明治二十八年(1895)
主な出来事
2/2:日本軍が、威海衛を占領する。(「戦争の日本史19」)
2/5:米国上院が、日米通商新条約を批准する。
2/10:清国の光緒帝徳宗が、軍機大臣を呼び寄せ、今後の方策を議する。
2/12:威海衛港内の清国海軍が、日本軍に乞降書を提出し、提督丁汝昌は自決する。
2/17:伊東祐亨連合艦隊司令長官が、降伏規約に調印し、連合艦隊を威海衛湾内に派遣、清国の砲台、艦船を接収し、北洋艦隊撃滅を達成する。
2/22:清国で季鴻章を呼び寄せての御前会議が開かれる。
3/4:日本政府が、下関にて講和交渉を行う旨を清国政府に通知する。
3/20:下関にて日清の講和交渉が始まる。
3/23:日本軍が肪湖列島に上陸し、太武社付近を占領する。
3/24:日清の第三回講和会議が開かれ、休戦交渉を置いて翌日からの講和交渉開催を決めるも、季鴻章が宿舎への帰途、銃撃を受けて負傷する。
3/26:日本軍が、棒湖列島行政庁を置く。
3/30:日清休戦条約が調印されるも、台湾及び澎湖列島は除外される。
4/17:第七回日清講和会議で、講和条約が調印される。この席で、批准書を交換する五月八日までの休戦期間の延長と、台湾、澎湖列島での休戦適用が約される。清国の使節はそのまま帰国の途につく。
4/20:明治天皇が、日清講和条約を批准する。
4/21:明治天皇が、「平和克復ニ関スル詔書」を発表する。
4/23:ロシア、ドイツ、フランスの駐日公使が外務省を訪れ、林董外務次官が個別に面会し、日清講和条約の内容に対する抗議を受ける。林次官は会談後、伊藤首相と陸奥外相に報告する。
5/8:日清両国の全権による協議が行われ、講和条約の批准書が交換される。
5/10:政府が、樺山資紀を海軍大将及び台湾総督に任じる。
5/29:
・大本営が、広島から東京に移される。
・台湾総督府一行と近衛師団が、台湾に上陸する。
6/17:台湾総督府が始政式を行い、台湾が日本帝国の領土になったことを宣言する。
10/8:駐朝公使三浦梧楼が、朝鮮王宮を襲撃し、王妃を殺害する。
10/21:日本軍が、台南城を占領する。
11/8:遼東半島還付条約が調印される。
11/18:樺山台湾総督が、台湾鎮定を大本営に報じる。
死没
10/2:山根信成(44:近衛第二旅団長)
10/28:北白川宮能久親王(48:近衛師団長)
備考、その他
・出版社博文館が、総合雑誌「太陽」を創刊する。(「戦争の日本史21」)
1/1:第二軍司令部が、大本営に混成一個旅団の蓋平派遣を報じる。(「戦争の日本史19」)
1/7:乃木希典少将率いる混成一個旅団が、熊岳城に進出する。
1/9:乃木希典少将率いる混成一個旅団が、熊岳城を出て、蓋平に向かう。
1/10:日本軍が、蓋平に進出する。
1/16:雪裡站にて、日本軍が清国軍騎兵を撃退する。(「戦争の日本史19」)
1/17:
・野津第一軍司令官が、海城を視察する。
・第一軍司令部が、第二軍司令部に対して、蓋平の混成旅団と第三師団との連携を強化したいと提案する。
・海城の日本軍を清国軍が攻撃するも、退けられる。
1/18:
・蓋平の混成旅団が太平山に進出する。
・野津第一軍司令官が、海城の防御線を視察する。
・第二軍が大本営に対して、威海衛からの軍の退去の為の船舶の準備を請求する電報が、届く。
1/19:
・野津第一軍司令官が、海城を発ち、岫厳の司令部に向かう。
・日本軍第二、第六師団が、威海衛攻略の為、大連湾を出港する。
1/20:日本軍が、山東半島栄城湾から上陸し、栄城を占領する。
1/21:第三師団が海城攻略を目指す清国軍の動向を得る。
1/22:清国軍が、海城を攻撃するも、撃退される。
1/23:野津第一軍司令官が、大本営に遼河平原での作戦実施を提案する。
1/24:
・清国軍が、太平山の日本軍を攻撃するも、撤退する。
・野津道貫第一軍司令官が、大本営に海城への増援を要請する。
・日本軍第二師団の独立騎兵が、湯家で清国軍と交戦する。
1/26:栄城の日本軍が、威海衛に向けて進撃を開始する。孟家庄付近で清国軍と交戦するも、これを撃退する。
1/27:広島で御前会議が開催され、清国との講和条約案を決定する。
1/28:
・日本軍が、海城近くの歓喜山に野砲二門を設置する。
・日本軍第六師団が威海衛近くの鮑家村付近に、第二師団が江家口子に進出する。
1/29:
・大本営が、野津道貫第一軍司令官に増援要請を拒否する回答を示す。
・日本軍が、威海衛付近に偵察を出すも、清国軍の迎撃を受け、29名の死傷者を出す。
1/30:
・野津道貫第一軍司令官が、大本営に再度、増援を要請する。
・日本軍が、威海衛南岸諸砲台を占領する。この時歩兵第十一旅団長大寺安純少将が負傷(後死去)する。
・伊東祐亨連合艦隊司令長官が、水雷艇による清国艦隊撃滅を司令する。
1/31:
・明治天皇が、伊東博文首相と陸奥宗光外相とを、清国との全権弁理大臣として、講和会議に臨むように命じる。
・第一軍司令部にて、作戦会議が開かれる。
・大本営が、第二軍に対して威海衛からの退去と共に、港内の劉公島のみを確保するように司令する。
・清国から、講和使節として総理衙門大臣張蔭桓、湖南巡撫邵友濂とが、広島に到着する。
2/1:広島県庁にて、日清の講和交渉が行われる。
2/2:
・日本軍が、威海衛を占領する。
・清国の講和使節に全権としての権限がない事が判明し、講和交渉が打ち切られる。
2/3:
・老辺墻付近で、糧食運搬中の軍夫が清国軍「土兵」の攻撃を受け、五人が殺害される。
・第三師団が、岫巌に留めていた架橋材料を大狐山に移す。
2/5:日本軍の水雷艇部隊が、威海衛港に侵入して清国艦隊を攻撃、清国巡洋艦定遠を擱座させる。日本側は水雷艇1隻が撃沈させられ、2隻が座礁放棄される。
2/6:
・日本軍の水雷艇が、威海衛港に侵入して清国艦隊を攻撃、清国巡洋艦来遠を転覆、練習船威遠、水雷敷設船宝筏号を沈没させる。
・第三師団が、折木城と小狐山の守備を勤めていた第三師団の二個大隊に海城への移動を指令する。
2/7:
・大本営が、蓋平への増援を指令する。
・日本軍が海陸より威海衛港内の清国海軍に総攻撃を敢行する。清国海軍は巡洋艦靖遠をはじめ、水雷艇を全て失う。
2/8:
・第一師団司令部が、蓋平の戦力増強を指示する。
・陸奥宗光外相が、ダン駐日米国公使を通じて、清国に対して全権委員の派遣による講和交渉を望む意向を清国政府に伝える。
2/10:
・二本軍第二軍司令部が、清国軍の威海衛への増援部隊接近の情報を得る。
・清国の光緒帝徳宗が、軍機大臣を呼び寄せ、今後の方策を議する。
2/12:威海衛港内の清国海軍が、日本軍に乞降書を提出し、提督丁汝昌は自決する。
2/13:大本営が、澎湖列島攻略作戦計画を策定する。
2/14:第一軍司令部が、遼陽方面への新作戦を大本営に提案し、大本営がその一部を承認する。
2/16:
・第一軍司令部が、遼河平原への新作戦を提案し、大本営がこれを承認する。
・清国軍が、海城を攻撃するも、撃退される。
・日本軍近衛師団の編成が完了する。
2/17:
・清国軍が、折木城を攻撃するも、撃退される。
・伊東祐亨連合艦隊司令長官が、降伏規約に調印し、連合艦隊を威海衛湾内に派遣、清国の砲台、艦船を接収し、北洋艦隊撃滅を達成する。
・明治天皇が、清国北洋艦隊壊滅の報を受け、第二軍と連合艦隊に、戦火を讃える勅語を発する。
・第二軍司令部が、第二・第六師団に退去準備と、運搬出来る兵器以外の破壊を指示する。
2/19:大本営に、デンビー駐清アメリカ公使を通じて、講和交渉の清国全権に季鴻章が任命されたとの情報がもたらされる。
2/21:
・清国軍が、海城を攻撃するも、撤退する。
・野津第一軍司令官が、湯池にて、山地第一師団長と会談し、第一軍の遼河平原進出に際しての支援を依頼する。
・清国軍が、太平山を占拠する。
2/22:清国で季鴻章を呼び寄せての御前会議が開かれる。
2/24:第一師団が太平山を占領するも、清国軍の抵抗が激しく、積雪と寒気もあって四千人を越える凍傷患者を出す。
2/26:寛旬県城の偵察に向かった日本軍が清国軍「土兵」三百と遭遇する。
2/28:海城を出た第三師団が、東烟台、西烟台を占領する。
3/上旬:日本軍第四師団の編成が完了する。
3/1:
・清国軍が長旬城を攻撃する。
・日本軍第三師団が、甘泉堡の清国軍と交戦し、これを退ける。
・威海衛の日本軍が、、旅順口への退去を完了する。
3/2:
・日本軍第五師団が、鞍山站に進出する。
・季鴻章が、日本との講和交渉方略を上奏する。
3/3:
・九連城守備隊長西島助義大佐が、臨時山砲隊を組織する。
3/4:日本軍第三師団及び第五師団が、牛荘城を攻略する。清国軍将兵の一部が城内の家屋に立て籠もり、市街戦となる。
3/5:日本軍が、営口を占領する。
3/7:
・野津第一軍司令官が、第一師団司令部を訪れ、山路師団長と会談する。
・山県有朋が、陸軍大臣に任命される。
3/9:
・日本軍が、田庄台を占領し、市街を放火する。
・佐世保港に、澎湖列島攻略の為の混成支隊が到着する。
3/10:明治天皇が、遼河平原進出の報を受けて、第一軍と第二軍に勅語を下賜する。
3/12:日本軍第一軍司令官野津道貫が、陸軍大将に昇進する。
3/14:
・大本営が、連合艦隊に対して修理の必要な艦船を回航して南征に準備するようにとの訓令を発する。
・季鴻章が、天津を発ち、下関へ向かう。
3/15:佐世保から台湾に向けて、日本軍の混成支隊が出航する。この頃、輸送船内でコレラ菌が発生し、将兵に感染する。
3/19:清国全権季鴻章らが、門司港に到着する。
3/20:下関にて日清の講和交渉が始まる。
3/21:
・日清の講和交渉が行われ、伊東博文が休戦条件を提案するも、季鴻章はこれを拒否し、四日後の交渉再開を約す。
・日本軍第二軍司令部に、参謀長井上光が大本営からの訓令を手に帰還する。
・澎湖列島偵察中に日本艦隊旗艦吉野が座礁し、上陸作戦が中止される。
3/23:日本軍が澎湖列島に上陸し、太武社付近を占領する。
3/24:
・日清の第三回講和会議が開かれ、休戦交渉を置いて翌日からの講和交渉開催を決めるも、季鴻章が宿舎への帰途、銃撃を受けて負傷する。
・日本軍が、馬公城を占領する。
3/25:清国軍の澎湖列島円頂半島守備隊が、日本軍に降伏する。
3/26:
・日本軍第二軍司令部に、大本営から内地の近衛師団及び第四師団と共に洋河口に上陸するようにとの司令が届けられる。
・日本軍が、澎湖列島行政庁を置く。
3/27:日清の無条件休戦が勅許される。
3/28:日本軍が澎湖列島で受け入れた清国軍の投降兵を解放する。
3/30:
・日清休戦条約が調印されるも、台湾及び澎湖列島は除外される。
・林董外務次官が、欧米諸国からの日清講和条件の問い合わせに対する返答を尋ねるも、陸奥宗光外相は休戦条約が成立したので、回答は不要であると答える。
4/1:第四回日清講和交渉が行われ、陸奥宗光が、講和条約案を渡す。
4/2:季鴻章が、病床から講和条約案への反論を送る。
4/3:
・陸奥宗光外相が、清国が講和交渉の内容を密かに欧米諸国に漏らしている事を受け、林董外務次官に英米仏露駐在の日本公使、及び駐日公使に講和条件を内密に報じるように命じる。
・日清講和条件を知った駐日ロシア公使が、奉天省南部割譲と知り、不快の顔色を示して欧州各国の干渉の口実を与えるものであると警告する。
4/10:第五回日清講和交渉が行われるも、進展はなし。
4/12:澎湖列島の日本軍に蔓延したコレラ菌が終息する。患者総数千七百、死者千名に達する。
4/13:西徳二郎駐露公使が、日清講和条件について、澎湖列島の割譲について、フランスがロシアと共同抗議を協議中と日本政府に報じる。
4/14:
・青木周蔵駐独公使が、ドイツの講和条件に対する反発を日本政府に報じる。
・明治天皇が、徳大寺実則侍従長を通じ、フランスやロシアの動向について陸奥宗光外相に問い合わせる。陸奥は即座に調査中と回答する。
4/16:第六回日清講和交渉が行われ、季鴻章が講和条件を認める。別れ際、季鴻章が、伊藤博文をここまで厳酷執拗な人物とは思わずと愚痴をこぼす。
4/17:
・第七回日清講和会議で、講和条約が調印される。この席で、批准書を交換する五月八日までの休戦期間の延長と、台湾、澎湖列島での休戦適用が約される。清国の使節はそのまま帰国の途につく。
・陸奥宗光外相が、各国公使及び領事に宛てて日清講和条約調印を報じ、その事実と大要を各国に報じるように指示する。
・青木周蔵駐独公使が、ドイツ政府が、東洋に軍艦派遣を決定したと報じる。
4/18:伊藤博文、陸奥宗光が広島県宇品に到着し、侍従長徳大寺実則の出迎えを受ける。その後、明治天皇に経過報告を行い、政府首脳とともに宮中の面謁所にて立食の宴が許される。
4/19:
・赤間関町と門司町とに施行されていた保安条例が解除される。
・侍従長徳大寺実則が、黒田清隆枢密院議長を訪問する。
・明治天皇が、伊東博文首相を謁見し、協議する。
4/20:
・明治天皇が、日清講和条約を批准する。
・明治天皇が、伊東博文首相を謁見し、協議する。
・ドイツの駐日公使が、外務省に対し、他の公使と共同で陸奥宗光外相に直接申し上げたい用件があると申し入れて来たので、ひとまず21日に林董次官が会談を行うので、それまで広島に留まるように、との電報を打つ。これを受けた陸奥は直ちに会談の内容を報じるように指示する一方、病気で公使との会談は不可能と報じる。
4/21:
・ドイツ公使が、林董外務次官との会談を22日に延期して欲しいと要請する。
・陸奥宗光が、林外務次官とドイツ公使との会談延期の報告を受け、静養の為に兵庫県舞子に向かうと報じる。
・青木周蔵駐独公使が、陸奥宗光外相にドイツ外相が日本の旅順領有に反対の意を示すとともに、陸奥の秘密主義的外交手法を非難する電報を送る。
4/22:
・陸奥宗光が、林薫外務次官に青木周蔵駐独公使からの電報について非難し、ドイツ公使には十分な説明をするように指示する。
・ドイツ公使が外務省を尋ねるも、応対するのが林外務次官と知ると、他国公使と協議するとだけ述べて引き上げる。
・青木周蔵駐独公使が、陸奥宗光外相にドイツ外相が、日本は講和条約で不当な利益を得ているとして、諸国と共同して非難していると報じる。
・西徳二郎駐露公使が、我が国が清国より鴨緑江にまで達する領土を得れば、欧州諸国より強い干渉を受けるとの意見が報じられる。
4/23:
・陸奥宗光外相が、林薫外務次官にドイツ等の干渉については、時間稼ぎをして、その間に批准書を交換して既成事実をつくるように指示する。
・陸奥宗光外相が、伊東博文首相に欧州各国の動向を報じる。
・ロシア、ドイツ、フランスの駐日公使が外務省を訪れ、林董外務次官が個別に面会し、日清講和条約の内容に対する抗議を受ける。林次官は会談後、伊藤首相と陸奥外相に報告する。
・伊東博文首相が、陸奥宗光外相に翌日の御前会議開催を報じる。
4/24:広島の大本営で明治天皇、伊東博文首相、山県有朋陸相、西郷従道海相の四人によって御前会議が開催され、三国干渉について、列国会議によって遼島半島の領土問題を処理する事を内決する。
4/25:
・明治天皇が、山県有朋陸相に三国干渉の顛末を征清大総督彰仁親王に報じるように命じる。
・兵庫県舞子の陸奥宗光外相の病室で、伊東博文首相、松方正義蔵相、野村靖内相が会合を行い、日清講和と三国干渉とを個別に解決していく事とする。
4/26:山県有朋陸相が、広島を発ち、旅順口に向かう。
4/27:川上操六大本営参謀次長が、大山巌満州軍総司令官に電報を送り、三国干渉に対する政府の対応についての了解を求める。
5/2:伊東巳代治全権大臣が、清国に向けて広島、宇品港を発つ。
5/7:伊東巳代治全権大臣が、三東省芝罘に到着する。
5/8:日清両国の全権による協議が行われ、講和条約の批准書が交換される。
5/9:伊東巳代治全権大臣が、旅順口に到着し、大総督小松宮に拝謁する。
5/10:政府が、樺山資紀を海軍大将及び台湾総督に任じる。
5/13:伊東巳代治全権大臣が、京都に到着する。
5/29:
・大本営が、広島から東京に移される。
・台湾総督府一行と近衛師団が、台湾に上陸する。
6/17:台湾総督府が始政式を行い、台湾が日本帝国の領土になったことを宣言する。
6/19:樺山資紀台湾総督が、政府に台湾の占領状況を報告し、その支配の困難を報じる。
6/22:日本軍が、新竹城を攻略するも、かえって台湾民主国軍の包囲を受け、苦戦を余儀なくされる。
6/29:台湾総督府が、増援部隊の派遣を要請する。
8/3:新竹城に日本軍主力が到着する。
8/28:日本軍が、八卦山及び彰化城を攻略する。
10/2:山根信成近衛第二旅団長が、彰化兵站病院で死去する。
7/14:台湾に増援として混成第四旅団が上陸する。
10/21:日本軍が、台南城を占領する。
10/24:樺山台湾総督が、台南城に入る。
10/28:近衛師団長北白川宮能久親王が、台南で陣没する。
10/29:日本軍が、安平城を占領し、降伏した将兵五千を香港に移送する。
11/3:北白川宮能久親王を陸軍大将に任じる。
11/4:北白川宮能久親王の遺体が横須賀港に到着する。






