享徳二年(1453)
主な出来事
3/21:管領細川勝元が、鎌倉公方足利成氏に対し、京都への申し入れは関東管領の添え状をもって行うように要請し、添え状がない場合は取り次がないと通知する。(「戦争の日本史9」)
5/28:管領細川勝元が、伊予国守護職を河野教通から河野通春に改補する御教書を発する。将軍義成の意向を伺わずに発した独断により、義成に咎められ、勝元は管領を辞任しようとするが、留任する。
6/13:足利義成が、義政に改名する。
生誕
上杉定昌(?:房定の長男)
古市胤仙(?:大和の国人)
備考、その他
6/24:成身院光宣と争っていた国人衆が一堂に会し、和議が成立する。
11月:山名一族に対する不穏な噂が流れ、管領細川勝元はじめ、諸大名が分国から軍勢を召し寄せる。(「人物叢書 山名宗全」)
12/21:前興福寺大乗院門跡経覚、奈良に入って成身院光宣と対面し、両者の和睦が成立する。






