Google

Yahoo!ブックマークに登録

参考文献


« 文禄五年~慶長元年(1596) | メイン | 慶長六年(1601) »

慶長五年(1600)

主な出来事
4/14:直江兼続が、西笑承兌からの上洛要請に対し、十六か条に及ぶ返書を認める。
5/3:徳川家康が、上杉征伐を諸大名に命じる。(「上杉景勝のすべて」)
6/6:大坂城西の丸で会津討伐の軍議が行われる。
6/18:徳川家康が、伏見城を出陣する。
7/11:石田三成が、大谷吉継と共に挙兵に決し、安国寺恵瓊を招き、毛利輝元の総大将就任を要請する。
7/17:前田玄以、増田長盛、長束正家の三奉行が、徳川家康を弾劾する「内府違いの条々」を発布する。(「戦争の日本史17」)
7/25:小山で軍議が開かれ、上方への反転攻勢に決し、諸将が尾張に向けて転進を開始する。この席で山内一豊が、居城の掛川を家康に進上する旨を提言する。
9/1:徳川家康が、江戸を出陣して、西上する。
9/15:関が原の合戦 ○徳川家康vs石田三成●
9/29:上杉景勝が、関ヶ原での西軍敗報を得る。直江兼続に撤退を命じる。
10月:毛利輝元の西軍総大将としての様々な関与が明らかとなり、改易を命じられる。吉川広家が、自らの勲功で得た二ヶ国を毛利領とするように要請し、これが認められる。
10/1:石田三成、小西行長、安国寺恵瓊が洛中引き回しの末、斬首される。


生誕
11/28:徳川義直(家康九男)

死没
栗田国時(?:上杉家臣)
7/17:細川ガラシャ(38:忠興の正室、明智光秀の娘)
7/19:水野忠重(60:徳川家臣)、加賀井重望(40:美濃加賀井城主)
8/1:鳥居元忠(62:徳川家臣、下総矢作城主)
8/3:山口宗永(?:加賀大聖寺城主)
9/13:吉弘統幸(?:大友家臣)、宗像鎮続(?:大友家臣)
9/15:大谷吉継(?:越前敦賀城主)、織田長次(?:信長の子)、島津豊久(31:家久の子)、長寿院盛惇(?:島津家臣)
9/17:村上元吉(47:毛利家臣)、曾根景房(?:毛利家臣)
10/1:石田三成(41:近江佐和山城主)、小西行長(?:肥後宇土城主)、安国寺恵瓊(?:毛利氏の外交僧)
10/3:長束正家(39:近江水口城主)
10/15:各務元正(59:兵庫助、森家家臣)

備考、その他
・上杉家臣、栗田国時の徳川家康への内通が露見し、誅殺される。
1月:
・宇喜多家でお家騒動が発生し、浮田詮家が大坂の屋敷に立て篭もる。徳川家康と大谷吉継が仲裁に入る。
・徳川家康が上杉家から年賀の使者として大坂に来た藤田信吉に対し、上杉景勝の上洛を求めるも、景勝は応じず。(「戦争の日本史17」)
1/5:宇喜多家臣中村次郎兵衛が、家中の襲撃を受け、前田家へ逐電する。襲撃者は宇喜多家中を追放され、大谷吉継を頼る。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
1/10:伏見で宇喜多家中の者が磔に処される。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
2月:
・対馬宗氏が、被慮人送還と共に、書契を朝鮮に送る。(「戦争の日本史16」)
2月:越後の堀家家老堀直政が、上杉家の動向の不審を徳川家康に報じる。(「戦争の日本史17」)
2/4:島津義弘が、忠恒に書を送り、例え不本意な内容であっても徳川家臣山口直友による調停を受け入れるように指示する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
3/10:徳川家康の家臣伊奈昭綱らが、会津への使者として伏見を発つ。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
3/13:上杉景勝、先代謙信の23回忌法要を行う。神指城の築城工事を開始する。(「上杉景勝のすべて」)
3/14:伊集院忠真と島津氏の間に講和が成立し、忠真は都城を明け渡し、薩摩頴娃に移封される。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
3/15:上杉家臣藤田信吉が、出奔する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
3/21:徳川秀忠が上杉景勝からの使者の来訪を受け、返書を送る。(「上杉景勝~転換の時代を生き抜いた人生」)
3/23:藤田信吉が江戸城に入り、徳川秀忠に上杉景勝の謀叛を報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
4月:増田長盛が、大友吉統に大坂天満に邸を与える。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
4/8:島津義弘が、忠恒に書を送り、秀吉生前に西国大名は伏見在番と定められたにも関わらず、諸大名が大坂に居を移している現状に不満を表し、自らは特に指示も受けていないので、伏見に留まっていると報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
4/13:徳川家康の使者として、徳川家臣の伊奈昭綱と増田長盛の家臣河村長門が会津に入り、景勝に上洛を促す。
4/17:徳川家康、宇喜多秀家、小早川秀秋、佐竹義宣らが参内する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
4/20:徳川秀忠が、堀尾忠氏に書を送り、上杉景勝の上洛は見込めそうにないとの見通しを報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
4/27:島津義弘が、国許の島津義久に上方の情勢を報じ、伊集院忠真の乱の鎮圧に関して、徳川家康に御礼を言上する為に家康と対面したところ、上杉景勝が6月上旬までに上洛の見通しがない場合、徳川家康が出馬してこれを征伐する状況にあるとし、その場合には伏見城の在番を自分に任せると家康に直接要請され、知人にも相談して承諾するつもりであると報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
5/3:徳川家康の使者、家臣の伊奈昭綱ら、会津から大坂に戻る。
5/5:島津義弘が、忠恒に書を送る。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
5/7:堀尾吉晴、生駒親正、中村一氏の三中老と、長束正家、増田長盛、前田玄以の三奉行が徳川家康に会津への出兵延期を求める。
5/18:徳川秀忠が、森忠政に書を送り、上杉景勝が上洛する旨、徳川家康からの使者に約束した旨を報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
5/22:前田利長が宇喜多家中の問題に目処がついた事を報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
5/25:島津義弘が、忠恒に書を送り、上方への軍勢派遣を要請する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
6/1:徳川秀忠が、森忠政に書を送り、徳川家康の出馬を報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
6/2:徳川家康、関東の諸将に会津征伐の期日を告げ、その準備を命じる。
6/6:
・大坂城西の丸で会津討伐の軍議が行われる。
・上杉景勝が、神指城の築城工事を中止する。
6/8:伊達政宗が、道中法度を定める。
6/10:
・上杉景勝が、安田能元、甘糟景継、岩井信能、大石元綱、本庄繁長に書を送り、上方勢と一戦に及ぶ自らの覚悟を示す。(「上杉景勝~転換の時代を生き抜いた人生」)
・上杉家臣来次氏秀が、5/18に大坂を発った船頭から、石田三成と福嶋正則が、上杉討伐にあたって居城の貸与を拒否したとの風聞を得た事を直江兼続配下の春日元忠に報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
6/13:前関白近衛前久が、島津義弘に書を送り、伏見城への在番について問い合わせる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
6/14:
・毛利輝元が安国寺恵瓊に書を送り、上杉討伐に伴う東国への出兵について謝辞を述べる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・伊達政宗が、大坂を発ち、帰国の途につく。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
6/15:豊臣秀頼が西の丸の徳川家康を訪れ、黄金二万両、兵糧二万石を下賜する。(「歴史読本2009年7月号」)
6/16:徳川家康が、関東、奥州の諸大名を帰国させ、自らも大坂城を出陣する。
6/17:毛利輝元が、広島に到着する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
6/27:大友吉統が、旧臣賀来三七に書を送り、家の再興への期待を表明する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
7/2:
・徳川家康が、江戸城に到着する。
・石田三成が、美濃垂井に逗留する大谷吉継を佐和山城に招く。
7/3:酒田城主の志駄義秀が、なまり玉二千発を搬入し、戦備を整える。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
7/4:吉川広家が、会津征伐の為に出雲を出陣する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
7/5:宇喜多秀家が、豊国社を参詣する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
7/7:
・徳川家康が、最上義光に書を送り、21日に出陣する旨を報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・徳川家康が、最上義光への使者を務める中川忠重、津金胤久に書を送り、奥羽諸勢の配置について指示する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・徳川家康が、屋代秀正に書を送り、北陸の諸将の会津征伐の手順について指示を与える。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
7/9:上杉景勝が、芋川正親、平林正恒に書を送り、白河口の普請を命じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
7/12:
・増田長盛が、石田三成と大谷吉継の動向に不審ありとの書を徳川家臣永井直勝に発する。
・三奉行が毛利輝元に対して、上洛を促す書を発する。
・伊達政宗が北目城に入る。
7/13:
・大坂周辺の動きに不審ありと義演准后が日記に記す。
・吉川広家が大坂に到着する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・毛利氏の大坂留守居である益田元祥、熊谷元直、宍戸元次が連署して徳川家臣本多正信、榊原康政、永井直勝に宛てて反徳川方の決起への毛利輝元の関与を否定する書を書くも、発送はせず。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・山形城に会津討伐のため、奥羽諸将が集結する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
7/14:
・吉川広家が、徳川家臣榊原康政に、反徳川方の決起への毛利輝元の関与を否定する書を書くも、発送はせず。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・直江兼続が、福島城在番衆に書を送り、伊達政宗が出馬してきた際には、自ら迎え撃つので、備えを構えて置くように指示する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・島津義弘が、義久と忠恒に書を送り、上方での西軍決起を報じ、手元に軍勢がないために身の置き所がない旨を伝え、重ねて軍勢を催促する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
7/15:
・毛利輝元が広島を出陣する。この時、加藤清正と島津忠恒に書を発し、三奉行からの上洛要請に応じる旨を報じ、両人にも上洛を要請する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・佐竹義宣が、軍法に関する掟を発する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・島津義弘が、上杉景勝に書を発し、反徳川勢力の決起を報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
7/16:蜂須賀家政が、毛利輝元に書を送り、石田三成、大谷吉継らへの加担を思い留まるように申し入れる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
7/17:
・前田玄以、増田長盛、長束正家の三奉行が、徳川家康を弾劾する「内府違いの条々」を発布する。
・細川ガラシャが、西軍の人質となるを拒否して邸に火を放って果てる。
・毛利秀元が、大坂城西の丸を占拠する。
7/18:
・石田三成が豊国社を参詣する。(「歴史読本2009年7月号」)
・伏見城の留守居である徳川家臣鳥居元忠が、西軍挙兵を報じる書を発し、城内の長束正家、前田玄以の屋敷を焼き払う。
・丹波、但馬国の西軍諸隊が、丹後に向けて侵攻する。
7/19:
・毛利輝元が、大坂城に入る。
・徳川家康が、増田長盛が家康家臣永井直勝に報せた三成挙兵の報告を受ける。
・西軍が、伏見城への攻撃を開始する。
・三河にて酒宴中、加賀井重望が水野忠重を斬り殺す。同席していた堀尾吉晴も襲撃を受けるも、手傷を負いながら重望を討つ。
7/20:
・大谷吉継が真田昌幸、信繁親子及び、長岡忠興家臣松井康之に書を送る。
・西軍が田辺城への攻撃を開始する。
・細川忠興が、宇都宮に到着する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
7/21:
・徳川家康が江戸を出陣し、会津に向かう。
・伊達政宗が北目城を出陣する。
・毛利輝元が、益田元祥に書を送る。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・細川忠興の元に石田三成と毛利輝元が結んで決起したとの報が寄せられる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
7/22:
・大谷吉継が伏見包囲軍に加勢する。(「歴史読本2009年7月号」)
・毛利輝元が、益田元祥に書を送り、毛利氏の軍勢が勢田の普請を任されたことを報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・直江兼続が、鶴淵山の普請を指示する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・島津義久が、義弘に書を送り、自ら上洛する意思を示す。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
7/23:
・伏見城包囲軍に毛利軍が加わる。
・徳川家康が、最上義光に書を送り、石田三成と大谷吉継の決起を報じ、増田長盛、長束正家、前田玄以連署による上方の不穏な情勢を報じた書状を廻送する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・毛利輝元が、益田元祥に書を送り、元祥も勢田の普請に加わる事を命じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・吉川広家が、黒田如水に書を送る。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・佐竹義宣が、石田三成に書を送る。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・徳川家康が、山崎家治、宮木豊盛に書を送る。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
7/24:
・徳川家康が小山に到着する。
・徳川家康の元に、鳥居元忠からの西軍挙兵を報じる書状が届く。
・上杉勢が、駒ヶ嶺城にあった伊達軍を追い払う。
・伊達政宗が、白石城への攻撃を開始する。
・細川忠興勢が、反転西上に転じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・池田輝政が、大坂の妻子への使者として、渡辺惣左衛門と野中市左衛門の派遣を決める。(「定本常山紀談 上」)
7/25:
・小山で軍議が開かれ、上方への反転攻勢に決し、諸将が尾張に向けて転進を開始する。この席で山内一豊が、居城の掛川を家康に進上する旨を提言する。
*小山会議の際、諸将の光背について、遺恨に思う事はないとの家康の言葉に諸将、返す言葉もない中、上条義春が、妻子が人質にされる事を恐れてはならないと力説し、諸将家康に味方するに決したという(福嶋正則の発言という説もあり)。(「定本常山紀談 上」)
・伊達政宗が、白石城を攻略し、徳川家臣村越直吉にその旨を報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・毛利家臣益田元祥が、勢田に陣替えする。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
7/26:
・前田利長が加賀金沢城を出陣する。
・徳川家康が、京極高次に書を送り、情勢に応じて同心するように要請する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・徳川家康が、小出吉政に書を送り、先手の諸将を西に向けて出馬させた旨を報じ、自らも上洛する意向を示す。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・佐竹義宣が、石田三成に書を送る。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・三奉行が、豊後の中川秀成に書を送る。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・池田輝政が、渡辺惣左衛門と野中市左衛門を大坂の妻子の下へ派遣する。(「定本常山紀談 上」)
7/27:
・徳川家臣榊原康政が、秋田実季に対し、淀殿、三奉行及び前田利長より、石田三成と大谷吉継の動向に不審があるために上洛を促す書が到来した為に上洛する旨を報じる書を発する。
・八条宮智仁親王が、家臣の大石甚介を丹後田辺城に派遣し、細川幽斎に開城を促すも、幽斎はこれを謝絶して古今集証明状を智仁親王に贈り、源氏抄と二十一代和歌集を朝廷に献上する。
7/28:
・細川忠興が、岩槻に到着する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・直江兼続が、山田喜右衛門に書を送り、越後一揆の蜂起について、指示する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・直江兼続が、伊達郡で蜂起した一揆勢を鎮圧した事を賞し、白石周辺に伊達政宗を引き付け、機を見て討ち取る決意を示す。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
7/29:
・石田三成が伏見包囲軍に加勢、督励した後、大坂城に入る。
・徳川家康が黒田長政と田中吉政に書を送り、三奉行が石田三成に同調したことを報じ、池田輝政と善後策を協議するように指示する。
・毛利輝元、増田長盛、長束正家、前田玄以が連署して毛利家臣佐波広忠に徳島城周辺への禁制を発する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・毛利輝元が、佐波広忠、村上元吉、景親に書を発し、阿波国の占領政策について指示する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・徳川家康が、桑山重晴、一晴に書を送る。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・島津義弘が、忠恒に書を送り、西軍への加勢が御家のためになると説き、重ねての軍勢派遣を要請する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・島津義弘が、本田正親と伊勢貞成に書を送り、自身の分国にこれ以上の軍役をかけられないので、家中からの自発的な参陣を待つほかないと報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
7/30:
・徳川家康が、藤堂高虎に書を送り、何事も福嶋正則、池田輝政、田中吉政と相談するように指示する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・石田三成が、真田昌幸に書を送り、挙兵の経緯について釈明しつつ、協力を要請する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・大谷吉継が、真田昌幸に書を送る。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
8月:大友吉統が、毛利輝元に起請文と次子長蔵を人質として差し出して、奉公を誓う。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・島津勢と小早川勢とが、伏見城松の丸へ城内からの内通者の導きにより侵入する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
8/1:
・西軍が伏見城を攻略する。
・前田利長が加賀大聖寺城を包囲する。
・黒田如水が、吉川広家に書を発する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・毛利輝元が、益田元祥に書を送り、徳川家康からの書状案文を添えたので、秀元と広家に廻覧するように指示する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・長束正家と増田長盛とが、真田昌幸に書を送り、上杉景勝、佐竹義宣が味方である旨を報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・徳川家康が、田中吉政に書を送り、山岡景友に備前衆を添えてそちらに派遣したので、伊勢安濃津城救援の為に渡海出来るように支援を依頼する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・徳川家康が、脇坂安治に書を送る。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
8/2:
・徳川家康が、小山から江戸に向かう。
・大谷吉継が越前に入る。
・細川忠興が、小田原に到着する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
8/3:
・前田利長が、加賀大聖寺城を攻略する。(「歴史読本2009年7月号」)
・直江兼続が、山田喜右衛門に書を送り、越後一揆の蜂起を伝え、村上義明、溝口秀勝の領内での一揆は控えるように指示する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・伊達政宗が、井伊直政と村越直吉に書を送り、伊達勢と相呼応して諸軍の上杉領への攻勢を要請する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
8/4:
・徳川家康が小山から転進して、江戸に向かう。
・徳川家康が、池田輝政、長吉、九鬼守隆、浅野幸長、福島政則、細川忠興、加藤嘉明らに井伊直政の派遣を報じる。
・毛利輝元と宇喜多秀家が、豊後杵築城の松井康之に書を送り、太田一成を使者として下すので、城を明け渡すように指示する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・直江兼続が、山田喜右衛門に書を送り、越後の諸大名に届けられた三奉行二大老からの書面で、西軍に加わる可能性があるが、堀氏領内に関しては構わず一揆を催すように指示する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・三条城を攻撃した越後一揆勢が、堀直次に撃退される。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・直江兼続が、梁川城に兵を送り、伊達政宗を取り逃がさぬように指示する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
8/5:
・徳川家康が江戸城に入る。
・宇喜多秀家が豊国社を参詣する。(「歴史読本2009年7月号」)
・長束正家、安国寺恵瓊らが、伊勢に侵攻する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・直江兼続が、岩井信能に書を送り、佐竹義宣から使者が来て、加勢を依頼された旨を報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
8/6:
・直江兼続が会津の上杉景勝の側近清野助二郎に書を送り、石田三成からの使者には自身が返事を出す意向を示し、越後一揆については、会津の上杉景勝に指示を出すように依頼する。
・前田利長が、越前細呂木に進出する。(「歴史読本2009年7月号」)
・石田三成が、真田真幸に書を送る。
8/7:
・石田三成が、佐竹義宣に書を送り、越後の諸大名が越中に侵攻する旨を報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・上杉家臣来次氏秀が、伊達政宗が上杉方に味方しようとの意思を示したと報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
8/8:
・上杉景勝が、岩井信能、島津忠直らの陣を慰問する。
・徳川家康が、黒田長政に書を送り、吉川広家からの書状について承知した旨を伝える。また、添え状を出した本多正純が、井伊直政が体調を崩したので、代わりに本多忠勝を派遣することを報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・毛利輝元が益田元祥に書を送り、伊勢進出に関しての毛利秀元からの援軍要請を当面拒絶し、追って到着する軍勢を遣わすと応える。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・秋田実季が、榊原康政に書を送る。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
8/8:本多正純が、黒田長政に書を送る。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
8/9:石田三成が美濃に向けて出陣する。
8/10:
・石田三成が、真田昌幸、信繁親子に書を発する。
・上杉景勝が、白河から会津に引き上げる。
・前田利長が、金沢に帰城する。(「歴史読本2009年7月号」)
・毛利輝元が、益田元祥に書を送り、秀元の軍勢の伊勢への陣替について、安国寺恵瓊、長束正家より督促された旨を報じ、元祥からも伊勢出兵を促すように指示する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・藤堂高虎が、尾張熱田に到着する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
8/11:
・石田三成が大垣城に入る。
・醍醐寺、東寺長者義演が、蜂須賀家政が西軍によって逼塞の身となり、配下の将兵が豊臣秀頼の馬廻として北国への出陣を命じられ、京都周辺に到着したと日記に記す。
8/12:
・徳川家康が、加藤清正に書を送り、戦功次第で肥後、及び筑後の進呈を約束する。
・徳川家康が、細川忠興に書を送り、従来の丹後国に加え、但馬国の加増を約束する。
・徳川家康が、伊達政宗に書を送り、江戸に引き上げた経緯を報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・毛利秀元が、勢田から伊勢に向かって進撃を開始する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・太田一成が豊後杵築に到着する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・直江兼続が、岩井信能に書を送り、越後に援兵を差し向けた旨を報じ、出羽の由利衆、小野寺氏も味方であると伝える。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
8/13:
・小早川秀包が、立花宗茂の軍勢の遅参を「笑止に存じ候」と書中に述べる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・太田一成が、杵築城の松井康之に毛利輝元らの書状を渡し、城の引渡しを求めるも、康之はこれを拒絶する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・直江兼続が、福島城の在番衆に書を発し、政宗が兵を出してきた際は自ら、これを討ち取ると報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
8/14:
・徳川家康が、九鬼守隆に書を送り、戦功次第で南伊勢五郡の加増を約束する。
・伊達政宗が、北目城に撤退する。
8/15:
・毛利秀元が、近江土山に到着する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・島津義弘が、近江佐和山に到着する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
8/16:島津義弘が、美濃垂井に到着する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
8/17:黒田長政が、吉川広家に書を送り、毛利氏に立場を家康も了承した旨を報じ、毛利氏と徳川氏の講和を促す。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
8/18:
・最上義光が、直江兼続に書を送り、上杉景勝との和議を画策する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・毛利元康と堅田元慶が、伊予国人久枝又左衛門に書を送り、藤堂高虎領への侵攻について曾根景房を派遣することを報じ、協力を要請する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・豊後竹田城主中川秀成が、加藤清正に書を送り、徳川家康に奉公したいが、妻子を人質に取られたために上洛したいとの意向を示す。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・清洲に在陣する宇喜多氏旧臣の戸川達安が、伊勢に在陣する宇喜多家臣の明石全登に書を送る。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
8/19:
・徳川家康の使者、村越直吉が清洲に到着する。福島正則が、直吉に家康の動向を詰問したところ、逆に正則らの態度に不審ありと返す。これに正則がやおら扇子を取り出して直吉を扇ぎ、尤もなことであるとし、直ちに戦功のほど見せた差し上げようと言い放つ。
・徳川家康が、南部氏をはじめとする奥羽諸将に帰国を指示する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・上杉景勝と直江兼続とが、結城朝勝にそれぞれ書を送り、佐竹氏との同盟成立について、交渉を委ねる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・伊勢に在陣する宇喜多家臣明石全登が、清洲に在陣する戸川達安に書を送る。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・島津義弘が、忠恒に書を送り、重ねて加勢を要請する。また、忠恒の妻に代わって義久が上洛するという件について、その必要はないと伝える。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
8/20:
・伊勢国関の地蔵にて、毛利秀下家臣と益田元祥家臣が喧嘩に及ぶ。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・毛利元康と堅田元慶とが、土佐に在国する長宗我部氏外交僧瀧本寺非遊に書を送り、長宗我部氏の留守居部隊による伊予国への侵攻を促す。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・榊原康政が、堀親良に書を送り、越後国内の一揆を鎮圧した旨を賞する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・島津義弘が、本田正親に書を送り、長宗我部、立花氏らが軍役を越えた大軍を派遣しているのに対し、当家は軍役に及ばぬ兵力で、面目を失っていると報じる。
8/21:
・八条宮智仁親王が、細川幽斎に田辺城開城を促すも、幽斎はこれを謝絶する。
・福島正則らが、清洲城を出陣し、岐阜城を目指す。
・徳川家康が、秋田実季ら奥羽諸将に帰国を指示する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
8/22:
・徳川家康、伊達政宗に百万石のお墨付きを与える。
・島津義弘、豊久が墨俣に布陣する。
・木曽川合戦 ○池田輝政らvs織田秀信●
・福島正則らが、竹ヶ鼻城を攻略する。この後相呼応して岐阜城に向かうはずが、別働隊の池田輝政らが既に岐阜城に向かっているとの報せを聞いて正則が激怒し、諸将これを宥めて夜を徹して岐阜城に向かうことに決する。
・榊原康政が、秋田実季に書を送り、山形から一旦帰国した件を承認する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
8/23:
・東軍が岐阜城を攻略し、織田秀信は降伏して円徳寺にて剃髪する。(「尾張・織田一族」)
・徳川秀忠が、沼田城の真田信幸に出陣を促す書を発する。
・合渡川の戦い ○黒田長政らvs西軍●
※この時、合渡川渡河について、諸将の意見が分かれるも、黒田家臣の後藤基次の意見を容れて渡河に決したという。(「定本常山紀談 上」)
・直江兼続が、白石表に兵を派遣し、近日中に自ら出陣すると報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
8/24:
・毛利秀元らが、伊勢安濃津城への攻撃を開始する。
・徳川秀忠が、宇都宮を発つ。
・東軍諸隊が、赤坂に布陣する。
・毛利輝元が、吉川広家に書を送り、20日の喧嘩騒動を受け、敵を前にしての内輪揉めを控えるよう、指示する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
8/25:
・二大老三奉行と石田三成が、上杉景勝に連署状を送り、徳川家康の非を列記し、共闘を要請する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・富田信高が、毛利秀元ら西軍に安濃津城を明け渡す。
・黒田長政が、吉川広家に再度書を送り、毛利氏と徳川氏の講和を進めるように促し、既に家康が駿府に達したとの虚報を伝える。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・上杉景勝が、西軍諸将に書を送り、越後の諸大名が味方についたので、一揆も静まった事と、当面、伊達、最上両氏を征伐するが、家康が西に向かった場合、佐竹氏と連携して、万事を投げ打って関東を攻めるつもりであると報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・堀直政が、西山庄左衛門に書を送り、能生泊に上方からの使者が到着した旨を報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・佐竹義重が、赤館に蘆名盛重を残して帰陣する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
8/26:
・徳川秀忠が、本多正純と村越直吉に書を発し、青山忠成を通じて家康からの指示を承知した旨を報じる。
・毛利輝元が、国元の留守居を務める宍戸元行、佐世元嘉、三澤為虎、和田重信に書を送り、門司城の守備を堅固にするように指示する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
8/27:
・江戸の徳川家康の元に岐阜城攻略の報が届けられる。
・毛利輝元が、安濃津城について自軍の兵を二の丸に入れて確保し、増田長盛に管理を委ねないように命じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・毛利輝元が、村上武吉、宍戸景世、村上元吉、曾根景房に書を発し、藤堂高虎領への軍勢派遣は留守居の者に調略をかけるので、当面様子を見るように指示する一方、加藤嘉明領については準備が調い次第、侵攻するように命じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
8/28:
・黒田長政、浅野幸長が連署して小早川秀秋に対し、「北政所の為にも徳川方に加勢するように」と要請する。(「北政所と淀殿」)
・徳川秀忠が、黒田長政に上野松井田到着を報じる。
・豊後杵築城の守備を務める細川家臣松井康之が、大友吉統が豊後に派遣されてくる見通しを述べた他、毛利吉成が、配下の軍勢が伏見で大打撃を受けた為、西軍の使者として熊本の加藤清正の元に派遣された旨を報じる書状案を記す。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・加藤清正が、大友吉統が周防上関に至ったと報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
8/29:
・徳川家康が、大久保忠益を使者として、江戸から上田に派遣する。
・加藤清正が、豊後中川家中の大友旧臣である田原紹忍と宗像掃部の動向に警戒するよう、松井康之らへ報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・直江兼続が、結城朝勝に書を送り、関東の様子を確認したいので、佐竹氏と協力して江戸の状況を報じるよう指示する。また、日光山領の一揆の内応については、伊達、最上両氏との問題が済み次第、関東に出馬するので、その際には忠節に励むよう準備を整えておくように要請する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
9月:上杉氏が、鶴淵山に普請工事を行い、塩谷伯耆守、桜井三介、山田修理亮、栗林政頼、鹿沼右衛門が在番として置かれる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
9/1:
・徳川家康が、江戸を出陣して、西上する。
・島津家臣長井利貢が、島津勢の上方での戦功を書状に書き留める。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
9/2:
・徳川秀忠が、信濃小諸城に到着し、上田城の真田真幸に書を発して恭順を促す。
・徳川家康が藤沢に到着する。
9/3:
・増田長盛が、大津城下に在陣する毛利勢に書を発し、大津の本城域に無理に入れば、留守を守る京極勢と戦闘状態になる恐れがあるので、三の丸に加勢と称して入るよう指示する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・大谷吉継が美濃関が原に布陣する。
・京極高次が近江大津城に立て篭もり、西軍に反旗を翻す。
・徳川家康が小田原に到着する。
・黒田如水が、吉川広家に書を送り、家康への対応を誤ってはならないと伝える。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・加藤嘉明家臣の萩森元教が、毛利氏への同心を拒否する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・直江兼続が本庄繁長に書を送り、伊達政宗との講和に理解を求め、伊達勢と共に関東に出馬する旨を伝える。また、最上義光との講和を急ぎ、こちらが先にまとまれば、伊達政宗を攻め、まとまらなければ、最上を攻める意向を示す。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
9/4:
・徳川秀忠が、上田城に再度使者を派遣するも、真田昌幸は恭順を拒否する。
・徳川家康が三島に到着する。
9/5:
・徳川秀忠が、小諸城を出陣し、染谷に布陣する。真田信幸が信繁の守備する伊勢山城を占拠する。
・徳川家康が清見寺に到着する。
・越後国広瀬にて、一揆勢と堀氏勢が交戦する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・島津義弘の元に援兵五百名が到着する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
9/6:
・徳川秀忠配下の将士が、上田城を攻撃するも、退けられる。
・徳川家康が島田に到着する。
・毛利元康が、大津城攻略の為、大坂を出陣する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
9/7:
・毛利秀元、長宗我部盛親、長束正家らが南宮山麓に布陣する。(「歴史読本2009年7月号」)
・毛利元康、立花宗茂、筑紫広門らが大津城を包囲する。(「北政所と淀殿」)
・徳川秀忠が、井伊直政と本多忠勝に書を送り、真田氏への処置を講じた後の上洛を報じる。
・徳川家康が中泉に到着し、京極高次に書を送り、支援を約束する。
・徳川家康が、伊達政宗に書を送り、西軍諸将が大垣城に逃げ込んだと報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・大友吉統が、黒田如水に書を送り、毛利輝元の御恩に報いる覚悟を伝える。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・島津義弘が、忠恒に書を送り、今回の西軍加担が決して自らの為の挙ではないと報じ、更に加勢を要請する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
9/8:
・徳川家康が白須賀に到着する。
・大友吉統が、豊後国別府浦に上陸する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・越後大崎表、下田表にて、一揆勢と堀氏勢とが交戦する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・最上義光が、山形に向けて出陣する。
9/9:
・徳川秀忠が、小諸に撤退する。
・徳川家康からの使者、大久保忠益が、小諸に到着する。
・徳川家康が岡崎に到着する。
・大友吉統が、豊後立石に布陣する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
9/10:
・大友吉統率いる西軍が豊後杵築城に向かう。吉統は、旧臣が自陣に馳せ参じている様子を諸方に報じ、味方を募る。
・徳川秀忠が、小諸を発ち、西上を開始する。
・徳川家康が熱田に到着する。
・宇喜多秀家が、国元の留守居衆に書を送り、人質の徴収を命じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
9/11:
・前田利長が再度、金沢城を出陣する。
・徳川秀忠が、里見義康に書を送り、家康の指示で上洛する事となった旨を報じる。
・徳川家康が清洲に到着する。夜に藤堂高虎が美濃赤坂から来訪し、密議に及んだ他、本多忠勝、井伊直政も呼び寄せて協議する。
・杵築城を攻撃した大友勢が、城内から反撃を受け、立石まで軍を後退させる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
9/12:
・西軍が大津城への攻撃を開始する。
・益田元祥が、毛利輝元に書を送り、今朝方の徳川家康の着陣に至って、前線の諸将に動揺が及んでいる旨を伝える。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・毛利輝元が、益田元祥に書を送り、異変があればすぐに知らせるように指示し、安国寺恵瓊と福原広俊と相談して対処するように命じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・西軍の村上吉清、菅達長が水軍を率いて伊勢桑名に入り、諸将と軍儀に及ぶ。(「定本常山紀談 上」)
9/13:
・大津城の二の丸までが西軍に攻略される。(「北政所と淀殿」)
・勅使が丹後田辺城に派遣され、開城講和を促す。細川幽斎、これに応じる。
・石垣原の合戦 ○黒田如水vs大友吉統●
・徳川秀忠が、下諏訪に到着する。
・徳川家康が岐阜に到着する。馬印などを先行させて赤坂の陣に運び入れる。
・直江兼続が、最上氏の畑谷城を攻略する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
9/14:
・小早川秀秋が伊藤盛正を追い、松尾山城に布陣する。
・徳川家康が美濃赤坂に着陣する。その後の軍議において、大垣城を攻撃せずに、西進して大坂に向かう事とする。
・本多忠勝と井伊直政が、小早川秀秋家臣平岡頼勝、稲葉正成に起請文を送り、徳川方加勢を促す。(「北政所と淀殿」)
・本多忠勝と井伊直政が、吉川広家、福原広俊に対し、徳川家康が毛利輝元を粗略に扱わず、分国を安堵することを約束した起請文を提出する。黒田長政と福嶋正則も、これらの内容を保証する起請文を出す。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・大津城に北政所と淀殿の使者が到着し、両軍の和議を仲裁し、京極高次は城を明け渡す。(「北政所と淀殿」)
・杭瀬川で東軍中村一栄勢と島左近らの西軍が交戦に及ぶ。
・夜に入って、大垣城の石田三成らが城を出て関ヶ原に向かう。これを察知した東軍諸隊も関ヶ原に向けて移動を開始する。
・毛利氏の伊予征伐軍が、伊予松崎沖の興居島に着陣する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・伊達政宗が、片倉景綱に書を送り、佐竹氏に送った使者が戻り、良好な関係にある事を報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・徳川方の伊王野氏と上杉勢とが、白河近くの関山で交戦する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
9/15:
・関が原の合戦 ○徳川家康vs石田三成●
・京極高次が、大津城を出て三井寺にて剃髪、高野山に向かう。
・大友義統が黒田如水に降伏する。
・加藤清正が、豊後目指して出陣する。
・毛利家臣村上武吉、元吉、宍戸景世が、伊予の豪商武井宗意、宮内休意に書を送り、恭順を促す。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
9/16:加藤清正が、黒田如水に書を送り、小早川秀秋と吉川広家の西軍離反の噂が現実のものとなりそうだとの見通しを述べる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
9/17:
・上杉勢が、上山城を攻める。
・加藤清正が、石垣原合戦の報を受け、軍を転進し、小西行長の居城である宇土城に向かう。
・伊予三津浜に在陣する毛利軍が、加藤嘉明配下の軍勢の攻撃を受け、村上元吉、曾根景房らが討死する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・吉川広家が、徳川家康の命に従って堀尾忠氏の案内者に従って毛利軍は撤退したとする書状案を記す。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・毛利勢が伊吹山を発ち、佐和山を抜け、近江八幡に至る。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・黒田長政と福嶋正則とが、毛利輝元に書を送り、吉川広家と福原広俊とを通じて、毛利氏との講和を徳川家康が望んでいる旨を報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
9/18:
・東軍が佐和山城を攻略する。
・広島にある毛利家臣佐世元嘉が、伊予に在陣する村上景房に書を送り、17日での合戦での働きについて賞する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・徳川家康が、黒田長政と福嶋正則に書を送り、吉川広家と宍戸元次を残し、残る毛利勢を福原広俊に預けて大坂へ帰陣させる事に同意し、小早川秀秋に宇喜多氏の旧臣を添えて、宇喜多領の接収を行わせるように指示する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・毛利勢が勢田を渡って大坂に帰陣する。この時、黒田長政、福嶋正則から東軍参加を打診されるも、毛利秀元が講和の話を聞いていないとして拒否する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
9/19:
・加藤清正が、宇土城への攻撃を開始する。
・小西行長が伊吹山中で逮捕される。
・毛利輝元が、阿波を占拠する諸将に書を送り、徳川家康との和睦が成立したので、蜂須賀氏に阿波を返還するように指示する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・毛利輝元が、黒田長政と福嶋正則に書を送り、所領安堵の件について誓詞が届けられた事に御礼の旨を伝える。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・伊予如来院にて、毛利軍と加藤軍が交戦する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
9/21:
・伊達政宗が、最上義光の元に援兵を派遣する。
・伊達政宗が、留守政景に書を送り、佐竹氏から使者が到来し、連携を申し入れてきた旨を報じ、自ら山形城救援に赴く意向を示す。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・直江兼続が、会津にいる安田能元に書を送り、白河より上方で西軍優位との情報が伝わってきているので、伊達、最上両家共に討伐する準備をすべきであると報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
9/22:
・石田三成が近江古橋村で田中吉政に逮捕される。
・島津義弘が、堺を出航し、薩摩への帰国の途につく。
9/23:
・安国寺恵瓊が、京都で奥平信昌に逮捕される。
・伊予三津木山で、毛利軍と加藤軍とが交戦する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・毛利輝元が、本多忠勝と井伊直政に起請文を提出する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
9/24:
・徳川家康が、小早川秀秋に感状を送り、今後は秀忠同様に扱う意向を示す。(「北政所と淀殿」)
・伊予に在陣する毛利軍の元に関ヶ原合戦の報が伝わり、撤退する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・伊達政宗が、最上義光父子に書を送り、上杉景勝が出馬した場合、自身も出馬して年明けまでに雌雄を決するつもりであると報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・伊達政宗が、山形に派遣した留守政景に書を送り、29日に出陣する予定を報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
9/25:
・藤堂高虎、浅野幸長、黒田長政、福嶋正則、池田輝政が、毛利輝元に起請文を提出し、本多忠勝と井伊直政とが提出した起請文のないように偽りがない事を保障する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・毛利輝元と増田長盛が、大坂城を退去する。
・徳島城にあった毛利軍が、蜂須賀家臣益田彦四郎に徳島城を返還して撤退する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・伊達政宗が、山形に派遣した留守政景に書を送り、会津の上杉勢の動向に不安を見せる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・上杉景勝が、樋口兼豊に書を送り、伊達政宗の動向について、楽観的な見通しを述べる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
9/27:
・徳川家康が、大坂城に入り、豊臣秀頼に拝謁する。
・伊達政宗が、留守政景に書を送り、自身の出陣をひとまず見合わせる旨を報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
9/28:寺沢正成と山口直友とが、島津義久、忠恒に書を送り、義弘の西軍加担に両人がいかほど関与していたのかを問い合わせる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
9/29:
・伊達政宗が、徳川家康に書を送り、自らの戦功を報じる一方で、結城秀康らが相呼応して白河に侵攻しない事について、不満を露にする。また、南部氏の動向に不審がある事を伝える。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・伊達政宗が、結城秀康に書を送り、白河方面への派兵を要請する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・島津義弘が、日向細島津に帰着する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・直江兼続が、岩井信能に書を送り、上方での戦況は西軍優位で進んでいると報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
9/30:
・徳川家康が、毛利輝元を先鋒として島津氏への追討令を発する。
・亥の刻(午後10時)に伊達政宗が、関ヶ原での東軍の勝報を得る。
10月:織田秀信が高野山に入る。(「尾張・織田一族」)
10/1:
・石田三成、小西行長、安国寺恵瓊が洛中引き回しの末、斬首される。
・長谷道城を包囲する上杉勢が撤退し、これを最上義光が追撃する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・最上義光が、留守政景に書を送り、山形周辺の上杉勢掃討に成功した旨を報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
10/2:
・黒田長政が、吉川広家に起請文を送り、毛利輝元の罪状を列記してその分国を召し上げるとし、広家に周防、長門二ヶ国を与える徳川家康の意向を報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・上杉家臣水原親憲が、昨日の撤退の難儀さを書に記す。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
10/3:
・長束正家が切腹して果てる。
・吉川広家が黒田長政と福嶋正則に起請文を提出し、自身が大名になる意思はなく、毛利氏の存続を依頼する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・直江兼続が荒砥に撤退する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
10/4:
・黒田如水が、吉川広家に書を送り、豊前小倉城に毛利氏の在番衆がいる事に触れ、毛利吉成に城を明け渡さないように要請する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・直江兼続が、上杉景勝の側近清野長範に書を送り、関ヶ原での西軍の敗報に接し、山形から兵を引いた旨を報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
10/6:伊達政宗が梁川、福島の上杉領に侵入し、交戦する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
10/7:近衛信尹が島津忠長らに書を送り、関ヶ原合戦から逃げ延びた島津家中の者を匿っている旨を報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
10/8:堀親良が、徳川秀忠に書を送り、会津から兵が送られ、一揆が蜂起した旨を報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
10/10:徳川家康が、毛利輝元に周防、長門二ヶ国への減封を命じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
10/15:
・淀殿と豊臣秀頼が、徳川家康を大坂城本丸に招いて饗応する。その際、家康が遠慮したにも関わらず、盃は淀殿~家康~秀頼の順に廻される。
・徳川家康が、伊達政宗に上杉景勝との交戦に関して、自重を促す書を発する。
10/20:宇土城の小西行景が、城を加藤清正に明け渡す。
10/22:島津義久と忠恒が、寺沢正成に書を送り、島津義弘の西軍加担について弁明する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
10/24:徳川家康が、伊達政宗に書を送り、来年を期しての上杉征伐を言明する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
10/27:立花宗茂が、徳川秀忠が島津氏討伐の為に出馬するようだと報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
11/3:上杉景勝が、和平の議を決し、本庄繁長を上洛させて家康に謝罪することにする。
11/12:徳川家康が、黒田如水に書を送り、島津氏征伐を当面見合わせるように指示する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
11/13:伊達政宗が、片倉景綱に書を送り、関東に在陣する結城秀康に動きが見られない事から、当面、上杉領への侵攻を控えるように指示する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
12/19:九条兼孝が関白、左大臣に就任する。



コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コ メントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認される まではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)






まとめ買いで送料がおトク!「楽天24」


加藤珈琲


お米の稲田






iTunes Store(Japan)
ドミノ・ピザ【PC向けサイト】
映画館で並ばずにチケットが買える!







Just MyShop(ジャストシステム)