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参考文献


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慶長六年(1601)

主な出来事
1/15:徳川家康をはじめ、諸大名が大坂城の豊臣秀頼に新年の挨拶を行う。(「北政所と淀殿」)
4月:佐竹義重が、徳川家康に拝謁して謝罪する。(「戦争の日本史17」)
8/8:上杉景勝が、伏見城に入り、徳川家康に謝罪する。(「上杉景勝のすべて」)

生誕
勝姫(徳川秀忠三女、松平忠直室)

死没
1/12:大石綱元(70:上杉家臣)

備考、その他
・毛利吉成(勝信)、吉政(勝長)親子が、土佐への流罪となる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・松平忠吉が、従四位下侍従に任じられる。(「江戸大名家血族事典」)
・徳川秀忠の次女子々姫が前田利常に嫁ぐ。(「江戸大名家血族事典」)
1/16:島津忠恒が、鎌田政近に書を送り、徳川家康からの島津義久の上洛要請について、簡単には信用できないと伝える。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
1/27:九条兼孝が左大臣を辞任する。
1/28:近衛信輔が左大臣に就任する。
2月:淀殿と豊臣秀頼が、徳川家康、秀忠親子を招いて饗応する。(「北政所と淀殿」)
3/26:宇喜多旧臣角南如慶が、戸川達安、花房職之が上洛し、戸川達安の所領確定が近く、自身も四五日の内に徳川家康との対面が叶いそうな見通しを述べる一方、岡越前守、花房秀成には上洛の指示もないと報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
3/27:豊臣秀頼が、権大納言に任じられる。(「北政所と淀殿」)
3/28:徳川秀忠が、権大納言に任じられる。(「北政所と淀殿」)
4月:最上義光、上杉方の東禅寺城を攻略する。
4/21:伊達政宗が、家康側近の今井宗薫に書を送り、豊臣家の将来を憂慮する。(「戦争の日本史17」)
5月:宗義智、柳川調信、寺沢正成らが、朝鮮政府に書契を発する。(「戦争の日本史16」)
5/11:徳川家臣岡部長盛、服部保英、大関資増が連署して、伊王野氏に感状を送る。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
6/29:宇喜多秀家が、島津忠恒に書を送り、自身を受け入れてくれたことについて、礼を述べる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
7月:島津氏が、家臣の鎌田政近の上洛を決定する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
7/3:上杉景勝が、会津を発つ。(「上杉景勝のすべて」)
7/24:上杉景勝が、伏見邸に入る。
8月:朝鮮国が、対馬の宗義智、柳川調信に宛てて書を発する。
8/16:徳川家康、上杉景勝に会津120万石から米沢30万石への減封を命じる。
8/24:本多正信と山口直友が、島津氏に起請文を提出し、島津氏の分国及び、島津義久、義弘、忠恒の身上を保障する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
10/4:上杉景勝、伏見で和漢連句会を催す。
10/10:上杉景勝、豊臣秀頼を通して徳川家康に暇を請う。
10/15:上杉景勝、伏見を発つ。
11月:宗義智が朝鮮に橘智正を使者として派遣する。
11/28:上杉景勝、米沢城に入る。
12月:小早川秀秋の家老稲葉正成が岡山を退去する。(「北政所と淀殿」)
12/15:直江兼続が、米沢城の邸にて、主君上杉景勝を招いて和漢連句会を催す。



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