永享六年(1434)
主な出来事
2/9:将軍足利義教の側室重子(宗子の妹)に男子(後の将軍義勝)が誕生する。
・足利義教、男子の母方の実家である蟄居中の日野義資の元に参賀した人物六十人を譴責、追放、所領没収とする処分を行う。(「戦争の日本史9」)
3/18:鎌倉公方足利持氏、鶴岡八幡宮に将軍足利義教を呪詛する血書の願文を奉納する。
生誕
2/9:足利義勝(室町幕府七代将軍)
死没
6/9:日野義資(38)
8/14:筒井順覚(?:大和の国人)
備考、その他
2/11:9日に将軍義教と側室日野重子に生まれた男子を正室三条尹子の猶子とする。(「戦争の日本史9」)
2/27:将軍足利義教の若君の又七夜の儀が行われる。(「人物叢書 山名宗全」)
3/3:義教の男子を伊勢貞国邸に移す。
6月:
・日野義資の暗殺を将軍義教の命によるとの噂を吹聴した公家の高倉永藤が流罪に処される。
・山名時熙、日明貿易における硫黄の横領疑惑が発覚し、宿老から失脚する。
6/9:日野義資邸に賊が侵入し、義資が暗殺される。
7/6:尾張守護代織田伊勢守が南高田郷の地を烏丸資任に引き渡す。(尾張・織田一族)
7/11:比叡山延暦寺の大衆が雲母坂にて戦闘準備を始める。
8月:足利義教、旧南朝皇胤の断絶策を打ち出す。
8/14:大和国越智城を攻めた筒井順覚が討ち死にする。
8月:比叡山延暦寺、鎌倉公方足利持氏と同調し、将軍足利義教の呪詛を行う。
9/12:幕府軍、延暦寺対策のため、湖岸を封鎖する。
10/4:将軍足利義教が、山門騒乱に対し、山城国伏見荘に動員をかけ、苗字を持つ侍7人、下人50人、地下人228人が動員される。(「戦争の日本史11」)
11/17:幕府、延暦寺に軍勢を派遣するも、畠山持国、山名時煕、赤松満祐ら、宿老は出馬せず、将軍義教の積極策を諌める。
12/2:延暦寺大衆、根本中堂の焼き打ちを免れる条件で幕府と和睦する。
12/26:将軍足利義教、自ら加冠して斯波義重の次男で相国寺僧瑞鳳蔵主を還俗させ、義郷と名乗って元服し、斯波氏家督を相続する。






