北朝:建武五~暦応元年・南朝:延元三年(1338)
主な出来事
1/8:北畠顕家、鎌倉を出陣する。(「戦争の日本史8」)
5/22:和泉堺浦、石津にて、北畠顕家討ち死にする。
閏7/2:越前藤島にて新田義貞、討ち死にする。
8/28:北朝方、暦応に改元する。
9月:北畠親房、伊勢大湊を出帆して東国へ向かう。
死没
3/15:上杉憲藤(21:)
5/22:北畠顕家(21:陸奥国司、鎮守府将軍)
閏7/2:新田義貞(38?:)
3/11:足利尊氏、紀伊国富安荘、同国高家荘を兵糧料所として熊野山新宮別当に預け置く御教書を発する。(「戦争の日本史8」)
3/17:足利直義、円覚寺正続院の愁訴を容れ、足利義詮が預けた相模国山内荘秋庭郷内信濃村を返却する御教書を発する。
5/17:足利直義、和泉国久米田寺に利生塔の造営料所を寄進する。
8月:美濃国船木荘只越郷の菅原清定、南朝方に与したため、美濃国守護土岐頼貞配下の国人に捕縛される。所領は没収され、捕縛した国人に与えられる。
8/27:足利直義、石清水八幡宮に裁許状を発給する。
9/18:後醍醐天皇、肥後の阿蘇惟時に綸旨を発し、懐良親王を征西大将軍として九州に派遣する旨を報じる。






