北朝:観応三~文和元年・南朝:正平七年(1352)
主な出来事
2/3:後村上天皇、入洛の意思を足利義詮に示す。(「戦争の日本史8」)
閏2/19:後村上天皇、山城国八幡に進出する。
閏2/20:京都で合戦、足利義詮ら、敗れて近江国に脱出し、勝った南朝方は、光厳院、光明院、崇光院、直仁親王の身柄を八幡の陣に移す。
3/15:足利義詮、京都を奪回、敗れた南軍は八幡に撤退する。
5/11:山城国八幡の合戦 ○北朝vs南朝●
7月:幕府、近江、美濃、尾張三ヶ国の本所領年貢の半分を兵糧領所に分け、一年間軍勢に預け置くことを命じる(半済令)。
9/27:北朝方、文和に改元する。
11月:足利直冬、一色氏に敗れて九州を脱出し、長門国に入る。
死没
上杉朝定(32:)
2/26:足利直義(47)
3/6:大内弘幸(?:周防国守護)
4/29:康仁皇子(36:邦良親王の子)
3/3:周防国仁平寺の本堂が完成し、鎮守山王権現社頭において、終日法楽舞楽が行われる。(「戦争の日本史8」)
3/14:周防国仁平寺の本堂が完成し、舞の試楽が行われる。
3/15:周防国仁平寺の本堂が完成し、落慶供養として法要が行われる。
3/16:周防国仁平寺の本堂が完成し、童舞、管弦、舞楽、演年が演じられる。
8/8:光厳上皇、出家して法皇となる。






