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参考文献


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慶長七年(1602)

主な出来事
・島津忠恒が、薩摩に匿っていた宇喜多秀家を徳川家康に引き渡す。秀家の身柄は駿河久能山に預けられる。(「戦争の日本史17」)
5/1:京都で二条城の築城工事が始まる。(「北政所と淀殿」)

生誕
鷹司孝子(徳川家光正室)
初姫(徳川秀忠四女、京極忠高室)

死没
・徳川長丸(秀忠長男)
2/1:井伊直政(42:彦根城主)
8/11:伊集院忠真(27:忠棟の子)
9/12:樋口兼豊(?:上杉家臣、直江兼続の父)
10/18:小早川秀詮(21:岡山城主)
12/12:織田信高(?:織田信長の子)



備考、その他
・宇喜多氏旧臣岡越前守が、備中国内に六千石を与えられ、同じく楢村監物が二千石を与えられる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・徳川家康六男松平忠輝が、従五位下上総介に任じられ、下総佐倉五万石を与えられる。(「江戸大名家血族事典」)
・徳川秀忠の長男長丸が死去する。
3月:加賀藩が、佐渡の金山に領内から渡海する人々から渡航税を取る他、領内の百姓の動きを封じるように指令する。(「雑兵たちの戦場」)
春:朝鮮政府が、対馬に使者を派遣する。(「戦争の日本史16」)
4月:
・加藤清正が明国に被慮人を送還すると共に、講和を求める書簡を発する。
4/11:徳川家康が島津龍伯(義久)に誓詞を出し、島津氏分国と義久、義弘、忠恒の身上を保障する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
4/20:小早川秀詮が、北政所に黄金五十枚の借用を申し入れる。(「北政所と淀殿」)
5月:対馬の宗氏が、朝鮮に使者を派遣する。
6月:対馬の宗氏が、朝鮮に使者を派遣する。
6/10:島津忠恒が、島津忠長に書を送り、島津義久の上洛について、義久周辺の対応の遅れを嘆く。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
6/22:島津義久が、忠仍に書を送り、来月には自ら上洛するつもりなので、その前に時間が出来次第、忠仍に来てもらいたいと要請する。。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
7/11:島津義弘が、忠恒に書を送り、義久上洛の延期を喜び、上洛の件に関しての談合を決して口外してはならないと伝える。。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
8月:島津忠恒が薩摩を発ち、上洛の途につく。。(「戦争の日本史17」)
8/10:島津忠恒が、義久と対面し、誓詞の草案を提示する。この時、義久から忠恒の上洛について忠孝に欠けると言われる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
8/11:島津忠恒が、義久に書を送り、義久はじめ、周囲の反対を押し切って上洛するつもりであるが、決して自らの野心からの挙ではないと伝える。。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
8/18:島津忠恒が、伊集院忠真を殺害する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
9月:対馬の宗氏が、橘智正を使者として朝鮮に派遣する。
10月:
・直江兼続が、上杉景勝の名代として江戸城に登城する。(「上杉景勝のすべて」)
・織田信包~宇喜多秀家に仕えてきた進藤正次が、徳川家康に旗本として取り立てられ、伊勢に五百石を与えられる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
12月:島津忠恒が徳川家康に拝謁する。
12/7:加賀藩が、他国の金山に向かう事を禁じる法令を発する。(「雑兵たちの戦場」)
12/30:醍醐寺三宝院の義演が、その日記の中で豊臣秀頼の関白任官の噂について書き留める。



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