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参考文献


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明治二十七年(1894)

主な出来事
春:朝鮮にて東学党の乱が発生する。(「戦争の日本史19」)
5/21:外務大臣陸奥宗光が、伊藤博文首相に書簡を送り、朝鮮における東学党の乱の情勢次第で出兵の可能性があると報じる。
5/31:全州が東学党に攻略され、朝鮮政府が清国への出兵要請を決定する。
6/2:閣議によって、帝国議会の解散と朝鮮への出兵が決議される。
7/23:龍山にあった日本軍の混成旅団が、漢城を制圧する。
7/29:成勧の戦い ○日本軍vs清国軍●~日本軍が、牙山を確保する。
8/1:日本政府が、清国政府に対して宣戦を布告する。
9/16:日本軍が、平壌を占領する。
9/17:黄海海戦 ○日本海軍vs清国海軍●
11/22:日本軍が旅順口を占領する。
12/19:日本軍第一軍司令官山県有朋が解任され、監軍の役職に任じられる。代わって野津道貫が第一軍司令官に就任する

死没
7/9:徳川美賀子(60:将軍徳川慶喜室)



備考、その他
・日本海軍が、イギリスで戦艦富士、八島を起工する。(「戦争の日本史20」)
春:朝鮮にて東学党の乱が発生する。(「戦争の日本史19」)
3月:金玉均上海暗殺事件が起こる。
4/27:東学党が、朝鮮政府軍を破り、全州に入る。
5/4:大鳥圭介駐朝公使が、帰国の途につく。
5/21:外務大臣陸奥宗光が、伊藤博文首相に書簡を送り、朝鮮における東学党の乱の情勢次第で出兵の可能性があることを報じる。
5/22:漢城に駐在する一等書記官杉村濬が、万一に備えて、日本軍の派兵準備を進言する書を発する。
5/29:漢城に駐在する一等書記官杉村濬が、東学党の乱が収まりつつある情勢を報じる電報を発する。
5/30:朝鮮国王高宗が、甲午農民戦争への対処について、大臣に諮詢する。
5/31:
・大鳥圭介公使が、外相陸奥宗光に書を送り、清との共同出兵を進言する。
・井上毅文相が、伊藤博文首相に書を送り、清国に先んじての出兵を提案する。
・全州が東学党に攻略され、朝鮮政府が清国への出兵要請を決定する。
6/1:日本公使館書記生鄭永邦が袁世凱と会見して、日清両国の朝鮮への派兵について意見を交わす。この結果を踏まえて代理公使杉村濬が外務省に電報を打つ。
6/2:
・閣議によって、帝国議会の解散と朝鮮への出兵が決議される。
・伊藤博文首相が参内して閣議の結果を上奏し、明治天皇の裁可を受ける。
・明治天皇が陸軍大臣大山巌、海軍大臣西郷従道、参謀総長有栖川熾仁親王、海軍軍令部長中牟田倉之助を宮中に呼び、出兵を激励する。
6/3:
・寺内正毅参謀本部第一局長が、参謀総長に混成一旅団の編成表を提出する。
・朝鮮政府が、公式に清国政府に対して援兵を要請する。
・代理公使杉村濬が、袁世凱から朝鮮政府より内々の援兵要請はあるものの、公文書では来ていないと伝えられたと政府に電報する。
・天津駐在領事荒川巳次が李鴻章と会見する。
6/4:
・代理公使杉村濬が、昨晩袁世凱より朝鮮政府からの公式な援兵要請を受けたとの連絡があった旨を政府に報じ、日本軍の出兵を要請する。
・陸相官邸にて、陸海軍の軍政・軍令首脳部会議が開かれる。
・川上操六参謀次長が、日本郵船に対して社船十隻の傭船契約と一週間以内の広島県宇品港回航を指示する。
・伊藤博文首相が、陸奥宗光と相談して大鳥圭介公使の漢城への再派遣に際して、海軍陸戦隊の帯同を命じる。
6/5:大鳥圭介が、巡洋艦八重山に乗って仁川に向けて発つ。
6/6:
・清国が北洋陸軍の部隊の朝鮮派遣を決定する。
・大本営が、第五師団に対して歩兵一個大隊の先発を命じる。
6/7:日清両国が、朝鮮への派兵を報じる行文知照を行う。
6/8:清国歩兵約2,500名が、牙山に上陸する。
6/9:日本軍の先発隊が、広島県宇品港を発つ。
6/10:
・駐清臨時代理公使小村寿太郎を通じて、日本の出兵に対する清国からの回答が届く。
・漢城に入った大鳥圭介が、増援部隊の派遣を見合わせるように打電する。
6/11:
・日本政府の意向を、駐清臨時代理公使小村寿太郎に打電する。
・陸奥宗光外相が、在外公使に朝鮮半島への出兵を伝える。
6/12:日本軍の先発隊が、仁川港に入る。
6/13:
・仁川港の日本軍が漢城の日本公使館に入る。
・午前中、陸奥宗光外相が、大鳥圭介に対して、漢城に兵を入れることに反対する理由を求め、午後には部隊の漢城入城を指示する。
・午前中に閣議が行われ、伊藤博文首相が、日清協調による朝鮮の内政改革を提案するも、陸奥宗光の反対で決議はされずに終わる。
・午後、伊藤博文首相が、汪鳳藻駐日清国大使と会談する。
6/15:閣議にて、清国に開戦も辞さない朝鮮対策を決定する。
6/16:陸奥宗光外相が、駐日清国大使汪鳳藻と日清共同の東学党鎮圧を提案し、協議の末、本国に問い合わせる事とする。
6/17:陸奥宗光外相が、小村寿太郎と荒川巳次に日本側の提案を清国に伝えるように打電する。
6/18:
・陸奥宗光外相が、漢城の大鳥圭介公使に清国との交渉がまとまりそうにない見通しを報じる。
・混成第九旅団の大島義昌旅団長が漢城に入るも、部隊は仁川での待機を余儀なくされる。
6/21:
・清国が、日本側の提案を拒否する。
・臨時閣議が行われ、対清国への作戦方針が検討される。12日に中止した第二次輸送隊の派遣を決定する。
・英国人イザベラ・バードが済物浦の居留地から逃げる清国人を目撃する。
・漢城の日本兵が、水不足と排泄物処理に苦慮しているとの報告が入る。
6/22:御前会議が行われ、清国への絶交文書送付と第二次輸送部隊派遣が決定される。
6/23:陸奥宗光外相が、駐日清国公使に絶交文書を送付する。
6/24:
・日本軍の第二次輸送隊が、宇品を出港する。
・仁川に八重山、武蔵、大島の三艦を待機させて常備艦隊が佐世保への帰途につく。
6/25:
・ロシア駐日公使トロヴォが、陸奥宗光外相を訪ね、日清両国の朝鮮半島への関与について議論する。
・李鴻章が、汪鳳藻駐日公使に牙山に駐留する清軍に対し、これ以上の増派はないと伝える。
6/26:小村寿太郎駐清公使のもとに、英国駐清公使オコンネルが日清の交渉について意見を述べてきたとの報が、陸奥宗光外相に届く。
6/27:日本軍の第二次輸送隊が、仁川港に到着する。
6/28:
・キンバリー英国外相が、駐英公使青木周蔵に清、朝鮮との交渉内容を示すように求める。
・陸奥宗光外相が、大鳥圭介公使に牙山の清軍への武力行使を当面、見合わせるように指示する。
・大鳥圭介公使が、朝鮮政府に対し、その立場が清の属国であるか否かを問いただす。
6/29:大鳥圭介公使が、大島義昌旅団長に清国との開戦の準備を指示する。
6/30:
・朝鮮政府より、大鳥圭介公使に対して、朝鮮は清の属国にあらずとの回答が伝えられる。
・ヒトロヴォ駐日ロシア公使が、陸奥宗光外相に対して朝鮮半島からの撤兵を要求する文書を渡すも、撤兵は拒否する。
・伊藤博文首相が、陸奥宗光外相にロシアの干渉に対抗するために英国を頼るべきとの書簡を送る。
・陸奥宗光外相が、大鳥圭介公使に清国への攻撃を控えるよう、打電する。
7/1:伊藤博文首相が、陸奥宗光外相にロシアの干渉に対抗するために英国を頼るべきとの書簡を送る。
7/3:大鳥圭介公使が、朝鮮政府に内政改革の具体的提案を行う。
7/9:清国政府がイギリスの調停を拒否し、日本軍の撤退を交渉への第一条件とする意向を示す。
7/10:
・駐露公使西徳二郎が、ロシアが朝鮮半島の問題にこれ以上関与しない意向であると報じる。
・大鳥圭介公使と、朝鮮の改革委員が会談を行う。
・大鳥圭介公使が、陸奥宗光外相に密伝を送り、朝鮮政府に改革の意志はないので、日本軍で王宮を包囲して要求を実現させると報じる。
7/11:閣議で開戦準備の再開が決まる。
7/12:
・閣議で清国への絶交書の作成が決まる。
・大本営が、第十旅団の動員を発令する。
7/14:日本からの絶交書が清国政府のもとに届き、皇帝が開戦を決意する。
7/15:李鴻章が、側近の伍廷芳を荒川巳次天津領事のもとに派遣し、清国政府の意向はさておき、話し合いでの解決の意向を示す。荒川は直ちに陸奥宗光外相に電報を送る。
7/16:朝鮮政府が日本軍の撤兵を求める。
7/18:
・天津の神尾光臣中佐より清国軍三千が翌日出発予定との電報が大本営に届く。
・大本営参謀総長が、漢城の大島義昌旅団長に聯合艦隊の22日佐世保出航予定を伝え、清国軍の増援部隊撃破を指令する。
7/19:
・大鳥圭介公使が、朝鮮政府に漢城~釜山間の電線工事の着工と日本軍宿舎設置を要求する。
・陸奥宗光外相が、朝鮮王宮への軍事力の行使を禁止するように指示する。
・日本海軍に西海艦隊が編成され、連合艦隊が組織される。
・大本営が、連合艦隊に清国の増派阻止を指令する。
・広島の第五師団参謀長上田有沢が、大本営に輸送用の陣夫の不足を訴える電報を発す。
7/20:日本公使館が、朝鮮政府に対して、朝鮮に駐留する清国軍の撤退と、朝鮮~清国間で結ばれた条約や規則の廃棄を求める。
7/21:
・陸軍中佐福島安正が、参謀本部に暗号変換を求める。
・海軍軍令部長樺山資紀が、宇品から佐世保に向かう。
・釜山から大本営に人夫五~六百人の動員を要請する電報が発せられる。
・牙山の清軍が、漢城から日本軍の動向を得る。
7/22:
・朝鮮政府が、日本公使館に対して、内政改革の自主的実施を通知し、日清両軍の撤退を求める。
・日本海軍の常備艦隊が、朝鮮半島進出のために佐世保を出撃する。
・海軍軍令部長樺山資紀が、佐世保に到着し、連合艦隊司令長官伊東祐亨と会談する。
7/23:龍山にあった日本軍の混成旅団が、漢城を制圧する。
7/24:
・清国からの支援部隊を搭載した英国船愛仁号、牙山港口に到着、物資を下ろして煙台に向けて発つ。
・日本軍が戦闘を開始したとの情報が牙山の清国艦隊に伝わる。
・漢城にある第五師団長野津道貫が、大本営に作戦発動を要請する。
・牙山の清軍に援軍千三百名が加わる。
7/25:
・日本の連合艦隊が群山沖に到着する。
・豊島付近で、日本海軍第一遊撃隊が、清国軍艦済遠と広乙と交戦する。
・東郷平八郎艦長指揮下の軍艦浪速が清国の兵員物資を積んだイギリス商船高陞号を撃沈する。
・大島義昌師団長が南下作戦を決定する。
・漢城から牙山の清軍撃破のため、日本軍が出撃する。
7/26:日本軍が水原に到着するも、朝鮮人人夫に逃走され、進撃の停滞を余儀なくされる。
7/27:
・日本軍歩兵第二十一連隊第三大隊長古志正綱が朝鮮人人夫逃走の責を負って自害して果てる。
・日本軍が振威県に到着する。
7/28:日本軍が素沙場に到着する。
7/29:成勧の戦い ○日本軍vs清国軍●~日本軍が、牙山を確保する。
7/31:
・日本軍が牙山を発って漢城へ向かい、酷暑の中、平澤に到着する。
・大本営が、第五師団の増派を指示する。
8/1:
・日本政府が、清国政府に対して宣戦を布告する。
・日本軍が平澤を発ち、振威に到着する。
・日本軍歩兵第十二連隊第二大隊が、香川県多度津港を出港する。
8/2:
・日本軍が振威を発ち、水原に到着する。
・大本営が、連合艦隊に清国艦隊撃破を指令する。
8/3:
・日本軍歩兵第十二連隊第二大隊が、釜山に上陸する。
・日本軍歩兵第二十二連隊第二大隊が、高浜港を出港する。
8/4:参謀本部が、作戦大方針を作成する。
8/5:
・有栖川宮参謀総長が、大本営に赴き、天皇に拝謁して作戦大方針について奏上する。
・日本軍が漢江を渡り、龍山に向かう。
・日本軍歩兵第二十二連隊第二大隊が、元山港に上陸する。
8/6:日本軍第五師団主力が釜山に上陸する。
8/8:第五師団長野津道貫が宇品港を出港する。
8/10:大山巌陸軍大臣の意見により、8/1の天皇の詔勅をもって戦時と解釈すべきとの閣議案を伊藤博文首相に提出する。
8/12:漢城に日本の警察官百名が到着する。
8/14:
・連合艦隊から大本営に長直路に待機するとの電報が届く。これを受けて各師団に対して順次陸軍を朝鮮半島に投入する作戦方針が指令される。
・大本営が、第三師団の朝鮮派遣と、第五師団とあわせての一軍を編成し、山県有朋を司令官にする旨を決定する。
8/15:日本軍歩兵第二十二連隊第二大隊が、漢城に到着する。
8/18:
・清国との戦争について閣議決定書が制作される。
・日本軍第五師団主力が、漢城に到着する。
8/19:日本軍第五師団長野津道貫が、漢城に入る。
8/21:混成第九旅団が平壌に向けて龍山を出発する。
8/24:混成第九旅団が、開城に到着する。
8/25:8/18の閣議決定について、裁可が成される。
8/26:西郷従道海軍大臣が、閣議に捕獲規定全三十二条を提案する。
8/27:
・捕獲規定全三十二条が、閣議にて議決される。
・児玉源太郎陸軍次官が、川上操六参謀次長に前線での人夫の扱いについて意見を述べる。
8/31:
・捕獲規定全三十二条が、上奏される。
・大本営が、「冬期作戦方針」を定め、各師団長に指令する。
9月:陸軍大臣大山巌が、第二軍軍司令官に任命される。
9/1:
・海軍大臣西郷従道が、伊藤博文首相に対し、清国との戦争について、戦時平時の明確化のため閣議開催を要請する。
・大本営が、第一軍司令官山県有朋に五箇条の訓令を発する。
9/2:
・捕獲規定の裁可、成立を大本営に照会する。
・李鴻章が、日本軍の瑞興到達の情報を得る。
9/3:
・平壌の葉志超将軍が、退路を断たれる危険があるため、前進して日本軍を迎撃するつもりのない意志を示すも、李鴻章は出兵を指示する。
・日本軍混成第九旅団が、平壌攻略のため、平山を発つ。
9/4:光緒帝が、葉志超将軍の電報に不快の意を示し、迎撃の諭旨を発する。
9/6:
・平壌の清軍七千の出撃を決める。
・日本軍混成第九旅団が、黄州府に進出する。
9/7:平壌を出た清軍が、夜に入って中和の宿営地で誤って同士討ちを行う。
9/8:
・日清の開戦の期日を7/25とする法制局案を上奏する。
・李鴻章が、自軍の中和での失態について叱責する。
9/9:日本軍混成第九旅団が、黄州府を発つ。
9/10:日本軍混成第九旅団が、中和に進出する。
9/11:日本軍混成第九旅団長大島義昌の元に、野津道貫第五師団長より敵の戦力及び注視をひきつけるようにとの訓令が届く。
9/12:
・第一軍司令官山県有朋が、仁川港に上陸し、第五師団に平壌攻略を指令する。
・日本軍混成第九旅団が、中和を発ち、大同江左岸にて清国軍と交戦する。
9/13:
・日本軍元山支隊が、順安府に進出する。
・日本軍朔寧支隊が、平壌東方10kmの大同江右岸に進出する。
9/14:
・第一軍司令官山県有朋が、漢城に到着する。
・日本軍元山支隊が、順安府から坎北山北麓に野営する。
・日本軍第五師団主力が、平壌西方12kmに進出する。
・混成第九旅団長大島義昌が、朔寧支隊長立見少将に平壌攻略への楽観論を報じる。
9/15:
・日本軍が平壌への攻撃を開始する。混成第九旅団は苦戦の末、後退を余儀なくされ、第五師団長野津道貫に弾薬不足を訴える。
・夕刻、平壌の清軍が白旗を掲げ、夜半に城を脱出する。
9/16:
・日本軍が、平壌を占領する。
・大連の清国艦隊が、輸送船と共に大東湾に移動し、輸送作業を行う。
・日本軍第三師団が、平壌に向けて移動を開始する。
9/17:
・平壌攻略の報が、大本営に届く。
・黄海海戦 ○日本海軍vs清国海軍●
9/19:李鴻章が、「軍事緊急情形析」を皇帝に提出する。
9/20:第一軍司令官山県有朋が、河での沐浴から風邪を引き、気管支カタルを発症する。
9/21:
・黄海海戦の捷報が、大本営に届く。
・清国の光緒帝が、黒竜江将軍依克唐阿に九連城への移動を命じる。
9/23:清国政府が、義州にある諸将に九連城防衛を命じる。
9/25:陸軍大臣大山巌が、日本軍第二軍司令官に任命される。
9/26:連合艦隊が、第二軍上陸地点として、花園口を提案する。
10/1:日本軍第一師団が、広島に集結する。
10/3:日本軍第三師団が、義州に向けて移動を開始する。
10/5:
・日本軍第五師団が、義州に向けて移動を開始する。
・糧秣欠乏により、第三師団の前進が中止される。
10/6:山県有朋が、漢城の大鳥圭介公使と小村寿太郎外務書記官に朝鮮政府から兵站の確保について協力を得るように指示する。
10/8:
・大本営が、大山巌第二軍司令官に旅順半島制圧を命じる。
・トレンチ駐日英国公使が、本国からの電信を示し、日清戦争の講話仲介を申し入れる。
10/9:イタリアが、日清戦争の講話仲介を申し入れる。
10/15:日本軍第一軍司令部が、安州に到着する。また、大本営より第一軍に対して第二軍の旅順占領の支援するように、との指令が届く。
10/21:日本軍第二軍の上陸地点を花園口に決定する。
10/22:
・庄内地震が発生する。(「地震の日本史」)
・第一軍司令官山県有朋が、清国領侵入にあたって、部下一般に訓示し、士卒及び人夫の扱いに注意を促す。(「戦争の日本史19」)
10/23:陸奥宗光外相が、トレンチ英国公使に講和仲介を婉曲に断る。
10/25:日本軍第一軍が、九連城を占領する。
10/26:安東県の日本軍第三師団に大東溝攻略が命じられる。
10/27:
・日本軍が大東溝を占領する。
・九連城の第一軍司令部が、大本営に兵員、物資の補給を督促する。
10/28:
・日本軍が、貔子窩港を占領する。
・混成第十旅団が、湯山城を占領する。
10/29:九連城の日本軍第一軍が、鳳凰城目指して進撃を開始するも、鳳凰城が自落したので、中止する。
10/30:
・鳳凰城占領の報が、九連城の第一軍司令部に届く。
・日本軍が、大東溝に兵站司令部を置く。
10/31:混成第十旅団が、鳳凰城に入る。
11/1:日本軍第一師団の花園口上陸が完了する。
11/2:第一軍司令部が大本営に対して、今後の作戦方針として三策を提案する。
11/5:
・破頭山付近で日本軍第一師団と清国軍が交戦する。
・日本軍が、大狐山を占領する。
11/6:日本軍が、金州城を攻略する。
11/7:日本軍第十二混成旅団の花園口上陸が完了する。
11/8:
・閣議にて、大鳥圭介が、枢密顧問官に任じられる旨が決議、上奏される。
・日本軍が、大連湾を占領する。
11/9:
・大本営が、第一軍に対して、11/2に提案された三策を拒否し、現状を維持して冬営するように指示する。
・日本軍が連山関に歩兵第二十二連隊の一個大隊と騎兵一個中隊を派遣する。
11/10:大鳥圭介が枢密顧問官に任命される。
11/11:
・大狐山に日本軍の兵站支部が設置される。
・日本軍が、連山関を占領する。
・日本軍歩兵第十二連隊の一個中隊が、靉陽辺門に到着する。
11/12:
・日本軍第一軍が、冬営に関する軍令を発する。
・監軍部参謀長岡沢精が、陸軍次官児玉源太郎に陸軍学校の教官を戦地に派遣させて将来に役立たせたい旨を提案する。
・青木周蔵駐独公使より、駐独清国公使が、ドイツの外相に日本との講和の仲裁を申し入れがあったと報じられる。
11/13:日本軍が賽馬集近くで清国軍の攻撃を受け、撤退を余儀なくされる。
11/14:
・賽馬集近くまで進んだ日本軍が、大川村に後退する。
・日本軍第三師団司令部が、ゆう巌攻略を指令する。
11/15:鳳凰城と連山関との間に電信が開通する。
11/16:
・山県有朋が、更なる軍の進撃を大本営に提案する。
・日本軍の歩兵第二十二連隊の一個大隊と砲兵一個中隊が、連山関に向け、鳳凰城を発つ。
・野津第五師団長が、賽場集攻撃作戦を立案するも、第一軍司令部より、攻勢を控えるように指示される。
11/17:陸軍次官児玉源太郎が、12日の岡沢精の提案に同意する。
11/18:
・旅順から出撃してきた清国軍と、日本軍の秋山好古少佐率いる捜索騎兵、前衛部隊とが交戦する。
・賽場集近くまで進んだ日本軍が、鳳凰城に戻る。
・日本軍が、岫巌を占領する。
11/19:
・日本軍が周家屯付近に進出、野営する。
・第一師団歩兵第二連隊の関根房次郎が、歩兵第三連隊の土城子での戦死者が、清国軍に残虐な方法で殺害された事実を受け、山地第一師団長から旅順の者を虐殺するように指示が出たと日記に記す。
11/20:
・日本軍が旅順口に向けて三方に展開する。清軍が迎撃のために出撃するも、撃退される。
・大本営から、これ以上の第一軍の突出を禁じる指令が第一軍司令部に届く。
・混成第十旅団司令部が、山砲一個大隊による賽場集攻撃を第五師団に提案するも、却下される。
11/21:
・日本軍が、旅順口を攻撃し、清国軍の砲台の多くを占領する。
・日本軍歩兵第十五連隊の窪田仲蔵が、旅順町に入った所で首を切られて晒された日本兵を発見し、逆上して市中の者の虐殺を行ったと日記に記す。
・団旬城にて、日本軍の斥候部隊が清国軍に包囲されるも、脱出して事なきを得る。
・第五師団参謀長上田有沢が、鳳凰城を視察し、賽場集の清国軍攻撃を決定する。
・監軍参謀長岡沢精が、川上操六大本営陸軍参謀に、陸軍学校教官の戦地派遣の実施を求める。
11/22:
・日本軍が旅順口を占領する。
・日本軍第二軍法律顧問有賀長雄が、旅順市街で多数の死体を目撃する。
・日本軍が草河嶺を占領する。
・清国が、講話の申し入れを行う。
11/23:
・第二軍が、旅順港のドックで、旅順口攻略を祝う祝宴を行う。
・ダン駐日アメリカ公使が、清国から講和条件を依頼されたとのデンビー駐清公使からの電報を陸奥宗光外相に示す。
11/24:旅順口の守備が第二軍から混成第十二旅団に引き継がれる。この間、残敵掃討と称した虐殺行為が行われる。
11/25:
・第二軍司令官大山巌が、大本営参謀総長宛に書簡を発し、当初の作戦終了と冬営のための物資、設備の廻送を要請する。
・草河嶺で日本軍と清国軍が交戦する。
11/26:
・日本軍混成第十旅団が、鳳凰城を発ち、賽場集に向かう。
・陸奥宗光外相が、伊藤博文首相に書を送り、今後の清国の対応によっては、更なる軍事行動によって清国側を追いつめるように進言する。
・大本営が、第四師団の動員令を出す。
・ドイツ人で天津海関税務司のデトリングが、季鴻章の書簡を持って神戸港に到着するも、陸奥宗光外相が、デトリングを私的な使者であるとして追い返す。
11/27:
・草河嶺に弾薬の補充が行われる。
・日本が、清国からの講和の申し入れを拒絶する。
・陸奥宗光外相が、ダン、デンビー両米国公使に日清両国で全権公使を任命した上で、講和条件を提示するとの意向を伝える。
11/28:英国の「タイムズ」誌が、日本軍による旅順口での虐殺行為を報じる。
11/29:
・日本軍が草河城近くで清国軍に遭遇し、撤退する。
・勅使として、侍従武官中村覚歩兵大佐が、広島を発つ。
・大本営が、連合艦隊に洋河口付近の調査を指示する。
・大本営が、第一、第二軍司令部及び連合艦隊に対し、直隷決戦の準備に入るように支持する。
11/30:
・旅順で取材していた「タイムズ」誌のコーウェン通信員が、伊藤博文首相と会見し、日本軍の残虐行為について質問する。
・黄嶺子、崔家房付近で日本軍と清国軍とが、交戦する。
・第二軍参謀神尾光臣が、大本営に向かう。
11/31:旅順で取材していた「タイムズ」誌のコーウェン通信員が、陸奥宗光外相と会見し、日本軍の残虐行為について質問する。
12/1:
・第一軍司令部が、第三師団に海城攻略を指令する。
・第一軍司令部が、桂第三師団長に海城攻略を命じる。
12/2:大連にて、大山巌第二軍司令官と、伊東祐亨連合艦隊司令長官とが、会談する。
12/3:日本軍第二部隊砲兵部長黒瀬義門が、故障した大砲の本土への送還と修理を依頼する。
12/4:
・伊藤博文首相が、威海衛及び台湾方面に進出すべき意見を大本営に提出する。
・第一軍司令部が、大本営に海城攻略の作戦概要を報告する。
・日本軍第一師団が、金州城に到着する。
12/5:
・金州にて、大山巌第二軍司令官と、出羽重遠連合艦隊参謀長とが、協議する。
・立見尚文少将率いる旅団に摩天嶺の清国軍を牽制するように指令が下る。
・中村覚歩兵大佐が耳湖浦に上陸する。
・山県有朋が、海城攻略の指揮を執りたい旨、大本営に電報を打つ。
12/6:
・大本営御前会議が開催される。
・大山巌第二軍司令官が、伊東祐亨連合艦隊司令長官に大本営に提出する意見上申案を送り、両者の連名にて大本営に打電される。
12/8:
・大本営で作戦会議が開催される。
・義州にて、山県有朋に帰国を促す勅語が下る。
・陸軍省が、東京に井戸掘職工50名を集め、宇品に派遣するように指示する。
12/9:
・井上光第二軍参謀長が、大本営に旅順口の戦果を報じる。
・雪裡站に日本軍が進出する。
・山県有朋が、義州を発つ。
・大本営運輸通信長官寺内正毅が、日本軍の威海衛進出を承知した旨を、自身のメモに記録する。
12/10:
・日本軍が、土門嶺付近で清国軍と交戦する。
・日本軍第三師団が岫巌を発ち、析木城を目指す。
12/11:
・日本軍第三師団が、二道河子で清国軍と交戦し、これを撃退する。
・日本軍野戦衛生長官石黒忠悳が、大本営に対して、前線の将兵の健康状態などについて、建議する。
12/12:
・米国の「ワールド」誌のクリールマン通信員が、日本軍の旅順における虐殺行為を報じる。
・長嶺子に清国軍が現れ、鳳凰城に迫る姿勢を示す。
・日本軍が析木城と海城を占領する。
・神尾光臣第二軍参謀より、大本営が威海衛攻略戦を承認した旨、第二軍司令部に報じられる。
12/14:
・陸奥宗光外相が、栗野慎一郎在米公使に旅順虐殺事件について弁明し、日米通商新条約の批准に全力を尽くすように指示する。
・日本軍が、鳳凰城に迫った清国軍を撃破し、長嶺子まで追撃する。この結果を受けて更なる進撃を第五師団司令部に上申するも、拒否される。
・大本営が、威海衛攻略作戦の実施を決定する。
12/15:
・立見尚文少将率いる混成旅団が、鳳凰城からの進撃を昨日に続いて第五師団司令部に申し入れるも、返事を得られず。
・海城の第三師団が、第一軍司令部に更なる攻勢を提案し、あわせて増援を養成する。
12/16:大本営が、第二軍に威海衛攻略を指令する。
12/17:
・山県有朋が、広島の大本営に到着する。
・第一軍司令部が、第三師団からの要請を拒否する。
12/18:日本軍第一軍司令部が、第二軍に対して蓋平進出を依頼する電報を打つ。
12/19:
・日本軍第一軍司令官山県有朋が、解任され、監軍の役職に任じられる。代わって野津が第一軍司令官に就任する。
・海城の日本軍が、缸瓦寨の清国軍を撃破するも、追撃を断念して海城に転進する。
・大本営が、第二軍司令官に混成一個旅団の蓋平方面進出を促す指示が発せられる。
12/20:
・海城の日本軍第三師団司令部が、第一軍司令部に対して、第二軍の蓋平までの進出を提案する。
・日本軍第二軍司令部に第一軍より、蓋平進出を依頼する電報が届くも、これを断り、大本営にも報告する。
12/21:
・海城の日本軍第三師団司令部が、第一軍司令部に対して、第二軍との共同作戦を提案する。
・大本営が、第二軍に対して蓋平進出を促した電報が第二軍に到来する。
12/22:
・立見尚文少将率いる混成旅団が、草河口から鳳凰山に撤退する。この時立見が、清国軍を挑発する書を残す。
・19日に缸瓦寨で清国軍と交戦した日本軍が、海城に帰還する。
・第一軍司令部が、大本営に対し、現地における凍傷患者続出の状況を報じる。
・日本軍第一軍司令部が、大狐山と大東溝の守備を第一軍直轄とする。
・日本軍兵站総監部が、前線の部隊に平鍋の支給を大本営参謀総長に意見具申する。
12/23:
・日本軍第二軍司令部が、第一師団に蓋平進出を指令する。
・第二軍司令部の元に第三師団の19日の勝報がもたらされる。
12/24:神尾光臣第二軍参謀が、大本営から金州城の第二軍司令部に帰着する。
12/25:第二軍司令部が、第一師団の蓋平進出の中止命令を発する。
12/26:
・寛旬県城にて、日本軍と清国軍とが交戦する。
・第二軍が、大本営に対して、第一師団の蓋平進出中止を報じる電報を発する。
12/27:大本営に、第二軍司令部からの蓋平進出中止を報じる電報が届く。
12/29:
・奥保鞏が、第五師団長に任じられる。
・大本営が、第二軍司令部に対し、海城の第三師団支援のため、混成旅団の蓋平派遣を指令する。



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