文明十四年(1482)
主な出来事
5/1:将軍足利義尚、伊勢貞宗邸から小川御所に移る。(「戦争の日本史9」)
6/29:大和の越智家栄の仲介で細川政元と畠山義就が和睦し、政元が義就に鷹を贈る。(「戦争の日本史11」)
7/13:足利義政が、子の将軍義尚に権限委譲を表明する。
11月:幕府、堀越公方の伊豆一国支配を条件に古河公方への追討命令を撤回する。(「武士はなぜ歌を詠むか」)
11/27:足利義政、古河公方足利成氏に御内書を与え、成氏の御料所の一部を堀越公方足利政知に譲る条件で和睦する(享徳の大乱終わる。都鄙合体)。
12月:将軍足利義尚と日野富子が、畠山義就を山城国守護に任じようとするも、政所執事伊勢貞宗の反対意見を支持した足利義政が許さず、逆に義就治罰を命じる。
死没
2/25:長尾重景(58:越後守護代)
閏7/14:河野通春(62?:伊予国河野一族)
備考、その他
・幕府が尾張守護の斯波義良に海東郡中荘の等持寺領を飯尾彦左衛門から返還させるように命じる。(尾張・織田一族)
2/4:幕府、東山山荘の造営事始を行う。費用に寺社本所領を充てる。
3/8:細川政元と畠山政長、摂津国に下向する。(「戦争の日本史9」)
7/13:尾張守護代織田敏定が清洲城内で日蓮宗久遠寺派と本圀寺派との法論を闘わせ、本圀寺派が勝利を収める。(尾張・織田一族)
7/16:細川政元、自らが占拠した河内国17ヶ所の地と畠山義就の占拠していた摂津国闕郡を交換する事で和睦し、京都に引き上げる。
閏7/2:細川政元と畠山義就が、和睦の証として、馬を交換する。(「戦争の日本史11」)
12月:幕府が出雲守護代尼子経久に対し、出雲、隠岐両国からの諸役が滞っている事から、前守護京極持清が経久に免じた段銭を無効とするように通告する。(「戦争の日本史12」)
12/27:畠山義就が、山城国草路城を攻略する。






