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参考文献


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慶長二年(1597)

主な出来事
2/21:豊臣秀吉が朝鮮への再派兵に関する陣立てと条々を発する。(「戦争の日本史16」)
7/14:巨済島沖海戦 ○藤堂高虎、脇坂安治、加藤茂勝vs元均●
8/15:日本軍が南原城を攻略する。
9/16:鳴梁海戦 ●藤堂高虎、加藤茂勝、来島通総vs李舜臣○
11月:上杉景勝が、越後国郡絵図を作成する。(「上杉景勝のすべて」)
12/22:明、朝鮮連合軍が、蔚山城への攻撃を開始、城外の毛利勢が城内に引き上げる。夜、加藤清正が西生浦から蔚山に到着し、自身の船を西生浦に返し、諸将に救援を要請する。


生誕
千姫(徳川秀忠長女、豊臣秀頼~本多忠刻室)

死没
6/12:小早川隆景(65:備後三原城主)
9/16:来島通総(37:伊予来島島主)

備考、その他
1/14:加藤清正が、朝鮮多大浦に上陸する。(「戦争の日本史16」)
1/19:島津義久が、忠恒に書を送り、家臣団への加増処理について、上方より許しが出たものの、すべては無理なので、出来るところから島津義弘、忠長らと相談して見直すと報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
1/20:
・太閤豊臣秀吉が、上杉景勝に対して伏見の舟入普請を命じる。直江兼続、これを監督し、完成後に普請場御殿を秀吉より賜る。(「上杉景勝のすべて」)
・柿崎憲家が、伏見城舟入普請において故あって上杉家から改易、追放される。
・石田三成家臣安宅秀安が、島津忠恒に書を送り、島津家臣団への加増について、拒絶する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
2/10:上杉家臣直江兼続が、分国内で伏見城普請に派遣する人夫を割り当てる。その際、他所から人を雇っての派遣を禁じる。(「雑兵たちの戦場」)
2/11:島津忠恒が、義弘に書を送り、増援を送らない国元の留守居衆に怒りを露わにする。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
2/16:上杉景勝が、普請奉行の山田雅楽助に春日山城の普請と修築を命じる。
2/21:
・島津義弘が大隅帖佐を出陣する。
・豊臣秀吉が朝鮮への再派兵に関する陣立てと条々を発する。

2/21付・豊臣秀吉陣立て書による渡海軍編成
姓名 城地 兵数
先手(加藤清正と小西行長、その他諸隊が籤取りで先手と二番目を交互に務める)
加藤清正 肥後熊本 一万
小西行長 肥後宇土 七千
宗義智 対馬府中 五千
松浦鎮信 肥前平戸 三千
有馬晴信 肥前日野江 二千
大村喜前 肥前大村
五嶋玄雅 肥前福江 七百
三番
黒田長政 豊前中津 五千
毛利吉成、吉政 豊前小倉 二千
島津豊久 日向砂土原 八百
高橋元種 日向県 六百
秋月種長 日向高鍋 三百
伊東祐兵 日向飫肥 五百
相良頼房 肥後人吉 八百
四番
鍋島直茂 肥前佐賀 一万二千
五番
島津義弘 大隅栗野 一万
六番
長曽我部元親 土佐浦戸 三千
藤堂高虎 伊予宇和島 二千八百
池田秀雄 伊予国分 二千八百
加藤茂勝 伊予松前 二千四百
来島通総 伊予来島 六百
中川秀成 豊後岡 千五百
菅達長 淡路国内 二百
七番
蜂須賀家政 阿波徳島 七千二百
生駒一正 讃岐高松 二千七百
脇坂安治 淡路洲本 千二百
八番
毛利秀元 安芸広島 三万
宇喜多秀家 備前岡山 一万
釜山浦城
小早川秀秋 筑前名島 一万
御目付
太田一吉 豊後臼杵 三百九十
安骨浦城
立花宗茂 筑後柳川 二千五百
加徳城
高橋直次 筑後江浦 五百
筑紫広門 筑後福島 五百
竹島城
小早川秀包 筑後久留米
西生浦城
浅野長慶 甲斐府中 三千
注:兵数はあくまで指令上の事で、実際に渡海した数には多かれ少なかれ差異がありました。

2/29:島津忠恒が、比志島国貞、伊集院久治らと連署して朝鮮在陣衆への知行宛行状を発行する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
3/7:豊臣秀吉が、辻斬り、スリ、盗人停止を定めた七箇条の掟を発する。(「雑兵たちの戦場」)
3/21:加藤清正が、西生浦の陣中にて朝鮮の義兵僧惟政と会談し、日本と朝鮮の和議について、意見を交わす。(「戦争の日本史16」)
4月:島津義弘が、朝鮮へ渡海する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
4/20:豊臣秀吉が、大坂城の城門に関する掟十三ヶ条を発する。(「北政所と淀殿」)
4/30:島津義弘が加徳島に到着し、在番の忠恒と合流する。
5/14:淀殿と豊臣秀頼が、伏見城二の丸に入る。(「北政所と淀殿」)
5/22:小早川秀俊が大坂城を出陣する。
5/30:沈惟敬が加藤清正との会見を拒否する。
6/16:毛利秀元が安芸広島を出陣する。
6/29:小早川秀俊が名護屋城を出陣する。
7/7:長曽我部元親、太田一吉らが釜山に上陸する。
7/13:伊集院忠棟が、朝鮮在陣中の島津忠恒に書を送り、増援の軍勢の派遣には応じられない旨を伝える。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
7/14:巨済島沖海戦 ○藤堂高虎、脇坂安治、加藤茂勝vs元均●
7/17:小早川秀俊が釜山に上陸する。
7/20:浅野長慶(幸長)が西生浦城に入る。
8/6:太田一吉の従軍僧慶念が、日本軍の焦土作戦と虐殺、拉致行為を初めて目撃する。
8/8:太田一吉の従軍僧慶念が、日本軍が子供を拉致し、親を斬り捨てる残虐行為を目にし、「互いの嘆きは獄卒の責めなり」と日記に記す。
8/12:日本軍が南原城を包囲する。
8/15:日本軍が南原城を攻略する。
8/16:
・日本軍が黄石山城を攻略する。
・熊谷直盛、垣見一直、早川長政が黒田長政へ鼻23の受け取り証文を発する。
8/17:熊谷直盛、垣見一直、早川長政が黒田長政へ鼻40の受け取り証文を発する。
8/19:日本軍が全州を占拠する。
8/22:熊谷直盛、垣見一直、早川長政が黒田長政へ鼻7の受け取り証文を発する。
8/27、28:石田三成が、島津義久と面談し、島津家臣団の内情について問いつめる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
9月:
・宇喜多秀家ら左軍諸将が朝鮮民衆に向けての定書を発する。
・上杉景勝が、河村彦左衛門尉に命じて越後国内の検地を行う。
9/5:早川長政が黒田長政へ鼻3000の受け取り証文を発する。
9/7:
・稷山の合戦 △黒田長政vs明軍△
・竹中隆重、太田一吉が黒田長政へ鼻85の受け取り証文を発する。
9/8:
・黒田長政勢に毛利秀元が合流し、明軍が稷山から撤退する。
・熊谷直盛が島津義弘へ鼻250と生け捕り10人の受け取り証文を発する。
9/10:黒田長政、毛利秀元が安城に入る。
9/11:島津義弘が鼻61の受け取り証文を得るために使者を送る。
9/13:
・豊臣秀吉の元に南原城攻略が報じられ、折り返し在鮮諸将に感状を発する。長束正家、増田長盛が副状を発する。
・竹中隆重が黒田長政へ鼻241の受け取り証文を発する。
9/14:竹中隆重が黒田長政へ鼻510の受け取り証文を発する。
9/15:
・竹中隆重が黒田長政へ鼻457の受け取り証文を発する。
・島津勢が井邑に入る。
9/16:井邑で日本軍諸将が軍議を行う。
9/17:
・竹中隆重が黒田長政へ鼻372、同244の受け取り証文を発する。
・鍋島清茂(勝茂)が、国元に自軍の動向を報じる。
9/18:
・島津忠恒が井邑を発つ。
・鍋島清茂が井邑を発ち康津に向かう。
9/19:竹中隆重が黒田長政へ鼻300、同223の受け取り証文を発する。
9/22:豊臣秀吉の元に黄石山城攻略が報じられ、折り返し在鮮諸将に感状を発する。
9/24:豊臣秀吉が、徳川家康、富田知信、織田有楽らを従えて、伏見の大谷吉継邸を訪ねる。(「歴史読本2009年7月号」)
9/25:
・豊臣秀吉が「大明・朝鮮の群霊」のために塚を築いて供養を行う(現在の耳塚?)。
・島津忠恒が海南に到着する。そこへ朝鮮民衆90人が投降して、上官の潜伏先を告げる。
9/末:島津勢が朝鮮の上官逮捕のために山狩りを行う。
10/上:
・加藤清正が、蔚山に到着する。
・黒田長政が、梁山に到着する。
10/1:熊谷直盛、垣見一直、早川長政が、鍋島清茂に鼻3369の受け取り状を発する。
10/2:島津勢が海南に潜む朝鮮の上官を一人殺害し、一人を逮捕する。
10/9:
・海南の朝鮮民衆が山中に潜む上官を捕縛し、島津勢に引き渡す。
・鍋島清茂が、康津郡の年貢高を定める。
10/10:
・島津勢が、海南から康津に移動する。
・島津義久が、本田正親に書を送り、8/27、28日に石田三成より伊集院久治と鎌田政近の二人に問題があるかどうか、問い合わせを受けた旨を報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
10/18:越中の本願寺門徒に関して、前田長種が掟書を定める。(「戦争と日本史14」)
11/11:太田一吉の従軍僧慶念が、蔚山城築城の突貫工事の様子を目撃する。
11/12:太田一吉の従軍僧慶念が、兵から水夫、職人までが蔚山城の築城に従事させられ、材木の調達のために山で敵の襲撃を受けて殺される者、些細な罪で見せしめのために殺されて晒される者達を目撃する。
11/13:太田一吉の従軍僧慶念が、兵から水夫、職人までが蔚山城の築城に従事させられ、罪を犯した者が牢に入れられ、首をくくられ、焼き印を押される様子を目撃する。
11/16:太田一吉の従軍僧慶念が、兵から水夫、職人までが蔚山城の築城に従事させられ、材木の調達のために山へ追い立てられ、小さな材木を持ってくると再度山に遣わされた挙げ句に山中で敵に殺される者も多く、ついに逃亡者も現れるようになる様子を目撃する。
11/19:太田一吉の従軍僧慶念が、人買い商人と、首を縄でくくられて連行される朝鮮人を目撃する。
11/29:豊臣秀吉が、中川秀成に対し、役に立つ朝鮮人の進上を命じる。
12/1:加藤清正が、豊臣秀吉に清州で朝鮮国王の近親者を拘留したと報じると共に、鷹や鶴、拉致した朝鮮人を進上する。
12/3:権慄率いる朝鮮軍が漢城を発ち、蔚山に向かう。
12/7:楊鎬、麻貴率いる明軍が漢城を発ち、蔚山に向かう。12/9:島津忠恒が、朝鮮人捕虜三十人と水夫など、合せて35人を薩摩へ帰国させる。
12/下:泗川新城が完成する。
12/21:明、朝鮮連合軍が蔚山城北方に布陣する。
12/22:明、朝鮮連合軍が蔚山城への攻撃を開始、城外の毛利勢が城内に引き上げる。夜、加藤清正が西生浦から蔚山に到着し、自身の船を西生浦に返し、諸将に救援を要請する。
12/23:明、朝鮮連合軍が蔚山城を攻撃し、城方は惣構えを放棄して城内に立て籠もる。籠城軍は加藤清正を守将とする事に決し、普請役の浅野長慶、毛利家臣宍戸元続が清正に城の引き渡しを行う。
12/24:明、朝鮮連合軍が蔚山城を攻撃する。城内から投降者が相次ぐ。
12/26:
・蔚山城内にあった太田一吉の従軍僧慶念が、餓死を覚悟した心情を日記に記す。
・明、朝鮮連合軍が蔚山城を攻撃するも、攻略はならず。
・蔚山城救援のため、山口宗永(小早川家臣)、毛利吉成が西生浦城に到着する。
12/27:
・島津勢の泗川新城への移動が完了する。
・蔚山城に氷雨が降り、城内で凍傷で指を失う者をはじめ、凍死者が続出する。
・明軍が岡本越後守なる日本人武将を使者として蔚山城に遣わし、降伏を促す。
・山口宗永(小早川家臣)、毛利吉成が蔚山城近くへ物見を出し、城内に救援部隊集結を報せる。
・蔚山城救援のため、黒田長政、安国寺恵瓊、竹中隆重が西生浦城に到着する。
12/28:蔚山城救援のため、毛利秀元が西生浦城に到着する。
12/29:
・加藤清正が、明軍との蔚山城開城交渉に応じる意志を示す。
・毛利秀元らが蔚山城近くへ物見を出し、城内に救援部隊集結を報せる。
・蔚山城救援のため、蜂須賀家政、生駒一正、加藤茂勝、脇坂安治、鍋島直茂、清茂親子、早川長政が西生浦城に到着する。



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