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参考文献


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応仁三~文明元年(1469)

主な出来事
1/8:足利義視が山名宗全邸に御成を行う。西軍諸将から馬、太刀を献上される。(「戦争の日本史9」)
3/14:足利義視が山名宗全邸に御成を行う。
4/28:文明に改元する。
10月:南朝の後裔小倉宮の息を上洛させるべく、越智家栄が大和国に下向する。

死没
9/1:長尾頼景(80:越後守護代)
10/17:一条政房(27?:権大納言)
11/20:成身院光宣(80:興福寺僧、筒井順覚の子)



備考、その他
・幕府、豊後守護大友氏に大内氏攻撃を命じ、大友勢が豊前国に出兵し、相呼応して筑前国に少弐頼忠(政資)が侵攻する。(「戦争の日本史12」)
3/16:東軍が山名宗全邸周辺を放火する。(「戦争の日本史9」)
3/20:山名宗全が備後における山内氏の戦功を賞する。(「人物叢書 山名宗全」)
4月:
・足利義視、大内政弘の要請に従い、九州、四国の大名に上洛を命じる御内書十六通を発する。
・畠山義就が、山城国西岡の谷堂を攻略する。(「戦争の日本史11」)
4/19:西岡の鶏冠井城を東軍が攻撃する。
4/22:嵯峨の谷の東軍を西軍が攻撃し、東軍は丹波国に撤退する。この際、西芳寺が焼亡する。
5月:西軍方六角亀寿丸(高頼)が近江国観音寺城に立て籠もる。
5/18:西軍が醍醐に出兵する。
6/10:山名宗全が備後における山内氏の戦功を賞する。(「人物叢書 山名宗全」)
6/16:西軍が摂津、丹波国に侵攻し、細川勝元配下の摂津国人三十六人が大内政弘に内通する。
7/2:朝倉孝景の東軍帰参の意向を受け、伊勢貞親が書を送る。
7/9:足利義視、大内政弘を左京大夫に推挙する。
7/10:
・東軍が清水寺、珍皇寺、建仁寺に火を放つ。
・興福寺大乗院の経覚、朝倉孝景が東軍斯波義敏に味方し、西軍甲斐氏が孤立しているとの情報を得る。
7/11:摂津国安照寺が西軍に破られ、東軍の薬師寺与次、四宮四郎右衛門尉などが忍頂寺城に立て籠もる。
7/12:朝倉孝景が東軍に通じたのは虚説との情報が伝えられる。
7/13:大内政弘勢が摂津国内の東軍方の城郭の大半を攻略する。
8/3:西軍但馬勢一万五千が単語に侵入して東軍細川勢と交戦する。(「人物叢書 山名宗全」)
9/14:畠山政長が、島津立久に上洛を求める書状を送る。
9/20:管領細川勝元が、島津立久に大友親繁と共に大内政弘の分国周防、長門国に発向するように求める。
9/22:細川勝元が、石清水八幡宮領の丹波氷上郡柏原荘に禁制を発する。
10月:
・東軍の山名是豊らが、播磨兵庫津を占拠し、西軍に通じた咎を追求し、寺院、在家を焼き払う。(「戦争の日本史11」)
・南朝の後裔小倉宮の息を上洛させるべく、越智家栄が大和国に下向する。
10/2:西軍が丹波国に攻め入り、東軍の山名右馬助、安富又次郎らが余部城に立て籠もる。
10/16:東軍の山名是豊、赤松政秀が備後国から兵庫に入り、大内政弘勢と合戦に及ぶ。
10/17:山名是豊、赤松政秀勢が兵庫の福厳寺に滞在していた権大納言一条政房を足利義視と誤り殺害する。
10/18:山名是豊、赤松政秀ら東軍が大内政弘勢を破る。
10/22:
・山名是豊ら、東軍の摂津池田城救援に向かう。
・西軍の畠山政国、淀に布陣し、成身院光宣率いる東軍大和国人衆の上洛を阻止する。
11/16:山名是豊、摂津国中島に向けて出陣する。
11/20:成身院光宣、宇治槙島の館にて死去する。
11/21:南朝の後裔の兄弟が大和と熊野で蜂起したという噂が流れる。
12/8:伊勢貞親、朝倉孝景に軍事行動を持って東軍参加の証を示すように求める。
12/12:山名是豊、摂津神咒寺山に布陣する。
12/13:足利義視、石見国人益田貞兼に三隅豊信跡の石見国内の所領を与える。
12/16:山名是豊、三島郡の三宅館に向かい、途中、西軍と数度交戦する。
12/19:山名是豊、河辺郡神埼城に立て籠もる西軍仁保弘有を攻めるも敗れる。
12/24:山名是豊、摂津国三宅館を発ち、西岡の西軍陣所を攻撃、鳥取尾山に布陣する。



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