慶長八年(1603)
主な出来事
1/1:諸大名が大坂城に出仕して豊臣秀頼に新年の挨拶を行う。徳川家康は伏見にあって大坂城に出仕せず。(「北政所と淀殿」)
1/2:諸大名が、伏見城の徳川家康に新年の挨拶を行う。(「北政所と淀殿」)
2/8:徳川家康が大坂城に出仕して豊臣秀頼に新年の挨拶を行う。(「北政所と淀殿」)
2/12:徳川家康、右大臣、征夷大将軍に任じられる。(「上杉景勝のすべて」)
3/27:徳川家康が二条城において将軍宣下を行う。(「北政所と淀殿」)
7/28:徳川秀忠の娘、千姫が大坂城に入る。(「北政所と淀殿」)
9月:宇喜多秀家が、八丈島へ流罪となる。(「戦争の日本史17」)
11/3:北政所に「高台院」の院号が勅賜される。(「北政所と淀殿」)
生誕
・春姫(浅野幸長娘、尾張藩主徳川義直室)
死没
2/5:三の丸殿(?:織田信長娘、豊臣秀吉側室、二条昭実室)
9/11:武田信吉(21:徳川家康五男、常陸水戸城主)
備考、その他
・徳川家康六男松平忠輝が、信濃川中島十二万石に加増移封される。(「江戸大名家血族事典」)
・徳川家康九男五郎太丸(後の義直)が甲府二十五万石の藩主となる。(「江戸大名家血族事典」)
1月:島津忠恒が、薩摩に帰国する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
1/10:毛利輝元が国元に充てて、豊臣秀頼への関白任官が行われるだろうとの見通しを報じる。(「戦争の日本史17」)
2/12:上杉景勝、直江兼続に本多正信を通じ、徳川秀忠に家康将軍宣下の祝賀を述べる。(「上杉景勝のすべて」)
2/21:
・徳川家康、上杉景勝に江戸桜田に屋敷地を与える。初代江戸家老は千坂景親。
・伏見城の徳川家康に、征夷大将軍の宣旨が届けられる。(「北政所と淀殿」)
3/7:本多正信、上杉景勝からの家康将軍宣下の祝賀に対し、答謝する。
4/20:相国寺の承兌が、その日記の中で大坂城への勅旨派遣を書き留め、それが豊臣秀頼の関白任官ではないかと推測する。
5/15:徳川秀忠の娘、千姫が伏見城に入る。(「北政所と淀殿」)
5/27:徳川秀忠が、上杉景勝が上洛の供を申し入れた事に謝辞を述べ、供は無用であるとの書を送る。(「上杉景勝~転換の時代を生き抜いた人生」)
7/26:島津義久が、義弘に書を送り、宇喜多秀家の処遇について、徳川家臣山口直友の与力和久甚兵衛に相談するように報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
7/30:島津義弘が、忠恒に書を送り、下向してきた徳川家臣山口直友の与力和久甚兵衛が立腹した件について、尤もであると述べる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
8/5:島津義弘が、忠恒に書を送り、宇喜多秀家が島津領に入って以来、対面を控えてきたが、秀家の上洛にあたって、挨拶の為に秀家の元を訪れたと報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
8/6:宇喜多秀家が、大隅国牛根を発ち、上洛の途につく。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
8/7:京都冷泉室町の住人九~十人が組を成し、連帯責任によって犯罪を抑えるべく、名簿と起請文を京都所司代板倉勝重に提出する。(「雑兵たちの戦場」)
9/2:徳川家臣山口直友が、島津義久に書を送り、宇喜多秀家の身命を保障する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
9/10:京都中立売町の住人十人が組を成し、連帯責任によって犯罪を抑えるべく、名簿と起請文を京都所司代板倉勝重に提出する。(「雑兵たちの戦場」)
9/11:徳川家康五男武田信吉が死去し、常陸水戸の所領が没収され、替わって家康十男義宣が水戸城二十万石を領す。(「江戸大名家血族事典」)
10月:
・江戸に上杉邸が竣工する。
・立花宗茂が、徳川家康、秀忠親子に謁し、陸奥棚倉一万石を賜る。(「戦争の日本史17」)
・丹羽長重が、徳川家康、秀忠親子に謁し、常陸古渡一万石を賜る。
10/20:上杉景勝、米沢を発つ。
11/1:上杉景勝、江戸を発つ。
11/17:上杉景勝、伏見で徳川家康に謁見、次いで大坂で豊臣秀頼に謁見する。






