天正二十年~文禄元年(1592)
主な出来事
1/5:太閤豊臣秀吉が、諸大名に朝鮮半島~中国大陸への出兵を命じる。
3/26:太閤豊臣秀吉、朝鮮出兵のために京都を発つ。この時、小田原出陣の吉例として、淀殿と松の丸殿を伴う。(「北政所と淀殿」)
5/3:小西行長らが京城に入城する。(「戦争の日本史16」)
7/22:豊臣秀吉が、生母大政所の病を知り、名護屋を発って京都へ向かう。大政所はこの日、京都で死去する。
12/8:文禄と改元する。
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文禄・慶長の役要図(製作途中)
生誕
松平忠輝(徳川家康六男)
死没
6/17:梅北国兼(?:島津家臣)
7/22:豊臣仲(80:豊臣秀吉の母、大政所)
9/10:色部長実(40:上杉家臣)
備考、その他
・織田秀信(三法師)が岐阜城に13万3千石を与えられ、参議に任じられる。
・徳川家康が、四男松平忠吉に対し、武蔵忍に十万石を五男武田信吉に下総佐倉に五万石を与える。(「江戸大名家血族事典」)
1/5:
・太閤豊臣秀吉が、諸大名に朝鮮半島~中国大陸への出兵を命じる。
・豊臣秀吉が、大陸侵攻の通路にあたる諸国に掟を発し、在所の者の逃散及び、軍勢による乱坊狼藉を禁じる。(「戦争の日本史16」)
1/18:豊臣秀吉が小西行長、宗義智に先に朝鮮に渡って明国への進軍が出来るように交渉し、万一三月中に話がまとまらない場合、朝鮮を討伐するように命じる。
1/28:近衛信輔が、左大臣を辞任する。
1/30:近衛信輔が、奈良へ出奔する。
2/3:大谷吉継が、敦賀の舟座に諸役免許状を下す。(「歴史読本2009年7月号」)
2/9:京都の高倉通天守之町が、所司代前田玄以に家主の申告をする。(「雑兵たちの戦場」)
2月中旬:近衛信輔が帰京する。
2/20:石田三成、増田長盛、大谷吉継らの軍勢が京都を出陣し、肥前名護屋へ向かう。
3/1:上杉景勝、朝鮮出兵のため、春日山城を出陣する。(「上杉景勝のすべて」)
3/8:豊臣秀吉の京都出陣が軍勢の混雑によって来月20日に延期となる。(「戦争の日本史16」)
3/12:小西行長が対馬に到着する。
3/13:
・上杉景勝が上洛する。
・豊臣秀吉が渡海に向けての軍令を発する。
・豊臣秀吉が石田三成、大谷吉継、岡本良勝、牧村利貞を名護屋城の舟奉行に任ずる。(「歴史読本2009年7月号」)
| 3/13付・豊臣秀吉軍令による渡海軍編成 | ||
| 姓名 | 城地 | 兵数 |
| 一番隊 | ||
| 宗義智 | 対馬府中 | 五千 |
| 小西行長 | 肥後宇土 | 七千 |
| 松浦鎮信 | 肥前平戸 | 三千 |
| 有馬晴信 | 肥前日野江 | 二千 |
| 大村喜前 | 肥前大村 | 千 |
| 五嶋純玄 | 肥前福江 | 七百 |
| 二番隊 | ||
| 加藤清正 | 肥後熊本 | 一万 |
| 鍋島直茂 | 肥前佐賀 | 一万二千 |
| 相良頼房 | 肥後人吉 | 八百 |
| 三番隊 | ||
| 黒田長政 | 豊前中津 | 五千 |
| 大友義統 | 豊後府内 | 六千 |
| 四番隊 | ||
| 毛利吉成 | 豊前小倉 | 二千 |
| 島津義弘 | 大隅栗野 | 一万 |
| 高橋元種 | 日向県 | |
| 秋月種長 | 日向高鍋 | |
| 伊東祐兵 | 日向飫肥 | |
| 島津豊久 | 日向砂土原 | 以上四大名合わせて二千 |
| 五番隊 | ||
| 福島正則 | 伊予今治 | 四千八百 |
| 戸田勝隆 | 伊予大洲 | 三千九百 |
| 長曽我部元親 | 土佐浦戸 | 三千 |
| 蜂須賀家政 | 阿波徳島 | 七千二百 |
| 生駒近規(親正) | 讃岐高松 | 五千五百 |
| 来島通之・通総 | 伊予来島 | 七百 |
| 六番隊 | ||
| 小早川隆景 | 筑前名島 | 一万 |
| 小早川秀包 | 筑後久留米 | 千五百 |
| 立花宗茂 | 筑後柳川 | 二千五百 |
| 高橋直次 | 筑後江浦 | 八百 |
| 筑紫広門 | 筑後福島 | 九百 |
| 七番隊 | ||
| 毛利輝元 | 安芸広島 | 三万 |
| 八番隊 | ||
| 宇喜多秀家 | 備前岡山 | 一万 |
| 九番隊 | ||
| 豊臣秀勝 | 美濃岐阜 | 八千 |
| 長岡忠興 | 丹後宮津 | 五千五百 |
| 注:兵数はあくまで指令上の事で、実際に渡海した数には多かれ少なかれ差異がありました。 | ||
3/22:上杉景勝、博多で神谷宗湛の茶会に招かれる。
3/26:
・太閤豊臣秀吉、朝鮮出兵のために京都を発つ。この時、小田原出陣の吉例として、淀殿と松の丸殿を伴う。(「北政所と淀殿」)
・秀吉の出陣を見送る際の公家衆への扱いに対し、近衛信輔が、不満を書き述べる。
・島津義弘が、伊集院忠棟に書を送り、島津久保の正室(義久娘)の公儀への人質提出と、島津義久の名護屋在陣の実現への尽力を要請する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
3/29:豊臣秀吉が備前岡山に到着する。
4/5:岡山に内陣する秀吉の元に小西行長らの第一軍の対馬到着が報じられる。
4/7:
・豊臣秀吉が岡山を発つ。
・小西行長が朝鮮に派遣した使者、景轍玄蘇が対馬に戻り、朝鮮との交渉の経過を報告する。
4/9:豊臣秀吉が、備後三原に到着する。
4/11:
・豊臣秀吉が、安芸広島に到着する。この時、秀吉が輝元の後継者を秀元とし、もし輝元に実子が生まれた場合は、その子に家督を継がせ、秀元には相応の所領を与えるように指示する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
4/12:小西行長らが、対馬を出陣する。
4/13:小西行長らが、釜山城を攻略する。
4/15:豊臣秀吉が厳島神社に参詣する。
4/17:加藤清正、鍋島直茂らの第二軍、黒田長政らの第三軍、島津勢を除く毛利吉成らの第四軍が釜山に上陸する。
4/18:黒田長政らが、金海府城を攻略する。
4/19:
・豊臣秀吉が豊前小倉に到着する。
・豊臣秀吉、脇坂安治より小西勢の渡海の報を受け、新たな軍令を発し、船奉行を警固衆と定め、朝鮮軍との戦闘を命じる。
4/21:上杉景勝が、肥前名護屋城に到着する。
・景勝が発した在陣中の掟全七か条
一、酒屋に入り、酒を飲む事を禁止する。
一、他大名の家来との交際、物見を禁止する。
一、日暮れになってからの外出を禁止する。
一、火事を起こしたものは罰する。また、当人が逃亡した場合は主人を、主人が逃亡した場合は近所三軒を罰する。
一、博打、双六を禁止する。
一、喧嘩口論は理非を問わず両方とも罰する。
一、馬を放つ事の禁止。
4/25:豊臣秀吉が、名護屋城に到着する。
4/26:
・太閤豊臣秀吉が、渡海した諸軍に対し、朝鮮人に対する人さらいを禁じる。(「雑兵たちの戦場」)
・黒田長政らが、星州を占拠する。
4/27:忠州にて小西行長らが、朝鮮軍を破る。夕刻に漢城の朝鮮国王の元に敗報が伝わり、国王の漢城脱出が決まる。
4/28:加藤清正らの第二軍が、忠州で小西行長らと合流する。
4/29:
・小西行長、加藤清正らが漢城に向けて忠州を出陣する。
・朝鮮国王、王妃、王子らが、漢城を脱出する。
・鍋島家臣田尻鑑種が、日記に将兵による朝鮮人拉致について書き記す。
5/1:
・佐竹家臣、平塚滝俊が肥前名護屋城から国元の家老小田野備前守に書を送り、朝鮮から生け捕られた捕虜を見た旨を報じる。
・朝鮮国王が、開城に到着する。
5/3:小西行長、加藤清正らが漢城に入る。
5/5:島津義弘が、川上忠智に書を送り、兵が集まらず日本一の遅陣となって面目を失ったと報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
5/7:巨済島玉浦沖で、藤堂高虎の日本水軍が李舜臣率いる朝鮮水軍に敗れる。
5/16:
・太閤豊臣秀吉が、加藤清正から京城陥落の報を受け、返書を送り、国王を捕捉する様に命じる。
5/18:
・豊臣秀吉が関白秀次に覚えを発し、今後の予定を示し、
・明年の秀次の出馬に応じて唐の関白とする
・翌々年には後陽成天皇を北京に移し、日本の帝位には皇太子か皇弟智
仁親王を据える。
・日本の関白には豊臣秀保か、宇喜多秀家を任じる。
・朝鮮には豊臣秀勝か宇喜多秀家を任じる。
・九州は豊臣秀俊に与える。
とする。
・秀吉側近の山中長俊が、豊臣家の女中に書を送り、秀吉が明国制圧後、インドを目指し、寧波あたりにまで向かう予定にあると述べる。
・朝鮮軍が臨津江を越えて日本軍への攻撃を行う。
・毛利輝元が星州に入る。
5/25:小早川隆景が臨津江畔の陣を引き払って南下を開始する。
5/26:毛利輝元が、国元に対し、明国征伐に悲観的意見を表す。
5/27:
・毛利輝元が若木に入る。
・小西行長、加藤清正、黒田長政らが臨津江の朝鮮軍を破る。
5/28:
・上杉景勝の側近である泉沢久秀が、浅間内匠助に朝鮮陣より脱走した西方新四郎と山本忠右衛門の所領を没収し、これを与える書を発する。(「上杉景勝~転換の時代を生き抜いた人生」)
・小西行長、加藤清正、黒田長政らが臨津江を渡河して開城を攻略する。
5/29:泗川沖で李舜臣率いる朝鮮水軍が、日本水軍を破る。
6/1:加藤清正が、開城を出陣して威鏡道へ向かう。
6/2:
・秀吉、徳川家康、前田利家らに諫止され、来年3月まで渡海を延期する事に決する。
・上杉景勝が名護屋城を出陣する。
6/3:秀吉、自身に代わって増田長盛、石田三成、大谷吉継らの奉行衆、及び小姓衆を派遣する事とし、朝鮮在陣中の諸将に宛てた同地の支配、経営方針を示した朱印状を発する。
6/5:
・毛利輝元が金山に入る。
・毛利吉成が准陽に入る。
6/6:石田三成ら奉行衆が壱岐に到着する。
6/8:
・安国寺恵瓊が、国元に書を送り、朝鮮人を捕らえて日本の言葉、習俗を教え込んでから在所に帰す政策を行っていることを報じる。
・小西行長、黒田長政らの軍勢が平壌近くの大同江畔に布陣する。
6/9:小早川隆景が善山に入る。
6/10:毛利輝元が善山に入り、小早川隆景と軍議を行う。この頃、藤堂高虎が毛利輝元の陣を訪問する。
6/11:朝鮮国王が平壌からの退避をを決定する。
6/12:毛利吉成が鉄嶺で朝鮮軍を破る。
6/14:未明、朝鮮軍が大同江畔の黒田長政らを攻撃するも、退けられる。その際、朝鮮軍の退路から大同江の浅瀬を日本軍が確認し、夕刻に渡河を行う。
6/15:
・小西行長、黒田長政らが平壌に入る。
・島津家臣梅北国兼が挙兵して肥後佐敷城を攻略する。
6/17:
・上杉景勝が、釜山に上陸する。
・加藤清正が安辺に到着する。
・肥後佐敷城にて梅北国兼が討ち取られる。
6/18:
・鍋島直茂が安辺に到着する。
・島津義久が、梅北国兼の謀反について、渡海に遅延したことで、処分されることを恐れた末の事であろうと報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
6/22:毛利元康が安東に入る。
6/24:加藤清正が、咸興に入る。
6/末:
・黒田長政が海州を占拠する。
・脇坂安治が熊川に入る。
7/1:鍋島直茂が安辺を発つ。
7/5:脇坂安治が抜け駆けで巨済島に出陣するも、李舜臣率いる朝鮮水軍に大敗する。
7/8:フィリピン使節、フアン・コーボ、名護屋で豊臣秀吉に謁見する。
7/9:
・錦山で小早川隆景、立花統虎らが、朝鮮軍と交戦する。
・李舜臣率いる朝鮮水軍が、安骨浦の日本水軍を攻撃する。
7/10:錦山で小早川隆景、立花統虎らが、朝鮮軍と交戦する。
7/中旬:
・毛利吉成が三陟に入る。
・明軍が平壌を攻撃するも、日本軍に退けられる。
7/15:豊臣秀吉が、在鮮諸将に朱印状を発し、征明の準備をひとまず棚上げして、朝鮮半島の支配を優先するように指示する。
7/16:石田三成、増田長盛、大谷吉継が朝鮮の漢城府に入る。
7/17:加藤清正勢が、城津付近で韓克誠率いる朝鮮軍と交戦する。
7/18:
・加藤清正勢が、韓克誠率いる朝鮮軍を奇襲して破る。
・高原の鍋島勢が、地元の官吏を召し出し、租税や員数を改め、鎮撫に務める。
7/21:鍋島直茂が咸興に入る。
7/22:豊臣秀吉が、生母大政所の病を知り、名護屋を発って京都へ向かう。大政所はこの日、京都で死去する。
7/23:
・朝鮮官吏、鞠景仁が加藤清正に降伏し、会寧にて朝鮮王子二人を引き渡す。
・朝鮮の義兵が永川を奪回する。
7/29:豊臣秀吉が大阪城に入る。
7/末:加藤清正が、会寧を出陣し、オランカイに侵攻する。
8月:明が朝鮮への増援部隊派遣を決める。
8/上旬:毛利吉成が寧海府を攻略する。
8/2:豊臣秀吉が、母大政所の葬儀を大徳寺にて行う。(「北政所と淀殿」)
8/4:豊臣秀吉が、高野山に一万石を寄進し、大政所追善のために青厳寺を建立させる。(「北政所と淀殿」)
8/9:梁丹山で立花宗茂らが、朝鮮軍と交戦する。
8/10:この頃、漢城にて在鮮諸将が参集しての軍議が行われる。
8/11:豊臣秀吉が伏見を訪れ、指月山に築城を命じる。(「北政所と淀殿」)
8/14:豊臣秀吉が、島津義久と細川幽斎に書を送り、島津氏の両国経営に関する指示を与える。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
8/15:豊臣秀吉が、黒田如水の帰国を認める。
8/18:立花宗茂らが錦山で朝鮮軍と交戦する。
8/20:伏見指月山に縄打ちが行われる。(「北政所と淀殿」)
8/22:この頃、加藤清正がオランカイから兵を引き、咸興道に戻る。
8/29:平壌近郊にて、小西行長が明からの使者沈惟敬と会談を行う。日明間で五十日間の休戦協定が結ばれる。(「戦争の日本史16」)
8/30:
・明の沈惟敬が、平壌にて小西行長と和議について協議する。
・木下吉隆が吉川広家に書を送り、来春の秀吉渡海を報じ、在陣の労を労う。
9月:加藤清正が、国元に二千人ほどの兵を用意するように命じる。(「雑兵たちの戦場」)
9/6:朝鮮義兵が、慶州を奪回する。
9/中旬:
・加藤清正が、朝鮮王子二人を伴って安辺に入る。
・立花統虎らが、全羅道から撤退して漢城に向かう。
・鏡府城で朝鮮義兵が決起する。
9/18:豊臣秀吉が、入京して参内する。
9/20:加藤清正が、咸鏡道支配の進捗状況の報告書を認める。この時、オランカイの状況をかつての伊賀、甲賀のようであると報告する。(「戦争の日本史11」)
9/23:
・豊臣秀吉が、京都から大坂に帰る。
・長谷川秀一、木村重茲、長岡忠興らが昌原を攻略する。
10/1:秀吉、名護屋に向け、大坂を出陣する。
10/6:長谷川秀一、木村重慈、長岡忠興らが晋州城を包囲するも、この後数日の攻防を経て撃退される。
10/27:加藤清正が、咸鏡道支配の進捗状況の報告書を認める。
11/1:豊臣秀吉が名護屋城に到着する。
11/15:朝鮮義兵が加藤清正勢に勝利する。
11/下旬:小西行長の陣中を沈惟敬が訪ねる。
12/7:関白豊臣秀次が、朝鮮在陣中の上杉景勝を労う書を発する。
12/9:開城にて、在鮮諸将による軍議が行われる。
12/23:李如松率いる明軍が義州に入る。
12/30:豊臣秀吉が毛利輝元に朱印状を送る。(「北政所と淀殿」)






