元暦二~文治元年(1185)
2/8:源義経、屋島の平氏討伐のため、出陣の許可を後白河法皇に求める。(「戦争の日本史6」)
2/10:源義経、京都を出陣する。
2/19~21:屋島合戦 ○源義経vs平宗盛●
3/24:壇ノ浦の戦い 平氏滅亡する。
4/3:壇ノ浦における平氏滅亡の報が京都に届く。
4/11:壇ノ浦の合戦のk記録をまとめた源義経の報告が鎌倉に届く。
4/21:梶原景時より、源義経の行動を告発する書状が鎌倉に届く。
4/29:源頼朝、田代信綱に関東に忠を尽くす武士は義経に従わぬように命じる。
5/15:源義経、捕虜とした平宗盛、清宗親子を伴って相模国酒匂駅で北條時政の出迎えを受ける。
5/24:源頼朝、義経の鎌倉入りを拒否する。
6/21:平宗盛、清宗が近江国篠原宿で処刑される。
8/4:源頼朝、佐々木定綱に源行家追討を命じる。
8/14:文治に改元する。
8/29:源義経、伊予守に任じられる。
9月:源頼朝、源義経、行家の監視のため、梶原景季を京都に派遣する。
10/6:源頼朝、梶原景季より、義経の動向に関する報告を受ける。
10/13:源義経、後白河法皇に対して頼朝追討の命を下すように願う。
10/16:後白河法皇、源義経、行家に頼朝討伐の院宣を発する。
10/28:源頼朝、京都を目指して鎌倉を発つ。
11/1:源頼朝、黄瀬川に到着。
11/3:源義経と行家、京都を発つ。
11/6:源義経と行家、摂津国大物浜から船出するも、船が転覆してしまう。
11/8:源頼朝、上洛を取りやめて鎌倉に戻る。
11/11:源義経、行家追討の院宣が発せられる。
12/25:源頼朝、日本国惣追捕使、惣地頭に任じられる。
1/6:源頼朝、範頼への兵糧米の輸送を東国に命じ、範頼に対し、九州の武士を動員して、屋島の平氏を追討するように命じる。(「戦争の日本史6」)
1/12:源範頼、九州渡海を断念して、周防に引き上げる。侍所別当の和田義盛も鎌倉への帰還を主張する。
1/26:源範頼の元に兵船、及び兵糧が支給され、豊後国への渡海に成功する。
2/1:源範頼、筑前国葦屋浦で原田種直の迎撃を受けるも、これを退ける。
2/2:源頼朝の申請により、豊後国住人の勲功を称する後白河院庁下文が発せられる。
2/8:源義経、屋島の平氏討伐のため、出陣の許可を後白河法皇に求める。
2/10:源義経、京都を出陣する。
2/13:源頼朝、源範頼に九州の戦線の維持が不可能である場合、四国を攻めるように指示する。
2/14:源範頼、兵糧米の欠乏により、周防に撤退する。
2/16:源義経、摂津国渡辺津から阿波国へ向かう。
2/18:源義経、阿波国勝浦に上陸する。
2/19~21:屋島合戦 ○源義経vs平宗盛●
2/22:屋島の戦闘終了後、梶原景時、屋島に到着する。
3/4:対馬守藤原親光が平氏から逃れるため、高麗に避難する。
3/13:源頼朝、源範頼に藤原親光を呼び戻すよう命じる。
3/24:壇ノ浦の戦い 平氏滅亡する。
4月:源範頼が、三河守の辞表を提出する。(「鎌倉源氏三代記~一門・重臣と源家将軍」)
4/3:壇ノ浦における平氏滅亡の報が京都に届く。
4/11:壇ノ浦の合戦の記録をまとめた源義経の報告が鎌倉に届く。
4/12:鎮西の沙汰に関する幕府軍儀が開かれる。
4/14:平氏追討の功を賞するため、後白河法皇の使者、高階泰経が鎌倉に到着する。
4/15:源頼朝、義経と同じように無断任官した御家人二十四人に対し、そのまま関東に戻ってきた場合、斬罪・所領没収の刑に処すとし、在京して治安維持に務めるよう命じる。
4/21:梶原景時より、源義経の行動を告発する書状が鎌倉に届く。
4/29:源頼朝、田代信綱に関東に忠を尽くす武士は義経に従わぬように命じる。
5/7:源義経、亀井六郎を使者として、頼朝に対して起請文を送る。
5/8:鎮西の沙汰に関する幕府軍儀が開かれる。
5/15:源義経、捕虜とした平宗盛、清宗親子を伴って相模国酒匂駅で北條時政の出迎えを受ける。
5/24:源頼朝、義経の鎌倉入りを拒否する。
6/13:源頼朝が、源義経が恩賞として賜った平家没官領を没収する。(「鎌倉源氏三代記~一門・重臣と源家将軍」)
6/14:藤原親光、高麗より帰国する。
6/21:平宗盛、清宗が近江国篠原宿で処刑される。
6/22:平重衡が東大寺に引き渡される。
6/23:
平宗盛、清宗が六条河原で梟首される。
平重衡、木津川で処刑され、奈良坂で梟首される。
7/9:近江で大地震が発生する。(「地震の日本史」)
7/12:源頼朝が、中原久経と近藤国平を鎮西に派遣し、戦後処理を行う源範頼と交代させる。(「鎌倉源氏三代記~一門・重臣と源家将軍」)
8/4:源頼朝、佐々木定綱に源行家追討を命じる。
8/14:文治に改元する。
8/16:伊豆守に山名義範、相模守に大内惟義、上総介に足利義兼、信濃守に加賀見遠光、越後守安田義資、伊予守源義経がそれぞれ補任される。(「鎌倉源氏三代記~一門・重臣と源家将軍」)
8/29:源義経、伊予守に任じられる。
9月:源頼朝、源義経、行家の監視のため、梶原景季を京都に派遣する。
10/6:源頼朝、梶原景季より、義経の動向に関する報告を受ける。
10/13:源義経、後白河法皇に対して頼朝追討の命を下すように願う。
10/16:後白河法皇、源義経、行家に頼朝討伐の院宣を発する。
10/17:土佐坊昌俊が、源義経の屋敷を襲撃するも、失敗に終る。(「鎌倉源氏三代記~一門・重臣と源家将軍」)
10/28:源頼朝、京都を目指して鎌倉を発つ。
11/1:源頼朝、黄瀬川に到着。
11/2:源義経が、斎藤判官友実を庄四郎高家に派遣するも、友実は高家に殺害される。(「鎌倉源氏三代記~一門・重臣と源家将軍」)
11/3:源義経が、西国へ向かうも、摂津大物浦で難船する。(「戦争の日本史5」)
11/5:源頼朝が派遣した義経討伐軍が、上洛する。(「鎌倉源氏三代記~一門・重臣と源家将軍」)
11/6:源義経と行家、摂津国大物浜から船出するも、船が転覆してしまう。
11/8:源頼朝、上洛を取りやめて鎌倉に戻る。
11/11:源義経、行家追討の院宣が発せられる。
11/24:北条時政が入京する。(「鎌倉源氏三代記~一門・重臣と源家将軍」)
12/6:源頼朝が、義経挙兵に関与した朝廷内の有力者の処罰を求める。(「鎌倉源氏三代記~一門・重臣と源家将軍」)
12/12:川越重頼(義経の舅)の所領が没収される。
12/25:源頼朝、日本国惣追捕使、惣地頭に任じられる。






