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参考文献


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応永三十五~正長元年(1428)

主な出来事
1/17:足利義持、危篤になり、翌日死去する。(「戦争の日本史9」)
1/18:足利義持の死後、畠山満家が籤を引き、天台座主義円(義教)を義持の後継に据える事に決まる。
3/12:青蓮院門跡義円(足利義満三男)、還俗して義宣を名乗り、従五位下、左馬頭に叙任される。(「戦争の日本史8」)
4/27:正長に改元する。
7/28:彦仁親王が後小松上皇の猶子となる形で践祚する(後花園天皇)。

死去
1/18:足利義持(43:室町幕府四代将軍)
7/20:称光天皇(28:)
12/21:北畠満雅(?:伊勢国司)



備考、その他
1/7:足利義持、尻にでき物を患う。(「戦争の日本史9」)
1/15:将軍家の垸飯の儀に山名持煕が出仕する。義持は病で欠席する。(「人物叢書 山名宗全」)
1/19:畠山満家ら幕府首脳が、比叡山に義円を迎えに入る。
2月:前将軍足利義持の納骨が行われる。細川義之と山名時煕がこれに供奉する。(「人物叢書 山名宗全」)
閏3/6:足利義宣の妻に日野重光の娘、宗子との縁組が決まる。
閏3/23:尾張守護代織田常松が織田勘解由左衛門に対し、大徳寺如意庵領破田村への茶の催促を停止するように指示する。(尾張・織田一族)
4/2:将軍足利義宣が山名亭を訪れる。
4/11:足利義宣が評定始、判始を行う。
4/12:将軍足利義宣が流行病にかかる。
4/14:将軍足利義宣の病が平癒する。
4/23:山名時煕が流行病にかかり、後継者に持豊を指名するも、将軍義宣が難色を示し、管領畑山満家に満済准后と相談して持煕に家督を継がせるべく翻意を促すように指示する。(「人物叢書 山名宗全」)
5/25:関東の宇都宮氏より、鎌倉公方足利持氏の逆心が京都に報じられる。
6/21:足利義宣の嫁娶の儀が行われる。
7/7:小倉宮聖承(南朝嫡流)が京都の在所を逐電し、伊勢に向かう。
7/13:称光天皇が重体となる。
8月:土岐持頼、鎌倉公方足利持氏の上洛と、これに呼応する伊勢国司北畠満雅の攻勢について、幕府に注進する。
8/6:醍醐寺座主満載が尾張守護代織田常松に見舞の使者を遣わす。(尾張・織田一族)
9/18:京都周辺で正長の土一揆が起こる。
9/22:足利義宣、鎌倉公方と後南朝対策についての意見を、管領をはじめとする重臣から求める。
10/23:
・駿河守護今川範政、甲斐守護武田信重が分国に下向する。
・足利義宣、周防長門守護大内盛見に自筆書状を送り、上洛を要請する。
12/21:土岐持頼らの幕府軍が北畠満雅を討つ。








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