文永十二~建治元年(1275)
主な出来事
2月:少弐経資、鎮西九ヶ国を四期に分け、それぞれに三ヶ月の警固を割り当てる事とする。(「戦争の日本史7」)
4/15:杜世忠、可文著ら、モンゴルからの使者5人が長門国室津に到着する。
4/25:建治に改元する。
9/7:幕府、モンゴルからの使者5人を鎌倉竜の口で斬る。
12月:幕府、西国の守護に明年三月に異国征伐を行う旨を表明する。
死没
8/13:千葉頼胤(肥前小城郡地頭:37)
・幕府、鎮西東奉行の大友頼泰に書を送り、異賊との戦いにおいて忠節を致さない御家人がいれば、罪科に処すよう命じる。
・豊後国守護大友頼泰、国内の御家人を3つに分け、それぞれに一ヶ月ずつ、筑後国守護所近辺の警固に充てる。
・薩摩の山田忠実、嫡子土用熊丸に谷山郡を譲り渡し、庶子二郎には黒糸縅の「胴丸」を譲る。
5/12:長門守護の二階堂行忠、長門国における戦力不足を幕府に訴える。
6/3:肥後国の竹崎季長、在所を発ち、鎌倉へ向かう。
8/12:肥後国の竹崎季長、鎌倉に到着する。
10/3:肥後国の竹崎季長、御恩奉行、安達泰盛に面謁し、自身の先駆けの功を認めてもらうべく、意見を主張する。後日、功を認められ、肥後国海東郷の地頭に任命される。





