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参考文献


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長禄二年(1458)

主な出来事
・山名宗全、赤松氏旧臣の石見太郎左衛門を暗殺する。(「戦争の日本史9」)
3月:赤松氏旧臣小寺藤兵衛、越智家栄の協力を得、小川弘光と共に神璽を奪回する。
7/25:将軍足利義政、内大臣に任じられる。
8/9:山名宗全、入京して将軍義政と対面し、赦免される。
8/30:神璽が入京し、内裏に安置される。
10/14:季瓊真蘂、将軍足利義政に赤松次郎法師(政則)への恩賞に関して伺いを立てる。
11/10:関東で幕府方が敗れたとの注進が幕府へ届けられる。
11/19:管領細川勝元の仲介で赤松次郎法師が将軍足利義政に対面を果たし、赤松氏の再興が成る。
11/27:将軍足利義政、上御所の地に室町殿の新造を管領細川勝元らに命じる。



備考、その他
・季瓊真蘂が蔭涼職に復帰する。(「戦争の日本史9」)
2/29:将軍足利義政、甲斐常治を諭し、斯波義敏と和解させる。
3/7:山名宗全が但馬楞厳寺領を安堵する。(「人物叢書 山名宗全」)
3/17:関東の岩松政国に将軍義政の御内書及び、鎌倉公方政知奉行人奉書が発給され、幕府方への帰服について交渉が行われる。
4/28:将軍足利義政、奥州に宇都宮等綱を派遣し、白川直朝に関東への出陣を命じる。
5月:近江守護六角氏で亀寿丸とその従兄弟政堯との家督相続争いが表面化する。(「戦争の日本史11」)
6/中:幕府、斯波義敏と甲斐常治に関東への出陣を命じる。
6/末:越前、尾張、遠江国守護代甲斐常治、腫れ物を患う。
7月:越前国内で守護斯波義敏方と守護代甲斐常治方が合戦に及ぶ。
7/24:堀越公方足利政知より、渋川義鏡らに足利成氏討伐への出陣命令が下される。
7/29:将軍足利義政、信濃国守護小笠原光康に関東への出陣を命じる。
8/3:岩松持国より幕府への帰参について、請文が到来する。
8/7:斯波義敏被官の堀江利真が越前国へ侵攻し、甲斐方を破り、敦賀の代官大谷将監が自害する。
8/17:将軍足利義政、奥州の白川直朝に関東への出陣を命じる。
8/27:将軍足利義政、信濃国守護小笠原光康に関東への出陣を命じ、奥州に有良西堂を使節として遣わす。
8/28:南朝方から奪い返した神璽が奈良に到着する。
8/29:管領細川勝元、奥州の白川直朝に前日より合わせて三通の書を送り、関東への出陣がなければ、これまでの忠節はなかった事とし、出陣がなるまで、使者を現地に逗留させるので、奥州探題大崎教兼と相談の上、出陣するように要請する。
9/17:将軍足利義政、越前国内の争乱を憂慮し、守護斯波義敏に屋形からの退去と関東への出陣を命じ、守護代甲斐常治ら、有力国人を幕府に出仕させる。
9/下:将軍義政と堀越公方政知より御教書が岩松持国にもたらされる。
11/1:甲斐常治の子敏光が近江国海津に布陣し、越前国侵攻を窺う。
11/4:幕府が播磨多可荘の闕所地を伏見大光明寺に引き渡すように山名宗全に命じる。(「人物叢書 山名宗全」)
11/10:赤松勢が、加賀国宮保に布陣するも撤退する。
11/11:幕府、斯波義敏に11月15日までに尾張へ、甲斐常治には遠江まで出陣するように命じる。
11/15:斯波義敏、京都を出陣し、近江国石山に陣を張る。
11/25:烏丸の将軍第の山水が完成する。
12/1:斯波義敏、布陣する近江国坂田郡小野から幕府に対し、鎌倉までの兵糧と人夫の調達を甲斐常治に命じるように要請する。
12/5:室町殿の新造の作事事始があり、将軍義政、これを見物する。
12/23:幕府が播磨の南禅寺領の諸役免除、使者入部停止を山名宗全に命じる。(「人物叢書 山名宗全」)








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