天正十二年(1584)
主な出来事
3~11月:小牧長久手の合戦 △徳川家康、織田信雄vs羽柴秀吉△
3/24:沖田畷の合戦 ●竜造寺隆信vs島津家久、有馬晴信○
4/9:長久手の合戦 ●池田恒興、森長可vs徳川家康、織田信雄○
11/15:羽柴秀吉が伊勢矢田川原で織田信雄と会見し、和議を結ぶ。(「戦争と日本史15」)
死没
阿蘇惟種(44:肥後国人、阿蘇大宮司)
3/6:岡田重孝(?:織田信雄の家老)、津川義冬(40:織田信雄の家老)、浅井長時(?:織田信雄の家老)
4/9:森長可(27)、池田恒興(51)
3/24:竜造寺隆信(56)
6月:間宮信高(?:徳川水軍の将)
備考、その他
・浅井長政の三女小督姫が羽柴秀吉の養女として、織田信雄家臣佐治一成に嫁ぐ。(「北政所と淀殿」)
・結城氏が、下総石ノ上村よりの半手の申し入れを了承し、これまで村からさらった住民を帰し、今後、夜討ちも行わないとする。(「雑兵たちの戦場」)
1月:近江三井寺で、羽柴秀吉と織田信雄が会見する。(「戦争と日本史15」)
2月:島津義久が肥後に出陣する。(「戦争の日本史12」)
3月:
・近衛龍山(前久)、奈良に下向する。
・信濃海津城将である屋代秀正、徳川家康に内通する。(「上杉景勝のすべて」)
・島津家久(義久弟)を肥前島原に派遣する。
3/6:織田信雄が家老の岡田重孝、津川義冬、浅井長時の三人を長島城にて誅殺する。
3/7:織田信雄が香宗我部親泰に書を送り、三人の家老を成敗した事を報じる。
3/13:
・徳川家康が尾張清洲城に入り、織田信雄と軍儀を行う。
・羽柴秀吉に味方した池田恒興が、尾張犬山城を攻略する。
3/14:蒲生氏郷、堀秀政らが伊勢峰城を攻略する。
3/15:徳川家康、小牧山に本陣を構える。
・この時、徳川家臣榊原康政が秀吉の非を挙げた札を諸所に掲げ、秀吉の怒りを買う。(「定本常山紀談 上」)
・小牧での対陣中、秀吉は家康との決戦を思案し、自陣の背後に柵を結い、退路を断って決戦を挑まんとの書を送ろうとする。高山右近がこれを止めるも、秀吉は取り合わず、増田長盛に書を書かせ、長岡忠興に敵陣近くの松原の小塚に竹に挟んだ書を立てる、やがて、返書が小牧から同じ小塚に立てられ、これを見たところ、家康の返書ではなく、徳川家臣の渡辺守綱、水野忠重より「柵など結わずとも三河者は一歩も引かずに戦える」と書かれており、激怒した秀吉は自ら馬に乗って松原の小塚に上がり、尻を叩きながら、小牧山に向けて「敵の大将これを喰らえ」と叫ぶ、小牧から激しい銃撃が繰り出されるも、秀吉は「天下の大将軍に当たるものか」と悠然と引き返す。(「定本常山紀談 上」)
・美濃金山城の森長可が出陣する。
3/16:
・羽柴秀長が伊勢松ヶ島城への攻撃を開始する。
・森長可が尾張八幡林に布陣する。徳川家臣の酒井忠次がこれを察知し、松平家忠、奥平信昌らを率いて出陣する。
3/17:羽黒の合戦 ○酒井忠次vs森長可● 森勢が三百余を討たれて敗走する。
3/19:羽柴秀長が松ヶ島城を攻略する。
3/20:常陸の佐竹義重が、多賀谷重経を使者として、羽柴秀吉の元に派遣する。(「戦争と日本史10」)
3/21:羽柴秀吉が大坂城を出陣する。
3/22:紀伊雑賀衆が和泉岸和田城下で、羽柴秀吉方と交戦する。
3/24:
・羽柴秀吉が岐阜城に入る。
・紀伊雑賀衆が和泉国粂田で、羽柴秀吉方と交戦する。
3/25:徳川家康が下野の皆川広照に書を送り、尾張への出馬と羽黒合戦での勝利を報じる。家康家臣大久保忠隣が添え状を発し、共に秀吉の不義を糾弾する。
3/26:
・羽柴秀吉が佐竹義重に使者を派遣し、徳川家康を討つ意向を示す。
・紀伊雑賀衆が大坂城下を攻撃する。
3/27:
・島津義久が肥後佐敷で龍造寺隆信の首実検を行う。
・羽柴秀吉が犬山城に入り、前線を視察する。
3/28:羽柴秀吉が、楽田を本陣に据えて布陣する。
4月:
・宇喜多勢が美作岩屋城の中村頼宗を攻めるも、退けられる。
・佐竹義重らが、下野小山、榎本にて北條勢と交戦する。
・北條氏直が下野足利に侵攻する。
4/上:島津家臣伊集院忠棟らが八代から島原に渡り、沖田畷の戦いの戦後処理を行う。
4/2:
・上杉景勝が信濃に出陣し、屋代秀正を討伐、秀正は逃亡する。
・織田信雄が、家臣吉村又吉郎氏吉に書を送り、大坂方面での戦況を報じる。
・信濃の木曾義昌が、領内の郷村からの動員に際し、功に応じて扶持、武家への取り立て、出世や課税の免除を約束する。(「雑兵たちの戦場」)
4/7:羽柴秀次を大将に池田恒興、森長可、堀秀政による軍勢が三河を目指して出陣する。
4/8:夜、徳川家康が小牧山城を出陣して小幡城に入る。
4/9:
・長久手合戦の際、眼病を患っていた水野勝成は冑をかぶらずに鉢巻を巻いて参陣していたところを父忠重に「汝の冑はゆばり壺にしたのか?」と咎められて激怒、以後、勝成は水野家を出奔し、実家からは奉公構えに処される。(「定本常山紀談 上」)
・羽柴秀吉、長久手合戦の敗報に接し、徳川家康を追撃する。小牧で留守を守る本多忠勝が数万の秀吉軍を五百ばかりの手勢で追撃する。秀吉、その姿に感服し、これを討つ事を制する。(「定本常山紀談 上」)
4/10:徳川家康が、北條氏直に長久手合戦の戦勝を報じる書を送る。
4/21:
・徳川方の小笠原貞慶、信濃麻績城を攻めるも、上杉家臣島津義忠に撃退される。
・徳川家康が皆川広照に使者を送り、北條氏直と佐竹氏をはじめとする反北條方との対立の仲介に乗り出す意向を示す。
4/22:上野国に在陣中の北條氏直の元に徳川家康からの書が届く。
4/23:北條氏直が、徳川家康の長久手での戦勝報告を受け、返書を送る。
5月:
・宇喜多勢が美作岩屋城の中村頼宗を攻めるも、退けられる。
・下野沼尻にて北條氏直と佐竹義重らが対陣する。会津の芦名盛隆も佐竹方に援兵を派遣する。
5/1:羽柴秀吉が、尾張楽田より撤退する。
5/4:羽柴秀吉が美濃加賀井城を攻略する。
5/6:羽柴秀吉が美濃竹ヶ鼻城への攻撃を開始する。
5/11:羽柴秀吉が竹ヶ鼻城攻略のため、水攻めの堤防構築を始める。
6月:
・長宗我部元親が十河城を攻略する。
・伊予の河野通直が安芸東西条の福成寺にて毛利輝元と会見し、伊予への支援強化を依頼する。
・羽柴秀吉が、佐竹義重からの下野沼尻での戦況報告を受けて、伊勢、尾張での戦況を報じる。
・佐々成政、上杉景勝との和議を画策するも、景勝はこれを拒否する。
6/10:美濃竹ヶ鼻城が羽柴秀吉方に開城される。
6/11:羽柴秀吉が上杉景勝に対し、人質を要求する。景勝、上条宜順の三男義真を養子として人質に送る事とし、宜順の諸役を免除する。(「上杉景勝のすべて」)
6/13:羽柴秀吉が岐阜城に入る。
6/16:秀吉方の瀧川一益が、尾張蟹江城を攻略する。徳川家康、織田信雄が救援に向かう。~この時、家康祐筆の尊通なる者が書状に「御出馬可被成者也」と記したものを見た家康が「可」の文字を削るように命じる。(「定本常山紀談 上」)
6/20:上条義真、上杉景勝の人質として越後を発つ。
6/24:近衛龍山、帰洛して吉田兼見の邸に泊まる。
6/25:近衛龍山、美濃に下向する。
6/28:羽柴秀吉が大坂城に帰陣する。
7月:
・大友義統の弟田原親家率いる大友軍が筑後に侵入し、猫尾城を包囲する。
・下野沼尻に対陣する北條氏直と佐竹義重らが講和を結ぶ。
7/3:瀧川一益が織田信雄に降伏して蟹江城を開城する。その際、信雄を裏切った前田種利の首を差し出す。
7/23:佐々成政が前田利家の下に使者を送り、利家の次男利政と成政の娘との婚儀を約す。(「定本常山紀談 上」)
8月:
・土佐長宗我部家臣久武親直が伊予深田の城を攻略し、岡本、大森城で西園寺勢と交戦する。
・北條方が前月の佐竹氏らとの和議を破って金山、館林城を攻撃する。
8/16:羽柴秀吉が大坂城を出陣する。
8/18:筑後猫尾城を包囲する大友宗麟を支援する為、立花道雪と高橋紹運が出陣する。(「定本常山紀談 上」)
8/28:
・徳川家臣駒井帯刀、坂本豊前守が、駿河の15~60歳の郷村の百姓に兵の動員を命じる。
・羽柴秀吉が小折に本陣を移す。徳川家康も清洲城を出て岩倉城に入る。
・佐々成政勢が、前田家臣村井長頼が立て籠もる越中朝日山城を攻撃する。(「定本常山紀談 上」)
9月:
・筑後猫尾城を包囲する大友軍に筑前から立花道雪、高橋紹運が加勢し、これを攻略する。
・肥後隈本に島津軍が集結し、肥後国の制圧に取り掛かる。
・羽柴秀勝が亀山城に名医武田定加の診察を受ける。(尾張・織田一族)
9/2:羽柴秀吉と徳川家康の間で和議交渉が行われる。
9/6::
・羽柴秀吉と徳川家康の間で和議交渉が行われる。
・羽柴秀吉が、正室おねの侍女いわに書を送り、豪姫と宇喜多秀家より小袖を贈られた事を報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
9/7:羽柴秀吉と徳川家康の和議交渉が決裂し、家康は茂吉に本陣を移す。
9/11:末森城の戦い ○前田利家vs佐々成政●(「定本常山紀談 上」)
9/15:羽柴秀吉方の蒲生氏郷が伊勢戸木城を攻略する。
9/23:金森長近、家臣の石徹白長澄に飛騨国内の情勢を探るように命じる。
10月:
・長宗我部勢が伊予西園寺氏の居城黒瀬城を攻略する。
・島津氏が肥後国中を平定し、肥前の龍造寺政家を服属させる。また筑後に在陣中の大友氏に対し、自軍の八代への撤退と引き換えに大友軍の筑後撤退を提案し、両軍とも兵を引き上げる。
・常陸江戸崎城の土岐治綱が、北條氏照を介して徳川家康に馬二疋を贈る。
10/2:羽柴秀吉が従五位下左近衛権少将に任じられる。
10/6:信濃の木曾義昌が、軍役に応じた村民弥九郎、孫次郎を中間として取り立てる。(「雑兵たちの戦場」)
11月:
・伊予来島通昌が来島に復帰する。
・土佐長宗我部勢が伊予延尾城などを攻略する。
11/15:羽柴秀吉が伊勢矢田川原で織田信雄と会見し、和議を結ぶ。講和条件は
・織田信雄が羽柴秀吉に人質を出すこと
・北伊勢四郡を織田信雄に返還すること
・尾張犬山城と甲田城を羽柴秀吉に割譲すること
11/16:織田信雄と羽柴秀吉の講和を受けて、徳川家康が尾張から撤退する。
11/22:羽柴秀吉が従三位権大納言に任じられる。
11/23:佐々成政が徳川家康に会う為、越中富山城を発つ。
12月:
・羽柴秀勝が毛利輝元の養女と結婚する。(尾張・織田一族)
・織田三法師が安土城を出て丹羽長秀の坂本城に移る。
・北條氏の経略によって金山、館林城が攻略される。由良成繁は桐生城へ長尾顕長は足利城へそれぞれ移される。
・羽柴秀吉が佐野宗綱に書を送り、徳川家康と北條氏直から人質が提出された旨を報じ、これに従わない場合は来年討伐する意向を示す。
12/15:羽柴秀吉、須田満親に上杉景勝の越中出兵を賞し、織田信雄、徳川家康との講和を報じる。
12/25:佐々成政が、浜松城に到着する。


