北朝:観応二年・南朝:正平六年(1351)
主な出来事
2/26:上杉能憲、摂津国武庫川にて高一族を討つ。
3月:足利直冬、鎮西探題に任じられる。
7/19:足利直義、政道を辞退する。(「戦争の日本史8」)
8/1:足利直義、丑刻頃、京都を脱出し、北国に向かう。
10/24:後村上天皇、足利尊氏、義詮に綸旨を発し、両人の降参を受け入れる。
11/3:足利尊氏、義詮、後村上天皇の綸旨に対する請文を提出する(正平の一統)。
11/7:北朝の崇光天皇、皇太弟直仁が廃される。
死没
2/26:高師直(?:)、高師泰(?:)
9/6:恒明親王(49:亀山法皇の皇子)
1月:足利直義、醍醐寺座主三宝院賢俊の六条若宮八幡宮別当職などを改易する。(「戦争の日本史8」)
1/14:醍醐寺座主三宝院賢俊、弟子宝池院法院光斉に足利尊氏の護持僧である自身の心中、覚悟を伝える。
5月:足利直義、醍醐寺座主賢俊の六条若宮八幡宮別当職などを再任する。
7/28:後村上天皇、綸旨の中で、足利義詮の降参を許したとの風聞をけしからんことと糺す。
8/2:後村上天皇、佐々木導誉宛ての綸旨の中で、足利義詮の勅免は虚説であるとし、尊氏、義詮親子と直義を追悼するように命じる。
8/4:南朝、延暦寺衆徒に足利直義の変節をなじり、協力を求める。
9/11:足利尊氏、近江醍醐寺の陣中で霊夢があり、「神祇」題で和歌を詠む。(「武士はなぜ歌を詠むか」)
10/18:足利尊氏、9/11に陣中で詠んだ和歌を京都松尾社に奉納する。
12/末:南朝、二条師基を関白に任ずる。






