明治十年(1877)
主な出来事
2月:川路利良が鹿児島に送り込んだ密偵が私学校党に逮捕される。(「西南戦争」)
2/5:私学校で西郷隆盛をはじめ、私学校党首脳が討議を行い、率兵上京が決まる。
2/17:西郷隆盛が、鹿児島を発つ。
2/19:政府が鹿児島士族に対する追討令を発し、有栖川宮熾仁親王を征討総督、山県有朋、川村純義を参軍に任じる。
3/20:午前6時に征討軍が、田原坂への総攻撃し、これを攻略する。
4/14:川尻から進んだ征討軍が、熊本鎮台の籠城兵との合流に成功する。
5/26:木戸孝允が、死去する。
9/24:征討軍の城山への総攻撃が決行され、西郷隆盛以下、私学校党を討つ。
死没
2/27:西郷小兵衛(31:隆盛の末弟)
3/3:平川惟一(?:熊本士族)
3/4:谷村計介(?:熊本鎮台伍長)、篠原国幹(42:鹿児島士族)
4/8:宮崎八郎(27:熊本士族)
4/12:永山弥一郎(40:鹿児島士族)
4/14:田畑常秋(?:鹿児島県大書記官)
5/26:木戸孝允(45:桂小五郎、山口士族、政治家)
9/2:静寛院宮(32:仁孝天皇第八皇女、将軍徳川家茂室)
9/24:西郷隆盛(50:鹿児島士族)、桐野利秋(40:鹿児島士族)、村田新八(42:鹿児島士族)、桂久武(44:鹿児島士族)、池上四郎(36:鹿児島士族)、別府晋介(31:鹿児島士族)、辺見十郎太(29:鹿児島士族)
備考、その他
1月:
・地租が減額される。(「西南戦争」)
・私学校党が、鹿児島県内各地で集会を行う。
・鹿児島にある政府の弾薬庫から火薬や小銃の搬出が決まる。
1/9:海老原穆が、桐野利秋に書を送り、鹿児島士族の決起を促す。
1/11:二等中警部松山信吾が、情勢探索と説得のために鹿児島に入る。
1/21:政府から鹿児島に派遣された内務少輔林友幸が帰京の途に着く。
1/28:
・明治天皇が、京都に入る。
・陸軍卿山県有朋が、熊本鎮台谷干城司令長官に備えをなすように指令する。
1/29:私学校党が、草牟田の陸軍火薬庫を襲撃して、小銃弾薬を奪う。
1/31:私学校党が、磯の海軍造船所を襲撃して、小銃弾薬を奪う。
2月:川路利良が鹿児島に送り込んだ密偵が私学校党に逮捕される。
2/2:
・二等中警部松山信吾が、鹿児島を船で発つ。
・政情視察の為、アーネスト・サトウが鹿児島に入る。
2/3:
・鹿児島県磯の造船所が閉鎖される。
・西郷隆盛が、鹿児島に帰る。
2/4:西郷隆盛が、自身の暗殺を狙った者達を別々に収監するように指示する。
2/5:
・私学校で西郷隆盛をはじめ、私学校党首脳が討議を行い、率兵上京が決まる。
・宮崎士族島津啓次郎が、晑文黌を設立する。
2/6:
・私学校で作戦会議が開かれ、全軍熊本を経由して上京を目指すことが決まる。
・鹿児島勢の決起の報が宮崎に届く。
2/7:
・西郷隆盛が、大山綱良に対し、自身の暗殺について自ら率兵上京して大久保利通に尋問する旨を述べる。
・海軍大輔川村純良が、神戸を出航して鹿児島に向かう。
・大久保利通が、伊藤博文に書を送り、鹿児島での暴発に西郷は関わっていないとの認識を示し、全国の不平士族の反抗を取り締まるのにはかえって好都合であるとする。
2/9:
・アーネスト・サトウが鹿児島県令大山綱良に面会し、政府による西郷暗殺計画の存在を知らされる。
・海軍大輔川村純良が鹿児島湾に到着するも、上陸できずに、県令大山綱良に面会し、西郷隆盛との面会の仲介を依頼する。西郷はこれに応じるも、最終的に面会は中止となる。
・大久保利通が、鹿児島県令から派遣された渋谷彦助と面会し、騒動を起こした鹿児島士族に西郷隆盛が加担していないと伝えられ、その旨を岩倉具視に報じる。
・陸軍卿山県有朋が、各鎮台司令長官に警戒を命じる。
・島津啓次郎率いる佐土原隊が、鹿児島勢に加勢するために宮崎を発ち、熊本に向かう。
2/10:
・アーネスト・サトウが、西郷隆盛への暗殺計画の黒幕に川路利良と大久保利通がいると聞かされる。
・政府が鹿児島への派兵のため、全国の諸部隊に出動命令を発する。
2/11:
・熊本から鹿児島に入った密偵が、鹿児島士族の動向を報じる、
・西郷隆盛が、鹿児島病院を訪ね、アーネスト・サトウと面会する。この時、西郷には護衛として二十名ほどが付き添い、半ば監視されていたという。
・山県有朋の元に、熊本県より鹿児島に2万5千ほどの兵が集結したと報じられる。
・宮崎の飫肥隊が決起趣意書を作成する。
2/12:
・西郷隆盛、桐野利秋、篠原国幹が連名して、鹿児島県令大山綱良に率兵上京の方針を届け出る。
・海軍大輔川村純良が、鹿児島からの帰途、尾道から山県有朋、伊藤博文に事態の深刻さを報じる電報を打ち、熊本鎮台の警備強化を指示する。
・政府が、閣議にて大久保利通の京都派遣を決める。
・山県有朋が、三条実美に戦略方針を提出する。
・山県有朋の元に、鹿児島に入った密偵より鹿児島の兵力は4万7、8千人と報じられる。
2/13:小倉分営指揮官の乃木希典が、小倉を発ち、熊本鎮台に向かう。
2/14:
・二等中警部松山信吾が、新橋に到着し、警視局で鹿児島の様子を報告する。
・降雪の中、鹿児島の旧練兵場にて鹿児島士族の閲兵式が行われる。
・熊本鎮台が、城内の首尾部署を決定し、炊事所の建設と地雷の製造を開始する。
・夕刻、乃木希典が、熊本鎮台に到着する。
・島津啓次郎が、島津久光を訪ねて軍資金の提供を要請するも、拒否される。
・板垣退助が、東京を発ち、高知に向かう。
2/15:
・降雪の中、鹿児島士族の一番、二番大隊が鹿児島を発つ。
・鹿児島県庁が熊本鎮台に照会書を送り、鹿児島からの軍勢に従うように命じる。
・熊本鎮台が、火薬の散蔵を行い、防備を固める。
2/16:
・大久保利通が、京都に到着し、三条実美と会見して、自ら西郷説得のために鹿児島に向かう意志を示す。
・降雪の中、鹿児島士族の三番、四番大隊が鹿児島を発つ。
・西郷隆盛が、鹿児島県庁が熊本鎮台に発した照会書の内容を知り、これを取り消すよう、県第一課長近藤宏に指示する。
・熊本鎮台が、兵を城内に配備し、柵を設置し、橋を撤去するなどして防備を固める。
2/17:
・岩倉具視が、大久保利通らに書を送り、鹿児島の士族が挙兵の名分をを得るために策略を巡らしているようだと報じる。
・勅使として有栖川宮熾仁親王の鹿児島への下向が決まる。
・西郷隆盛が、鹿児島県令大山綱良と面会し、大久保利通への疑念を示した後、鹿児島を発つ。この時、西郷は島津家の磯邸門前を拝礼したという。
・岩倉具視が、木戸孝允に書を送り、鹿児島征討に断固たる決意を示す。
・宮崎の飫肥隊が、鹿児島勢に呼応して熊本に向けて発つ。
2/18:
・熊本鎮台より、鹿児島士族の侵攻が報じられ、勅使の派遣が中止となる。
2/19:
・政府が鹿児島士族に対する追討令を発し、有栖川宮熾仁親王を征討総督、山県有朋、川村純義を参軍に任じる。
・鹿児島県庁から派遣された原作蔵、篠原新平、宇垣栄之丞が、熊本鎮台参謀長樺山資紀に面会し、鹿児島からの伝達を伝えるも、樺山はこれを拒否する。
・熊本鎮台に鹿児島の士族に対する征討令が伝えられる。
・昼前に熊本城本丸が火災で炎上、消失する。夜に入って山県有朋が、大久保利通、伊藤博文に書を送り、熊本城火災の原因を究明中であると報じる。岩倉具視は三条実美に放火であろうと報じる。
・鹿児島勢の六番大隊が、八代を発つ。
2/20:
・鹿児島征討のため、第一、第二旅団が神戸を発つ。
・熊本県令が、三条実美に書を送り、熊本城の消失は放火の可能性があると報じる。
・鹿児島勢が熊本城攻略にあたって作戦会議を行う。
・会津出身で後の陸軍大将柴五郎が、鹿児島への征討令の発令を知り、日記に
「芋(薩摩)征伐仰せ出されたりと聞く。めでたし、めでたし」
と記す。
2/21:
・岩倉具視が、三条実美に書を送り、熊本城の消失は鎮台方の都合によるもので、心配する必要はないと報じる。
・午前1時に熊本鎮台の軍が、川尻の鹿児島勢に夜襲をかけるも、失敗する。
・午前7時に鹿児島勢が熊本城下に進入し、鎮台方と交戦する。
・午後1時20分に熊本分局が、伊藤博文に開戦を報じる。
・午後3時40分に熊本鎮台の電信線が断たれる。
2/22:
・政府の第一、第二旅団が博多に到着する。
・鹿児島勢が熊本城を総攻撃するも、攻略はならず。熊本鎮台参謀長樺山資紀が負傷する。
・夜間、鹿児島勢の作戦会議が開かれ、総攻撃の継続中止を決め、熊本城を包囲しつつ、政府の軍勢を迎え撃つ事とする。
・熊本士族の熊本党が、熊本県令に挙兵趣意書を提出する。
・植木にて、乃木希典率いる征討軍が、鹿児島勢と交戦して敗北し、連隊旗を奪われる。
2/23:
・政府の第一、第二旅団が博多を発ち、南下を開始する。
・熊本士族の熊本党が、鹿児島勢に合流する。
・宮崎の延岡隊が、鹿児島勢に呼応して熊本に向けて発つ。
・鹿児島勢が前日に引き続き熊本城を攻撃するも、攻略はならず。
・木場で、征討軍と鹿児島勢が交戦するも、征討軍が敗走する。乃木希典少佐も乗馬を撃たれながら、戦線を離脱する。
2/24:
・征討軍が高瀬に進出する。
・桐野利秋が、山鹿に入る。
2/25:
・山県有朋が博多に到着する。
・第一、第二旅団が、南関に進出する。
・西郷隆盛、桐野利秋、篠原国幹の官位が剥奪される。
・鹿児島勢が、高瀬の征討軍を攻撃するも、撤退する。
・鹿児島勢の主力部隊が、大窪に進出する。
2/26:
・征討総督有栖川宮熾仁親王が博多に到着する。
・熊本鎮台から谷村計介伍長が、高瀬の征討軍に派遣される。
・征討軍が山鹿の鹿児島勢を攻撃するも、退けられる。
2/27:
・宮崎の福嶋隊が、鹿児島勢に呼応して大分に向けて発つ。
・鹿児島勢が、高瀬を攻撃するも、退けられる。征討軍は三好重臣少将、乃木希典少佐が負傷し、鹿児島勢では西郷小兵衛が戦死する。
2/28:有栖川宮征討総督の訓諭が発令される。
3/1:高知立志社が、西郷隆盛に呼応しての決起を決める。
3/2:征討軍の進撃部署が決められる。
3/3:
・2/22に奪われた征討軍の連隊旗が熊本城包囲軍によって掲げられる。
・征討軍が、高瀬から進撃を開始し、木場、原倉まで進出する。
・山鹿の鹿児島勢が南関に向かうも、平川惟一が戦死する。
3/4:
・熊本県人吉の士族が鹿児島勢に呼応して決起し、熊本に向かう。
・征討軍伍長谷村計介が戦死する。
・征討軍が田原坂、吉次越を攻撃するも、退けられ高瀬まで後退する。鹿児島勢の篠原国幹が征討軍の江田国通少佐の指示を受けた狙撃手の銃撃で戦死する。その後、江田国通も戦死する。
・南関に進撃する桐野らの元に、田原坂での敗戦の誤報が入り、征討軍の追撃を受けながら山鹿に撤退する。
3/5:西郷隆盛が、自身への征討令の発令を知り、鹿児島県令大山綱良に書を送り、征討総督に対して抗議文を送るように依頼する。
3/6:長崎県の密偵島田欶九郎が、西郷隆盛が熊本に入ったとの情報を得る。
3/7:
・熊本城に立てこもった武蔵川越士族喜多平四郎が
「熊本の素よりかたき城ごもり、せむる甲斐なき鹿児島の人」
との詩を詠む。
・征討軍が、田原坂近くの二俣台を占拠する。
3/8:
・島津久光への勅使柳原前光が海路、鹿児島に到着し、県庁に対し、西郷らの官位剥奪を通知し、政府から派遣された警察の視察団の身柄引き渡しなどを申し入れる。
・宮崎の都城隊が、鹿児島勢に呼応して決起する。
・大警部上田良貞が川村純義と面会し、川村から戦局打開の為、抜刀突撃の必要性について耳にする。
3/9:
・岩倉具視が、三条実美に書を送り、各地の士族の動向に懸念を示す。
・アーネスト・サトウが、英国公使パークスに鹿児島の情勢を報じる覚え書きを発し、鹿児島士族が熊本鎮台参謀長樺山資紀が薩摩出身であることを当てににしていると伝える。
・宮崎の高鍋隊が、鹿児島勢に呼応して決起する。
・鹿児島出身で、征討軍の旅団会計部長の任にあった川口武定が、薩摩人の同士討ちとなっている西南戦争を日記で嘆く。
3/10:
・島津久光が、勅使と会見し、自らの中立の立場を明らかにする。
・陸軍少将三浦梧楼が、三個大隊を率いて岩村に到着する。
・鹿児島勢の村田新八が、征討軍に加わった大山巌を詰問する書を送る。
3/11:
・外務卿寺島宗則が、駐日英国公使館の日本語通訳官アーネスト・サトウに対し、鹿児島士族が、挙兵の名分を得るために警官から無理に自供を引き出したとする。
・大警部上田良貞らが、山県有朋に面会し、抜刀突撃部隊の編成と自らの参戦を申し入れるも、山県はこれを拒否する。
・大久保利通が、伊藤博文に書を送り、南方から熊本城の包囲を解く作戦を提案する。
3/12:
・西郷隆盛が、鹿児島県令大山綱良に書を送り、政府の対応を批判する。
・山鹿占領に向かう征討軍と鹿児島勢が交戦し、征討軍が退けられる。司令官の三浦梧楼が、山県有朋に増援を依頼するも、田原坂での苦戦を理由に断られる。
3/13:
・鹿児島に入った勅使が、視察団の身柄を預かり、弾薬を没収の上、県令大山綱良に同行を命じ、鹿児島を発つ。
・熊本鎮台兵が、熊本城下の段山に陣取る鹿児島勢を攻撃し、これを追い払う。
・長崎県の密偵が、森新三郎という人物から薩軍は西郷隆盛の指揮下にあるとの情報を得る。
・征討軍が、抜刀隊の編成を決定する。
・黒田清隆が、南側から熊本城への包囲を解く作戦を提案する。
3/14:大警部上田良貞に率いられた抜刀隊が田原坂の前線に投入される。
3/16:鹿児島勢の田中久太郎が征討軍に捕縛される。
3/17:
・征討軍が、山鹿に総攻撃をかけるも、退けられる。
・高知士族岩神昴が板垣退助に挙兵を促すも、これを受け入れず。
3/18:黒田清隆を参軍に高島鞆之助を加えた別働第二旅団が、長崎を出航し、八代へ向かう。
3/19:
・政府軍が、明朝を期して田原坂への総攻撃を決定する。
・征討軍別働第二旅団が熊本県須口に上陸する。
3/20:
・山県有朋が、田原坂を巡検し、犠牲者に思いを馳せて涙する。
・午前6時に征討軍が、田原坂への総攻撃し、これを攻略する。鹿児島勢の戦死者約130人に対して、征討軍には一人の死傷者も出ず。その後、植木を経て熊本に向かう途次において、鹿児島勢の反撃を受け、植木に撤退する。
・熊本県氷川にて征討軍別働第二旅団が、永山弥一郎率いる鹿児島勢と交戦する。この時、征討軍の津田三蔵が左手に貫通銃創を受けて入院する。
3/21:
・山鹿の鹿児島勢が、植木方面に撤退したため、征討軍が山鹿に進出する。
・氷川に展開していた鹿児島勢が砂川に後退する。
3/24:征討軍が木留を占拠する。
3/25:
・鹿児島勢が、木留を奪還する。
・陸軍少将山田顕義、川路利良に率いられた征討軍別働第二、第三旅団が、八代に上陸する。
3/26:別働旅団が、小川に進出する。
3/27:
・福岡で、民権党の越知彦四郎が鹿児島勢に呼応して決起して福岡県庁襲撃を企てるも、失敗する。
・後の陸軍大将柴五郎の兄四朗が、鹿児島への征討軍に参加する書を弟に届ける。
3/29:岩倉具視が、木戸孝允に書を送り、熊本城の救援作戦の成功を期待する。
3/30:征討軍が、鳥栖の鹿児島勢を攻撃するも、攻略はならず。
3/31:
・大分県士族増田宋太郎が、鹿児島勢に呼応して決起し、中津市庁、警察署を襲撃する。同時に三条実美に建白書を提出する。
・征討軍別働旅団が、松橋に進出する。
4/1:
・征討軍が木留を攻略する。
・征討軍別働旅団が、宇土に進出する。
4/3:
・別府晋介が、桐野利秋に書を送り、辺見十郎太と共に八代の征討軍を攻略し、三日以内に再会する計画を報じる。
・辺見十郎太が、永山弥一郎に連携しての攻勢を要請する。
4/4:熊本県庁の官員が、鹿児島勢の包囲をくぐり抜け、熊本城司令官谷干城の書を征討軍第三旅団に届ける。
4/6:
・荻迫の鹿児島勢を征討軍が攻撃するも、撃退される。
・八代近くで、征討軍と鹿児島勢が交戦し、鹿児島勢が撃退される。鹿児島勢の宮崎八郎が戦死する。
4/7:熊本鎮台司令官谷干城が、包囲網を突破して味方に合流する作戦を決断する。自ら指揮を執る意思を示すも、反対され、奥保鞏少佐に指揮を委ねることとする。
4/8:奥保鞏少佐率いる熊本鎮台の一隊が、包囲する鹿児島勢を突破して宇土に達して味方と合流する。
4/9:
・征討軍が隈府を攻略する。
・荻迫での戦闘で征討軍の乃木希典少佐が負傷して退却する。
・征討軍の軍艦鳳翔艦長山崎景則が、鹿児島方の別府隊、辺見隊に降伏勧告文を送る。
4/10:征討軍の軍艦鳳翔艦長山崎景則が、鹿児島方の別府隊、辺見隊に再度降伏勧告文を送る。
4/12:
・御船での戦闘にて、永山弥一郎が自刃する。
4/13:鹿児島勢が、本営を二本木から木山に移転する。
4/14:
・別働旅団が、川尻に進出する。
・川尻から進んだ山川浩率いる征討軍別働旅団が、熊本鎮台の籠城兵との合流に成功する。
・鹿児島県庁の田畑常秋大書記官が、私学校党と政府の板挟みで切腹する。
4/15:
・午前十一時に別働第一旅団が熊本城に入る。
・熊本城包囲が解かれたとの報が鹿児島勢の前線に入り、荻迫の鹿児島勢が撤退する。
4/16:西郷従道が、英国公使パークスと面会して別府晋介、淵辺群平、辺見十郎太が反乱の首謀者で、兄隆盛は騙されたと説明する。パークスが、隆盛に亡命を勧めては、と意見するも、従道は兄はそのような考えには応じないだろうと答える。
4/17:
・山県有朋が、西郷隆盛に宛てた書簡の原案を作成する。
・野村忍助と別府九郎が、木山の本営に桐野利秋を訪ね、今後の作戦を協議し、この地にて決戦に臨む方針を決する。
・征討軍が、御船、健軍を攻撃するも、退けられる。
4/18:
・小倉処平率いる飫肥隊が、矢部に到着する。
・別動旅団参軍の黒田清隆が、北海道開拓への復職のため、解職を申請する。
4/20:
・征討軍が、御船を奪還する。鹿児島勢の御船の司令官坂元仲平が戦死する。このため、鹿児島勢は本営を木山から矢部に移す。
・岩倉具視に高知県の情勢が報告される。
4/21:矢部郷内の浜町にて、鹿児島勢が作戦会議を開き、本営を人吉に移し、機会を窺う策に決する。。
4/22:西郷隆盛が、矢部から人吉に向かう。
4/23:山県有朋が、西郷隆盛にあてた書簡を17日作成の原案を書き改めて送付する。
4/24:
・山県有朋が、各旅団司令を召集して、作戦会議を開く。
・征討軍の川村純義が、27日を期しての海軍による鹿児島突入を指令する。
4/25:鹿児島勢熊本隊の佐々友房が、日記に「母は雨に泣き、児は風に叫ぶ。観る者凄然として涙下らざるはなし」と記す。
4/27:川村純義率いる陸海軍、警視隊が、鹿児島に上陸して県庁を占拠、私学校党を支援していた警部、巡査を罷免する。
4/28:
・江代にて、桐野利秋が西郷隆盛の命に応じて、人吉防衛のための軍の配備を行う。
・川路利良が、別動第三旅団を率いて大口へ向かう。
4/30:鹿児島勢の野村忍介率いる奇兵隊が、大分に向かう。
5/1:
・征討軍の密偵が、津曲善十郎なる鹿児島勢の武士宅に侵入し、弾薬に窮する中、英国から買い付けたとして弾薬が補給されたとの話を聞きつける。
・征討軍別動第三旅団が佐敷に到着する。
5/2:
・征討軍別動第三旅団が、水俣に到着する。
・大山綱良に代わる鹿児島県令岩村通俊が、鹿児島に到着する。
5/4:
・征討軍別動第三旅団が、大口近くで鹿児島勢と交戦する。
・曾我祐準率いる征討軍第四旅団が鹿児島に入る。
5/5:
・鹿児島県令岩村通俊が、県内に治安安定のための通達を行う。
・別府晋介らの率いる鹿児島勢が、鹿児島奪回を試みるも、征討軍に退けられる。
5/6:
・山県有朋が、人吉への進出を決める。
・征討軍が、神瀬、箙瀬を攻撃するも、退けられる。
・鹿児島県が、長崎県に米五千石の手配を要請する。
5/7:鹿児島県令岩村通俊が、西郷隆盛に書を送り、これ以上の犠牲を出さないように要請する。
5/10:征討軍が、宮園に進出する。
5/12:鹿児島勢の野村忍介率いる奇兵隊が、大分県重岡に進出する。
5/13:鹿児島勢の野村忍介率いる奇兵隊が、大分県竹田に進出する。
5/14:
・征討軍の密偵が、西郷隆盛の宿所は表札も番兵もない所に潜んでいると報じる。
・鏡山の熊本鎮台兵が、池上四郎率いる鹿児島勢に襲撃を受け、敗走する。
5/15:
・別動第二旅団が、戦場に残された鹿児島勢の弁当を調査して、兵糧物資の欠乏を確認する。
・鹿児島勢の破竹隊二番中隊が征討軍に降伏し、従軍を願い出る。
5/19:
・大久保利通が、西郷暗殺の黒幕として自身が取り沙汰されていることを、迷惑千万であると書中で書き述べる。
・「ニューヨーク・タイムズ」誌が、日本国内の平和と安定を願う記事を掲載する。
5/20:
・征討軍が湯治に進出する。
・熊本鎮台からの征討軍の援兵が、大分県恵良原に進出する。
・大分士族堀田政一らが率いる報国隊が、大分にいる鹿児島勢に加勢する。
5/22:
・征討軍の密偵が、西郷隆盛が人吉で病人と下げ札した場所に潜んでいると報じる。
・征討軍別動第三旅団が、鏡山を奪取する。
・征討軍が恵良原から竹田に向かって進撃を開始し、鹿児島勢と交戦する。
5/24:征討軍が、神瀬箙瀬の鹿児島勢を撃破する。
5/25:征討軍が、葛原越を抜け、三田井に進出する。
5/26:
・木戸孝允が、死去する。
・征討軍の山田顕義が、30日を期して人吉を総攻撃する司令を下す。
・負傷から復帰した津田三蔵ら征討軍別動第一旅団が、鹿児島港に入る。
・板垣退助が、力石八十綱と面会して、武力ではなく、建白によって政府と対決する意向を示す。
5/27:征討軍が、人吉を目指して移動を開始する。
5/29:
・西郷隆盛が、人吉を撤退して宮崎へ向かう。
・征討軍別動第一旅団の津田三蔵が、貴一に書を送り、焼き払われて人気のない鹿児島市中の様子を報じる。
・征討軍が、竹田を奪回する。
5/30:征討軍が、人吉への総攻撃を開始する。
5/31:征討軍が、ロケット砲を使用して人吉を攻撃する。
6/1:
・征討軍が、人吉を攻略する。
・鹿児島勢の奇兵隊が大分県臼杵に進出する。
・板垣退助が、西郷隆盛の決起を痛烈に批判する。
6/3:政府が警視隊千二百人の四国派遣を決定する。
6/5:伊藤博文が、山県有朋に書を送り、高知立志社からの建白書の存在を報じ、「愚論」と談じる。
6/6:政府から陸軍中佐北村重頼が高知に派遣され、武器弾薬を買い上げて大阪に輸送する。
6/7:鹿児島勢協同隊の36名が、鹿児島出身者の他国者への優越的態度に反発し、除隊して大分に向かう。
6/8:別動第一旅団の密偵が、人吉陥落にあたって西郷隆盛が自身の始末について発言し、桐野利秋、村田新八に説得されて落ち延びたと報じる。
6/9:
・高知立志社の片岡健吉が、京都の行在所に建白書を提出する。
・大久保利通が、品川弥二郎に書を送り、高知立志社からの建白書を批判する。
6/10:征討軍が、臼杵を奪回する。
6/11:征討軍が出水近くにまで進出する。
6/12:
・征討軍に降伏した田口敬之助が、降伏を希望していたが、強制され、止むを得ず戦ったと述べる。
・政府が高知立志社の提出した建白書を不都合として返却する。
6/14:高知士族村松正克と藤好静が逮捕される。
6/17:宮之城にあった鹿児島勢勇義隊の一部が降伏して、鹿児島勢に攻撃を加える。
6/18:征討軍が、大口に向かって進撃を開始する。
6/19:河野主一郎率いる鹿児島勢が、飯野付近の征討軍を襲撃する。
6/20:征討軍が、高熊山、大口に進出する。
6/21:
・征討軍の密偵を務めた三好退蔵が、私学校の生き残りは三千人程度で、残りは半強制的に動員されたものとの認識を報じる。
・征討軍が、重岡を奪回する。
6/22:征討軍の増援部隊が、鹿児島近くの重富に上陸し、鹿児島の守備隊と連絡に成功する。近辺に布陣していた鹿児島勢は加治木方面に撤退する。
6/25:征討軍が、延岡近くの大人に総攻撃を行うも、退けられる。
6/29:征討軍が、蒲生に進出する。
6/30:征討軍が、加治木に進出する。
7/1:征討軍が、横川に進出する。
7/3:熊本、八代から南下した征討軍と鹿児島に上陸した部隊が加治木にて連絡に成功する。
7/10:飯野付近の鹿児島勢が敗れて、小林から高原、野尻方面へ撤退する。
7/14:征討軍が、高原に進出する。
7/15:政府方長崎県の密偵が、西郷隆盛には百五十人の警固が付いていると報じる。
7/16:山県有朋が、国分に到着する。
7/18:征討軍が、野尻に進出する。
7/21:征討軍の都城への進撃が決定する。
7/24:征討軍が、都城に進出する。
7/26:山県有朋が、宮崎攻略への攻撃部署を決定する。
7/27:別府晋介が、宮崎近くでの戦闘で負傷する。
7/28:征討軍が、紙屋、漆野、綾、清武に進出する。
7/29:
・征討軍が、森永、高岡に進出し、鹿児島勢の弾薬を奪取する。
・西郷隆盛が、宮崎を脱出して北上する。
7/31:
・征討軍が、佐土原に進出する。
・征討軍が、宮崎軍務所を攻略する。
・宮崎都農神社の宮司永友司が、近くに西郷隆盛が宿泊した様子を厳重な警備で姿は見られずと日記に記す。
8月:高知士族林有造が逮捕される。
8/2:征討軍が、高鍋に進出する。
8/3:山県有朋が、佐土原に入って美々津攻撃の部署を定める。
8/4:征討軍が、美々津攻撃に向かう。
8/6:
・征討軍の児玉源太郎が、山県有朋に面会し、大分方面の苦戦に恐縮する意を示す。
・西郷隆盛が、配下の諸隊に奮戦を促す回文を発す。
8/7:征討軍が、美々津川を渡河する。
8/9:山県有朋が、14日に延岡への総攻撃実施を決定する。
8/10:九州臨時裁判所が、前鹿児島県令大山綱良に死罪を申し渡す。
8/11:征討軍が大人に進出する。
8/14:
・征討軍が、延岡を攻略する。
・和田越にて鹿児島勢が作戦会議を開き、西郷隆盛自らが軍の指揮に当たることに決する。
8/15:長尾山、無鹿山を征討軍が攻略し、和田越の鹿児島勢が、征討軍に包囲される。
8/16:鹿児島勢が、軍儀を開き、包囲網を突破して脱出することに決する。
8/17:鹿児島勢が、可愛岳山頂を目指して行軍を開始する。
8/18:鹿児島勢が、可愛岳山頂の征討軍を破り、包囲網からの脱出に成功する。
8/21:
・鹿児島勢が、三田井の征討軍を破り、物資弾薬を奪う。夜の軍儀で、鹿児島に向かうことに決する。
・東京上野公園にて、第一回内国勧業博覧会が開催される。
8/28:鹿児島勢が、小林に到着する。
8/29:征討軍第二旅団が、加治木に本営を設置し、鹿児島勢の迎撃態勢を整える。
8/30:横川、加治木周辺で鹿児島勢と征討軍が交戦する。
8/31:山県有朋が、西郷従道と鳥尾小弥太に書を送り、鹿児島勢を取り逃がしたことに慙愧の念を表す。
9/1:鹿児島市内に西郷隆盛らが突入し、城山を中心とする一帯を占拠する。
9/4:征討軍と鹿児島勢とが、鹿児島市内で市街戦を戦い、鹿児島勢が退けられる。
9/9:山県有朋が、城山を包囲する各旅団に指示を発する。
9/10:福島県の民権運動家河野広中が、高知にて板垣退助と面会する。
9/22:西郷隆盛が、配下の将兵に対し、最後の戦いに備えるよう檄文を発する。
9/23:
・城山から鹿児島勢の使者として、河野主一郎と山野田一輔が征討軍の本営に入り、川村純義と面会して西郷隆盛の助命を願うも、川村はこれを拒否し、降伏を促す。河野は征討軍の陣に留まり、山野田が西郷の元に帰り復命する。この時、山県有朋が西郷宛の書簡を山野田に託す。
・鹿児島勢の本営で決別の宴が催される。
9/24:
・征討軍の城山への総攻撃が決行され、西郷隆盛以下、私学校党を討つ。
・山県有朋が、西郷隆盛の首を実検し、涙を流す。
・熊本鎮台参謀長樺山資紀が、城山陥落について、日記に「意外神速落城愉快」と記す。
9/26:大山巌が、西郷家に見舞金を送り、隆盛への弔意を示す。
12月:私学校に逮捕された面々の無罪放免が確定する。






