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参考文献


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文禄五年~慶長元年(1596)

主な出来事
・徳川家康が、内大臣に任じられる。(「江戸大名家血族事典」)
6月:浅間山が噴火する。
閏7月12日:京都、伏見をはじめ、近畿地方で大地震発生。伏見城が倒壊する。
9月初:豊臣秀吉が、明国からの使節の発言に激怒し、朝鮮への再出兵を決める。
9月1日:豊臣秀吉、大坂城で明国からの使者を引見する。
9月2日:豊臣秀吉が、明国からの使者を饗応する。
10月27日:慶長に改元する。
12月19日:フランシスコ会員26名が長崎で殉教する。



備考、その他
・織田秀信が従三位権中納言に任じられる。(「尾張・織田一族」)
・徳川家康の娘振姫が、蒲生秀行に嫁ぐ。(「江戸大名家血族事典」)
1月:沈惟敬が釜山を発ち、名護屋に向かう。(「戦争の日本史16」)
1/14:島津忠恒が、共に朝鮮に渡海した伊集院久治に知行宛行状を送り、例え義久、義弘の同意がなくとも加増を行うと約束する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
1/26:島津義弘が、忠恒に書を送り、忠恒よりの家臣団への加増の申し入れを拒否する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
2/6:島津義久が忠恒に書を送り、今度の知行配分は豊臣政権の意向であるから、これを覆して、新たに家臣団に知行を宛行うのは無理であると報じる。また、義弘の嘆願によって島津忠長らに加増が行われたものの、義弘に近い者ばかりが加増を受けていると不満を表す。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
3/1:石田三成が、近江浅井郡、伊香郡に対し、村掟条々を定める。(「雑兵たちの戦場」)
3/21:島津義久が、常久の乳母に書を送り、常久の給地配分したのは義弘と伊集院忠棟であり、自分には如何ともし難いと伝える。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
4月:近衛信輔が、赦免される。
4/2:明の正使李宗城が、使節の役目を放棄して逃亡する。
5月:豊臣秀頼が従四位下に叙任される。(「北政所と淀殿」)
6月:島津忠恒が、鎌田政近や伊集院久治に三千石の加増を約束する知行宛行状を出す。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
6/中旬:明の正使楊方亨(副使から昇格)が朝鮮の使節を伴って釜山を発つ。
閏7月9日:豊後別府湾で大地震が発生する。「地震の日本史」)
8/中旬:明、朝鮮からの使節が堺に到着する。
8月28日:スペイン船サン・フェリーペ号が土佐沖に漂着する。
8月29日:明国からの使者が、堺から大坂に着く。
8月30日:長宗我部元親が、サン・フェリーペ号の遭難を知らせる使者を増田長盛に宛てて発する。
9月初:豊臣秀吉が、明国からの使節の発言に激怒し、朝鮮への再出兵を決める。
9月5日:徳川家康が、江戸に帰国すべく、伏見を発つ。
9月6日:秀吉、南蛮船の積荷を没収するように命じる。これを受けて増田長盛、摂津、阿波、紀伊、和泉、淡路の船手、大工の動員を命じる。
9月7日:豊臣秀吉が、明国からの使者に増田長盛を通じて金銀を送る。
9月15日:近衛信輔が、帰京する。
9月16日:増田長盛が、サン・フェリーペ号の積荷没収のため、大坂を発ち土佐へ向かう。
9月22日:増田長盛が、土佐国に入る。
9月26日:豊臣秀吉が、伏見でインド副王使節、司教マルチンスを引見する。
10月:島津忠恒が、石田三成家臣安宅秀安に書を送り、朝鮮に在陣する島津家臣団への加増を要請する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
10/上旬:小西行長が肥前名護屋に入る。
10月7日:増田長盛が、サン・フェリーペ号の積荷を没収して土佐を発つ。
10月11日、増田長盛が、大坂に帰る。
10月19日:豊臣秀吉の命により、京都のフランシスコ会修道院、包囲される。
11/上旬:加藤清正が、肥後熊本を出陣する。
11月15日:フランシスコ会修道院24名、京都で耳を削がれる。
11/18:淀殿と豊臣秀頼が、大坂城に移る。(「北政所と淀殿」)
11/23:朝鮮の使節が釜山に帰還する。
12/末:明の使節が釜山に帰還する。



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