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参考文献


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天正十八年(1590)

主な出来事
3/1:豊臣秀吉が、小田原北條氏征伐のため、京都を出陣する。
7/5:北條氏直が、豊臣秀吉に降伏する。
8/9:豊臣秀吉が、会津黒川城に入城する。
10/16:奥州で葛西、大崎一揆が発生する。

死没
3/29:一柳直末(45:美濃軽海西城主)
7/11:北條氏政(53:後北條氏四代)、北条氏照(51:氏政弟)
7/19:大道寺政繁(58:上野松井田城主)
9/10:磯野員昌(68:元浅井~織田家臣)(「信長と消えた家臣たち」)

備考、その他
・徳川家康四男松平忠吉が元服して、従五位下下野守に叙任される。(「江戸大名家血族事典」)
・徳川家康五男武田信吉が、下総小金三万石を与えられる。(「江戸大名家血族事典」)
1月:徳川家康が小田原征伐のために駿府城を出陣する。(「戦争と日本史10」)
1/3:徳川家康の三男長丸が井伊直政、酒井忠世、内藤清成らを従えて駿府を発ち、京都に向かう。(「北政所と淀殿」)
1/9:豊臣秀吉が、上杉景勝に信濃路から関東に攻め込むように命じる。
1/13:徳川家康の三男長丸が入京する。
1/15:徳川家康の三男長丸が聚楽第にて豊臣秀吉の謁見を受ける。その場で元服して秀忠と名づけられる。(「北政所と淀殿」)
1/21:
・北條氏が鎌倉建長寺に掟書を示し、寺中の兵糧備蓄を禁じ、玉縄城か小田原城に納めるように命じる。(「戦争と日本史15」)
・駿府城で徳川家康が軍議を行う。
2/10:徳川家康が駿府城を出陣する。
2/13:豊臣秀吉が、淀殿と鶴松を大坂城から聚楽第に移す。(「北政所と淀殿」)
2/24:徳川家康が駿河長久保に着陣する。
3/1:
・豊臣秀吉、小田原征伐のため、京都を出陣する。
・上杉景勝、豊臣秀吉の小田原征伐に参陣するため、春日山城を出陣する。出陣にあたって連歌百韻会を催す。(「上杉景勝のすべて」)
3/6:朝鮮からの使節が、漢城を発ち、京都へ向かう。(「戦争の日本史16」)
3/25:会津黒川城で、伊達政宗が豊臣秀吉に屈する意向を固める。
3/27:豊臣秀吉が駿河の沼津三枚橋に着陣し、徳川家康と軍議を行う。
3/29:
・豊臣秀吉と徳川家康が駿河で対面する。
・豊臣秀次らが、伊豆山中城を攻略する。
*この時、木村重茲の家臣鳥井源八郎が先駆けして城内に突入して名乗ったという。その後、長谷川秀一の家臣磯野平三郎が、「せっかく先駆けしても、名乗りを上げては気後れした将士に勇気を与えてしまい功名の独り占めの機会を失ってしまう」と言って嘲笑うと、源八郎が、「味方の戦意が低い時こそ、一際声高に名乗りを上げて多くの者に力を与えるのが武士であり、一人功名を競うのは小事である」と答えたという。(「定本常山紀談 上」)
4月:豊臣秀吉が、伊豆田方郡狩野の田代郷三ヶ村に対し、制礼を発する。山中長俊がこれに副状を付けて、保証する。(「雑兵たちの戦場」)
4/上:安房の里見義康が、北條方の下総船橋や相模三浦郡を攻撃する。
4/1:豊臣秀吉が箱根山に布陣する。
4/2:豊臣秀吉が箱根湯本に着陣する。
4/6:秀吉、箱根湯本を本陣とする。
4/8:小田原城に立て籠もっていた皆川広照が、豊臣方に投降する。
4/13:豊臣秀吉が五さ(侍女?)宛てに自筆の書を送る。この中で秀吉が茶々姫を「淀のもの」と呼ぶ。(「北政所と淀殿」)
4/20:前田利家、上杉景勝、真田昌幸らが、上野松井田城を攻略する。
4/21:玉縄城の北條氏勝が降伏する。
4/23:秀吉家臣浅野長吉と合流した佐竹義宣、宇都宮国綱、結城晴朝らが、下野の壬生、鹿沼城を攻略する。
4/27:豊臣秀吉が上杉景勝に書を送り、北条氏征伐に関して人身売買を禁止する。(「上杉景勝~転換の時代を生き抜いた人生」)
4/29:豊臣秀吉が真田昌幸に書を送り、北条氏征伐に関して人身売買の禁止を命じる。(「雑兵たちの戦場」)
4/下:
・里見義康が石垣山の豊臣秀吉に参陣して、小田原城攻撃に加わる。
・徳川家臣本多正信が、伊豆国内で逃散した百姓の帰村を促す書を発する。(「雑兵たちの戦場」)
5月:浅野長吉、佐竹義宣、宇都宮国綱、結城晴朝らが、常陸牛久、江戸崎、龍ヶ崎、土浦城を攻略する。
5/上:豊臣秀吉が上総国を里見領として認めない意向を示す。
5/3:北條家臣広沢秀信が、小田原城を包囲する蒲生氏郷の陣所に夜討ちをかける。氏郷は自ら槍を取って応戦し、城内に逃げ込んだ広沢を追撃する。その奮戦の様子を知った秀吉が、感状と共に佐々成政の馬印の利用を許す。(「定本常山紀談 上」)
5/7:豊臣秀吉が吉川広家に朱印状を発する。この中で秀吉が茶々姫を「淀の女房」と呼ぶ。(「北政所と淀殿」)
5/9:伊達政宗が会津黒川城を発ち、豊臣秀吉の陣所に向かう。
5/11:山中長俊が、伊豆田方郡狩野の田代郷三ヶ村より、制礼を交付されたにも関わらず、村の麦が豊臣方の兵に刈り取られたとの抗議を受け、弁明の書を遣わす。(「雑兵たちの戦場」)
5/13:豊臣秀吉が上杉景勝に書を送り、鉢形城への攻撃着手を督促する。
5/15:徳川家臣伊奈忠次が、伊豆国内の村々に「郷中定書」を発して、村人の環住を促す。(「雑兵たちの戦場」)
5/20:浅野長吉、本多忠勝らが、武蔵岩付城を攻略する。
5/24:結城晴朝が配下の多賀谷、水谷氏らの諸将と共に豊臣秀吉の本陣に参陣し、本領を安堵される。
5/27:佐竹義宣、宇都宮国綱が一族や配下の諸氏と共に豊臣秀吉の本陣に参陣し、本領を安堵される。
5/30:石田三成、大谷吉継、長束正家に関東の諸将を加えた軍勢が上野館林城を攻略する。(「歴史読本2009年7月号」)
6/5:伊達政宗が小田原に到着するも、箱根底倉に一旦、抑留される。
6/9:伊達政宗、石垣山城で豊臣秀吉に謁見する。
6/14:鉢形城主北條氏邦が降伏する。
6/24:
・前田利家、上杉景勝、真田昌幸らが、八王子城を攻略する。
・韮山城主北條氏規が、降伏する。
6/26:豊臣秀吉が、石垣山城完成に伴い本陣を移す。
7月:秀吉、小田原にいた佐久間盛政の弟、安政、勝之兄弟を赦し、蒲生氏郷に仕えさせる。この時、安政、勝之兄弟が氏郷に謝辞を述べに訪れた際、蹴躓き、蒲生家臣団に嘲笑されるが、氏郷は「思慮のない者たちよ、汝らの奉公ぶりと兄弟の生き方を比べてみよ。行儀作法の優劣で語るべき武士ではない」と嗜める。(「定本常山紀談 上」)
7/1:北條氏直が豊臣秀吉への降伏の意志を固める。
7/4:秀吉、前田利家、上杉景勝に小田原への参陣を命じる。
7/5:
・北條氏直が弟の太田氏房を伴い、徳川家康、更に秀吉家臣瀧川雄利の陣所に入り、雄利及び黒田孝高を通じて降伏する。秀吉は北條氏政、氏照、大道寺政繁、松田憲秀の切腹を命じ、氏直を助命する意向を伝える。
・石田三成、大谷吉継、長束正家に関東の諸将を加えた軍勢が武蔵忍城への攻撃を開始する。(「歴史読本2009年7月号」)
7/6:
・脇坂安治、片桐直盛、榊原康政が小田原城接収の使節として城に入る。
・豊臣秀吉、上杉景勝に小田原参陣を中止し、忍城攻略に加わるように命じる。
7/11:北條氏政、氏照兄弟が、城下の医師、田村氏の邸にて切腹して果てる。
7/13:豊臣秀吉が小田原城内で論功行賞を行う。
7/14:秀吉、奥州平定のため、石垣山城を出陣する。
7/16:武蔵忍城が、石田三成らによって攻略される。
7/17:豊臣秀吉が小田原城を発つ。
7/20:北條氏直はじめ、一族が高野山に配流される。
7/21:朝鮮からの使節が京都に到着する。
7/26:
・秀吉、宇都宮の陣に本多忠勝を招き、佐藤忠信より優れた武者として忠勝に忠信の冑を与える。その晩、茶室にて二人きりになった際「諸大名居並ぶ中で汝を賞した秀吉と、累代の主君といずれの恩を選ぶか?」と尋ねると、頭を垂れてこれに応えず、繰り返し尋ねられると忠勝、「誠に忝いが、累世の主君の恩とは比べられませぬ」と答え、秀吉、ますます忠勝に惚れ込む。(冑を賜っても喜ばなかったとの説もあり)(「定本常山紀談 上」)
・秀吉家臣木下吉隆が、伊達政宗に宇都宮への出頭を促す。
8月:
・豊臣秀吉が出羽の検地に際しての基準を定め、木村重茲、大谷吉継に指令する。(「上杉景勝~転換の時代を生き抜いた人生」)
・豊臣秀吉が、関東の郷村に対し。村の規模によって三段階に分けて、制礼の金額を定め、更に筆功料、御判銭を徴収するように定めた「ご制礼ご判銭の掟」を発する。(「雑兵たちの戦場」)
8/1:豊臣秀吉が、上杉景勝に対して、大谷吉継と共に出羽庄内三郡の検地を命じる。(「歴史読本2009年7月号」)
8/3:
・豊臣秀吉が、宇都宮を発つ。
・北政所の侍女孝蔵主が伊達政宗に書を送り、人質となる政宗正室の安全を保証する。(「北政所と淀殿」)
8/6:豊臣秀吉が、陸奥白河に着陣する。
8/9:豊臣秀吉が、会津黒川の興徳寺に入る。
8/10:
・豊臣秀吉が、石川貞清、及び石田三成を通じて陸奥における人身売買の禁止を命じる。
・豊臣秀吉が、奥羽地方に盗人停止令を発する。(「雑兵たちの戦場」)
8/12:豊臣秀吉が、陸奥国の検地に関する朱印状を発し、その周知徹底を指示する。
8/13:豊臣秀吉が、会津黒川を発ち帰国の途につく。
8/17:豊臣秀吉が、石垣山城に入る。
8/20:
・豊臣秀吉が駿府に小西行長、毛利吉成を召し寄せ、朝鮮半島、中国大陸への出兵準備を命じる。
・増田長盛が山中長俊に書を送り、秀吉が小西行長らに来春の唐入りを命じた旨を報じる。
8月下旬:上杉景勝、庄内大森城に入り、検地を実施する。
8/22:秀吉、石垣山城を発ち帰国の途に着く。
10月:大谷吉継が出羽検地を終えて京都に戻る
10/16:奥州で葛西、大崎一揆が発生する。
10/20:大谷吉継が、上杉家臣の色部長真に出羽検地での労を労う書を送る。(「歴史読本2009年7月号」)
10/23:上杉景勝、庄内一揆鎮圧の為、酒田城に入る。
11/7:豊臣秀吉が朝鮮使節を接見する。(「戦争の日本史16」)
11/20:上杉景勝、春日山城に帰る。
11/28:最上義光が上洛する。
12/5:豊臣秀吉が、郷村における浪人追放と毒の売買停止を命じる。(「雑兵たちの戦場」)
12/26:北政所の侍女孝蔵主が、伊達政宗に書を送り、葛西、大崎一揆について、上洛して豊臣秀吉に申し開きをするように勧める。(「北政所と淀殿」)
12/27:小西行長家臣、小西若狭守が肥前の波多家臣有浦大和守に書を送り、名護屋築城への協力を依頼する。



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