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参考文献


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康正三~長禄元年(1457)

主な出来事
・政所執事伊勢貞親、将軍御所造営段銭を課す。(「戦争の日本史9」)
1/1:斯波義敏、父持種と共に出奔して東山東光寺に立て籠もる。
7/23:幕府、畠山義富を赦免する。
9月:畠山義富が死去し、成身院光宣の画策で、義富の弟政長が後継者として擁立される。
12月:幕府、足利義政の庶兄を政知と還俗させ、新たな鎌倉公方として関東に派遣する。
12/2:赤松氏旧臣が吉野の南朝の子孫兄弟二人を討ち取る。丹生屋帯刀左衛門尉、四郎左衛門尉兄弟が一度は神璽も奪還するものの、逆に南朝方に討たれる。
12/19:天龍寺香厳院主清久が還俗して名を政知と改め、左馬頭に任じられる。
12/24:
・足利政知、渋川義鏡とともに京を出陣、近江国園城寺に入る。(「戦争の日本史9」)
・足利政知、伊豆に到着し、三島大明神に参詣、木戸孝範を加冠役として元服する。(「武士はなぜ歌を詠むか」)

死没
・山名宗全の妻(?:)
9月:畠山義富(?:持富の子)



備考、その他
3/1:山名宗全が播磨石弾城を攻略する。(「人物叢書 山名宗全」)
4/4:管領細川勝元及び政所執事伊勢貞親、奥羽の白川直朝に書を送り、新たな鎌倉公方を将軍義政の兄弟の中から決定したと伝える。(「戦争の日本史9」)
5/14:越前国にある興福寺領の荘園、細呂宜郷上方政所の公文職を越前国守護代甲斐常治が興福寺大乗院門跡の尋尊の承認を得ないまま、遵行しようとする。
5/27:管領細川勝元、興福寺大乗院尋尊に御教書を送り、筒井、箸尾氏、成身院光宣の赦免と没収されていた所領の返付を伝える。
6/1:成身院光宣、細川勢の警固を得て大和国に入国する。
6/13:筒井順永、筒井城に復帰する。
7/1:筒井勢が先に没収された所領を与えられていた小泉氏の館を襲撃する。
7/16:管領細川勝元、奥羽の石川光俊に書を送り、新たな鎌倉公方に将軍義政の庶兄天龍寺香厳院主清久に決定し、近々下向すると伝える。
7/18:大和国佐味で筒井勢と越智勢が合戦に及ぶ。畠山義就、越智氏に援兵を送る。
8/1:畠山義富の赦免を受け、大和に在陣中の畠山義就勢が撤退する。
9月:畠山義就が、山城国木津城を攻略する。(「戦争の日本史11」)
9/29:畠山義就が、山城国狛野庄を攻撃する。
10/16:幕府、前年に筒井氏らから没収した所領について、興福寺からの訴えを受け入れ、興福寺に寄付する事とする。
11/4:斯波義敏の家人四十数名が甲斐常治被官の田上某を襲い、質者を奪うなどの乱暴狼藉を働く。甲斐方、質者を取り返し、幕府の命を受け朝倉、織田、山名教豊の被官と共に狼藉に及んだ義敏家人を一人残らず討ち取る。








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