天正十三年(1585)
主な出来事
1月:毛利氏と羽柴、宇喜多両氏の国分交渉が決着する。毛利氏は備前、美作、伯耆東三郡、備中河辺川以東を割譲するも、備中松山、伯耆八橋城の領有は認められる。(「戦争の日本史12」)
7/13:羽柴秀吉が参内して関白に任じられる。
8月上旬:
・長宗我部元親が羽柴秀長の提示した講和条件を受け入れ、実子二人を人質として提出して降伏する。
8/19:肥後阿蘇惟光が薩摩島津氏に降伏する。(「戦争の日本史12」)
9/11:筑後高良山の陣中で立花道雪が死去する。
10/8:陸奥二本松城主畠山義継が伊達輝宗を拉致するも、政宗らに察知、捕捉され、阿武隈川近くで共に果てる。
11/17:人取り橋の合戦 ○佐竹義重vs伊達政宗●
11/29:中部~近畿地方にかけて大地震が発生する。
死没
5/7:千葉邦胤(29:下総千葉氏当主)
7/3:甲斐宗運(71:肥後阿蘇家臣)
閏8月:三木秀綱、三木季綱
9/11:立花道雪(73:大友家臣、立花山城主)
10/8:伊達輝宗(42:陸奥米沢城主、政宗の父)、畠山義継(34:陸奥二本松城主)
11/29:前田秀継(利家弟)、内ヶ嶋氏理(飛騨帰雲城主)
12/10:羽柴秀勝(18:織田信長の子、羽柴秀吉の養子)
その他、備考
・毛利氏の四国出兵に乗じて、伯耆羽衣石城の南条元続が西伯耆の吉川氏領に侵攻するも、毛利元康に退けられる。(「戦争の日本史12」)
・能島村上氏が来島村上氏に対抗して伊予に国分山城の築城を開始する。(「戦争の日本史12」)
1/17:蜂須賀正勝と黒田孝高が、四国征伐の方針を毛利氏に伝え、伊予、土佐両国を毛利氏に進呈する旨を報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
2月:
・織田信雄が上洛し、羽柴秀吉に臣従する。秀吉の奏請で信雄は従三位権大納言に任じられる。(「尾張・織田一族」)
・佐竹義重、宇都宮国綱らが、壬生氏を攻撃する。(「戦争と日本史10」)
・北條氏政、氏直親子が伊達政宗と同盟を結ぶ。
3月:
・上杉景勝が、家臣の後藤勝元を佐渡へ遣わし、佐渡を支配する本間一族の争いの調停に乗り出すも失敗する。(「上杉景勝のすべて」)
・徳川家康が、腫れ物の病に罹る。この時、医師の診察に消極的な家康に対し、本多重次が強く諌め、ようやく治療を受けたという。(「定本常山紀談 上」)
3/10:羽柴秀吉が正二位内大臣に任じられる。それまで内大臣だった近衛信輔が左大臣に、菊亭晴季が右大臣に任じられる。
3/21:羽柴秀吉が紀伊に向かって出陣する。先陣の羽柴秀次、堀秀政らが和泉千石堀城を攻略する。(「戦争と日本史15」)
3/22:細川忠興、蒲生氏郷らが和泉積善寺城を開城させる。
3/23:高山右近、中川秀政らが和泉沢城を開城させる。
3/24:羽柴秀吉が粉川寺を攻略し、紀伊太田城を包囲する。
3/25:羽柴秀吉が太田城を水攻めする為に堤防を築き始める。
4月:
・下野壬生氏の壬生、鹿沼、羽生田城が、佐竹氏らによって焦土となるほどの攻撃を受ける。
・大坂城天守閣が完成する。(「戦争と日本史15」)
4/2:前田利家が在京の門徒金沢西念を使者として本願寺に音信する。(「戦争と日本史14」)
4/8:前田利家が越中鳥越城攻略の為、金沢城を出陣するも、攻略はならず。(「定本常山紀談 上」)
4/10:羽柴秀吉が高野山に朱印状を発する。
4/12:羽柴秀吉家臣の蜂須賀正勝と前野長康が、紀伊太田城に開城勧告を行う。
4/22:羽柴秀吉より朱印状が出され、紀伊太田城が開城する。
4/23:羽柴秀吉が太田城に籠城する城兵に朱印状を出し、農具などの返還を約束する。
5月:伊達政宗が、芦名領の摩耶郡檜原に侵攻する。
6/12:上杉景勝、上条宜順に代わって須田満親を海津城将に任命する。
6/16:
・羽柴秀長が淡路洲本に渡海する。
・備前日比にて、小西行長と宣教師フランシスコ・パシオが面会する。(「小西行長」)
6/18:羽柴秀吉が、小早川隆景に書を送り、長宗我部氏について阿波、讃岐両国の返還をもって赦免するつもりであったが、隆景より伊予領有の要望があったので、長宗我部氏から一旦預かった人質を返還し、長宗我部氏との交戦を辞さない意向を示す。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
7月:
・肥後阿蘇勢が島津方の花之山城を攻略する。
・下野皆川城が北條氏直の攻撃を受けるも、佐竹義重らの支援によって退ける。
7/11:
・羽柴秀吉への関白宣下が決まり、勅使として勧修寺晴豊、中山親綱が京都妙顕寺に滞在する秀吉にこの旨を伝える。
・中村一氏、石田三成、大谷吉継、福嶋正則ら秀吉側近が従五位下に任じられる。(「歴史読本2009年7月号」)
7/17:羽柴秀長が小早川隆景に書を送り、阿波における戦況を報告する。
7/29:島津軍が肥後阿蘇氏への攻撃を開始する。
8月:
・金森長近が、飛騨を平定する。
・下野の宇都宮国綱が、佐竹氏らの支援によって多気山城を築き、本拠を移す。
8/2:小西行長が、宮木豊盛に書を送り、四国に渡海するための船舶調達が二、三日中に揃う見込みで、備中から土佐泊に戻ったことを報じる。
(「小西行長」)8/4:越中の佐々成政討伐の先陣が出陣する。
8/7:越中の佐々成政討伐の先陣が越前に入る。豊臣秀吉が大坂城を出陣する。
8/8:羽柴秀吉が京都を出陣する。
8/18:羽柴秀吉が加賀に到着する。
8/20:
・上杉景勝、秀吉の要請を受け、越中国境に出陣する。
・羽柴秀吉が倶利伽羅峠に布陣する。
8/23:羽柴秀長が四国から大坂に凱旋する。
8/26:佐々成政が豊臣秀吉本陣を訪れて降伏する。
閏8月:
・前田利勝(利長)が、越中勝興寺に制札を与え、寺内を安堵する。
・下野佐野勢の一部が北條氏に加勢のために出陣する。
・徳川勢が信濃上田城を攻撃するも、退けられる。
閏8/5:長宗我部元親が蜂須賀正勝に書を送り、羽柴秀吉との降伏への仲介に際しての謝辞を述べる。
閏8/13:島津勢が肥後堅志田、甲佐城を攻略する。
閏8/15:甲斐親乗が肥後御船城を退去する。
閏8/27:秀吉、大坂城に帰陣する。
9月:
・島津氏が肥後竹迫城主合志親重を追放する。
・伊達政宗が塩松城を攻略し、大内定綱を追う。
・羽柴秀吉が石田三成、大谷吉継らを伴い、有馬へ湯治に赴く。途中、本願寺に立ち寄る。(「歴史読本2009年7月号」)
10/2:関白羽柴秀吉が島津義久と大友義統に対し、九州での軍事行動の停止を通告する直書を発する。
10/6:秀吉、参内する。
10/7:秀吉、参内する。
10/8:秀吉、内裏の小御所で千宗易を茶頭に茶会を開く。宗易、利休居士の名を勅賜する。
11月:北條氏直が下総佐倉に出陣し、千葉邦胤死後の家中仕置に介入し、邦胤の嫡子亀王丸を退け、北條氏政の五男直重を邦胤の娘婿として千葉氏を相続させる。
11/28:羽柴秀吉が織田長益、滝川雄利、土方雄久を使者として徳川家康の元に派遣して、上洛を促す。
11/29:中部から近畿地方にかけて発生した大地震によって、越中木舟城が倒壊し、前田利家の弟秀継夫妻が被災死。飛騨帰雲城も倒壊し、城主内ヶ嶋氏理はじめ、一族が滅亡する。長浜城では御殿が倒壊し、城主山内一豊の娘が死去する。
12月:北條勢が宇都宮城下に侵攻し、宇都宮大明神や神宮寺を焼き払う。


