撃して自害させる。
9/1:織田信長が小谷城を攻略し、浅井長政は切腹して果てる。
9月:織田信長、伊勢長島を攻める。
10/25:織田信長が北伊勢から撤退する。
11/5:
・毛利氏の斡旋で足利義昭の処遇について羽柴秀吉、安国寺恵慧らが会談するも決裂する。
・足利義昭が河内若江城から堺へ移る。
11/10:織田信長が上洛する。

生誕
小督姫(浅井長政三女、徳川秀忠正室)
中条三盛(上杉家臣、景泰の子)

死没
小山高朝:(67:下野榎本城主)
和田惟政:(「定本常山紀談 上」)←元亀二年(1571)の誤り
1/1:村上義清(73:上杉家臣)
4/12:武田信玄(53)
6/25:畠山昭高(40)
7/16:篠原長房(?:三好家臣)
8/14:斎藤龍興(26:義龍の子)、河合吉統(53:朝倉家臣)、山崎吉家(?:朝倉家臣)、
8/20:朝倉義景(41)
8/27:浅井久政(48:長政の父)
9/1:浅井長政(29:近江小谷城主)
10/15:島津勝久(71:貴久の養父)
11/16:三好義継(23:河内若江城主)

備考、その他
・三河作手の奥平貞能、貞昌(後の信昌)親子が武田家から徳川家に帰参する。この時、武田方では奥平親子の去就を怪しみ、人質を取ったり、貞能を招いて謀殺したとの虚報を奥平家臣団に流して反応を確かめたりと策を講ずるも、ついに見破る事ができなかったという。(「定本常山紀談 上」)
・吉川元春が但馬に侵攻する。(「人物叢書 山名宗全」)
春:亀山城主の関盛信が織田信長から勘当を言い渡され、身柄を日野の蒲生家に預けられる。(「信長と消えた家臣たち」)
春:山名祐豊の支援を得た尼子勝久、山中幸盛らが因幡に侵攻する。(「戦争の日本史12」)
2/23:織田信長が細川藤孝に宛てて書を発する。(「戦争の日本史13」)
2/29:柴田勝家、明智光秀ら織田軍が将軍義昭の命で挙兵した近江、山城の国衆を撃破、鎮圧する。
3月:越前の朝倉義景が、常陸江戸崎城の土岐治英に書を送る。(「戦争と日本史10」)
3/7:
・武田信虎、甲賀で足利義昭に通じて挙兵を策す。
・足利義昭と織田信長の和睦交渉が決裂し、織田方使者の島田秀満が岐阜に帰国する。義昭は畿内近国の諸将に加勢を依頼する。
3/11:高槻城で高山右近が城主の和田惟長を追放し、重傷を負った惟長は伏見に至る。
3/25:織田信長が京都に向けて岐阜を出陣する。
3/26:武田信玄の側近土屋昌続、僥倖院宗慶が、大山崎に書を送り、信玄出馬を祝う巻数、板物、扇子の贈呈に礼を述べ、制礼については近江進出を期して調えるとする。(「戦争の日本史11」)
3/29:上洛の途次にある織田信長を逢坂で細川藤孝と荒木村重が迎える。信長は知恩院に本陣を構える。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
3/30:村井貞勝の京都屋敷が、幕府方に包囲される。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
4/1:織田信長が吉田兼和を本陣に招いて、京都への放火作戦の是非について尋ねる。
4/2:織田軍が京都郊外を放火する。
4/3:織田軍が京都郊外を放火する。
4/4:織田軍、上京を放火する。
4/7:織田信長と足利義昭が、正親町天皇の仲介で和睦する。
4/8:織田信長が京都を発ち、岐阜に向かう。
5/15:織田信長が佐和山城に入り、琵琶湖を移動するための大船建造を命じる。
6/25:畠山昭高、高屋城で遊佐信教に討たれる。
7月:北條氏照が、下総関宿城への攻撃を開始し、氏政が武蔵国小松に布陣する。(「戦争と日本史10」)
7/3:足利義昭が山城槙島城に立て籠もって挙兵する。
7/5:織田信長が琵琶湖を移動するための大船が完成する。
7/9:織田信長が入京し、妙覚寺に着陣する。
7/12:足利義昭家臣の三淵藤英が二条城を織田信長に明け渡す。
7/16:
・篠原長房が主君三好長治、細川真之に攻められ、自害する。(「戦争の日本史12」)
・織田軍が槙島城への攻撃を開始する。
7/17:織田信長が京都を出陣し、五ヵ庄に本陣を構える。
7/18:槙島城攻略の際、織田家臣の梶川高盛が真っ先に馬を宇治川に乗り入れて押し渡り、信長、褒美に馬を与えたという。(「定本常山紀談 上」)
7/21:織田信長が京都に凱旋する。その際、村井貞勝を所司代に任命する。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
8月:
・山名豊国らが毛利方の因幡鳥取城を包囲する。
・上杉謙信が武蔵羽生城の菅原為繁、木戸忠朝らに対して、関東への出陣の意向を示す。
・佐竹義重が小田氏治の木田余城を攻撃し、戸崎城、宍倉城を攻略する。
8/8:浅井家臣、近江山本山城主の阿閉貞征が木下秀吉を通じて織田信長に降伏する。信長は即日、近江に向けて出陣する。
8/10:織田軍が近江小谷城を包囲する。
8/12:織田信長が自ら大嶽砦の朝倉勢を夜襲して攻略する。
8/13:織田信長が配下の諸将に朝倉勢の追撃を命じるも、諸将がこれに遅れ、激怒する。
8/17:織田信長が木の芽峠を越え、越前に侵入する。
8/18:織田信長が越前府中に入り、龍門寺に着陣する。
8/26:織田信長が越前から近江虎御前山に戻る。(「戦争と日本史15」)
8/29:浅井長政が家臣の片桐孫右衛門尉に感状を認め、最期まで忠節を尽くした事に謝辞を述べる。
秋:伊豆国西浦の村民に逃散の動きが現れ、北條家臣安藤良整が、
「どこへ行っても人の主になれる世ではなくなった。武士でも草履取りをするのがやっとだ。ここはひとまず我慢して百姓を続けてはどうか」
と、書状で説得する。(「雑兵たちの戦場」)
9月:
・山名豊国らが因幡鳥取城を攻略する。後、豊国は毛利方に属する。
・土佐中村の一条兼定が家臣団の強要で隠居させられ、子の内政が家督を継ぐ。
9/14:禁裏が、村井貞勝に「松の折」を下賜する。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
11/9:足利義昭が、堺を出る。
11/14:織田信長が、村井貞勝を通じて正親町天皇と誠仁親王にみかん等を献上する。禁裏からは緞子が返礼として贈られる。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
11/16:
・織田家臣の佐久間信盛、河内若江城を攻略する。三好義継は自害して果てる。
・織田信長が、村井貞勝を通じて正親町天皇と誠仁親王にみかんと鯉を献上する。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
11/18:織田信長が本願寺顕如に白天目茶碗を贈られたことに対して礼状を送る。
11/19:織田信長が、村井貞勝を通じて正親町天皇と誠仁親王に鯛を献上する。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
11/29:織田信長が佐久間信盛らに朱印状を発し、松永久秀父子の多聞山城の受け取りと信貴山城への移城を承認する。(「信長と消えた家臣たち」)
12月:
・越前守護の桂田長俊、京都から帰国する。帰国の途中、眼病を患う。
・常陸佐竹一族の北義斯が、上杉謙信に関東への出馬を依頼する。
・下総関宿城の簗田晴助、持助親子が、佐竹家臣の岡本禅哲に対して、佐竹義重による支援を依頼する。
12/5:中山孝親が、村井貞勝邸を訪ねる。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
12/16:村井貞勝と明智光秀が、策彦周良に山城国安弘名が妙智院の直務である事を報じ、安弘名の小作人に対し、年貢を直接妙智院に納めるように指示する。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
12/26:
・大和の松永久秀が多聞山城を織田信長に明け渡して降伏する。
・正親町天皇が、寂光院、三千院の知行安堵に関して、明智光秀と村井貞勝にこれを喜ぶ旨の綸旨を出す。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)



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