寛正三年(1462)
主な出来事
2月:扇谷上杉持朝が謀叛して古河公方足利成氏に内通したとの噂が流れる。(「戦争の日本史9」)
死没
6/15:小笠原持長(67:前信濃国守護)
12/29:結城成朝(24:下野結城城主)
備考、その他
・山名是豊が、備後、安芸、石見国人を率いて、河内嶽山城の畠山義就を攻撃する。(「人物叢書 山名宗全」)
2/9:将軍足利義政、母日野重子のために築造した高倉御所に御成を行い、泉水の普請を始める。(「戦争の日本史9」)
3月:相模の三浦時高が隠退を表明する。
3/6:将軍足利義政、堀越公方足利政知に対し、上杉持朝謀叛の噂について、代々忠節の者であり、よく申し含むようにと命じる。
3/29:将軍足利義政、三浦時高に御内書を送り、復帰を求める。
4月:下総の千葉実胤が連年の在陣で困窮したと隠退を表明する。
4/7:三浦時高、隠退のため、相模国三浦に帰る。
4/13:将軍足利義政、日野勝光に三条実雅の領していた十三ヶ所の土地を与える(いずれも義政の父義教が日野家から没収した土地)。
4/23:将軍足利義政、千葉実胤に御内書を送り、復帰を求める。
6/8:堀越公方の奉行人布施貞基が鎌倉浄智寺の寺領伊豆国加茂郡加納郷を押領したとして訴えられ、その返付を命じる幕府の奉書が渋川義鏡に発せられる(以降、渋川義鏡に向けた御内書の発給が絶える)。
6/9:日野重子の住む高倉御所の泉水が完成する。
6/11:高倉御所の泉水に水鳥を放つ。
6/21:小栗宗湛に高倉御所の障子絵を描かせる。
7/17:高倉御所の亭子(東屋)が完成する。
8月:山名氏と京極氏との対立が表面化する。(「人物叢書 山名宗全」)
9/15:所司代多賀氏の弟が切腹して、山名、京極両氏の対立が収束する。(「人物叢書 山名宗全」)
12/7:将軍足利義政、足利政知に対し、駿河国人の兵糧料所に干渉しないように命じる。
12/29:下野結城城主、結城成朝が家臣の多賀谷朝経に暗殺される。






