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参考文献


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天正九年(1581)

主な出来事
1/1:織田信長が、安土城下に馬場を普請する。
1/15:織田信長が、安土城下で馬揃えを行う。
2/28:織田信長が、京都で馬揃えを行う。
3月:鳥取城将として、吉川経家が毛利氏から派遣される。(「戦争の日本史12」)
3/22:徳川家康が、遠江高天神城を攻略する。
6/16:越後新発田城主新発田重家、織田信長に内通して上杉景勝に背く。(「上杉景勝のすべて」)
10/10:織田信長が信忠、信澄らを伴って伊賀一宮に到着し、国内を巡見する。(「戦争の日本史13」)
10/25:羽柴秀吉が因幡鳥取城を攻略する。城将吉川経家らは自害して果てる。

死没
2月:宇喜多基家(?:直家養子)
3/22:岡部元信(?:武田家臣、高天神城将)
4月:伊賀久隆(?:備前国人、虎倉城主)
4/8:河田長親(37:上杉家臣)
6/27:遊佐続光(?:能登国人)
7/17:寺崎盛永(?:越中願海寺城主)
7/24:佐久間信盛(55:織田家臣)(「信長と消えた家臣たち」)
9/1:山崎秀仙、直江信綱、毛利秀広(?:上杉家臣)
9/29:正木憲時(32:上総小田喜城主)
10/24:森下道誉(?:山名家臣)、中村春続(?:山名家臣)、塩冶高清(?:但馬国人)、奈佐日本之介(?:但馬国人)
10/25:吉川経家(35:因幡鳥取城将)
12/2:相良義陽(38:肥後人吉城主)



備考・その他
・佐々成政が越中弓庄城の土肥政繁を攻撃する。
・織田信長の娘永姫が前田利長に輿入れする。(尾張・織田一族)
・池田恒興が、兵庫城を築く。(「戦争の日本史11」)
・伊予の河野通直が、毛利家臣吉見広頼の娘と婚姻する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
・徳川家康の四男福松丸が、東条松平家忠の養子となり、忠康(後忠吉)を称する。(「江戸大名家血族事典」)
1/4:武田勝頼の遠江出陣を受け、織田信忠が水野守隆と忠重を遠江横須賀城に派遣する。(尾張・織田一族)
1/6:村井貞成が、禁中の酒宴での警固役を務める。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
1/9:
・広橋兼勝が、村井貞勝を訪ねる。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
・禁裏が、村井貞勝に薫物を贈る。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
1/10:吉田兼和が、村井貞勝を訪ね、銭百疋を贈る。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
1/19:吉田兼和が、村井貞勝を訪ねる。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
1/24:勧修寺晴豊、広橋兼勝が村井貞勝を訪ね、天皇の左義長を見たいとの意向を伝える。貞勝は本日参内して勧める予定であったと答える。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
1/27:吉田兼和が、村井貞勝を訪ね、京都で開催される馬揃えについて話をする。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
2月:
・織田信長が、越中国を佐々成政に与える事とする。
・上杉景勝が、北条城を攻略する。(「上杉景勝のすべて」)
・備前児島半島で毛利方の穂田元清が宇喜多勢を撃破する。(「戦争の日本史12」)
・島津勢が肥後水俣城を包囲する。城主の相良義陽は肥前龍造寺氏に起請文を送って支援を求めたが、救援は叶わず、降伏して島津氏の配下となる。
・武田勝頼が甲斐韮崎に新府城の築城を開始する。(「戦争と日本史10」)
2/5:村井貞勝の要請により、禁中から織田信長への薫物を賜る。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
2/6:吉田兼和が、村井貞勝を訪ねる。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
2/8:村井貞勝の要請により、禁中から織田信長への薫物を賜る。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
2/11:村井貞勝が、藤本三郎左衛門尉に対して、諸役を免除する。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
2/15:吉田兼和が、村井貞勝を訪ね、馬揃えの際の道具を見物する。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
2/23:村井貞勝が、吉田兼和に京都に普請する馬場の障碍となる小社を、天満宮の近くに移すよう指示する。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
2/25:宣教師ヴァリニャーノが村井貞勝を訪ねる。(信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
2/28:
・織田信長が、京都で馬揃えを行う。
※京都で織田信長が馬揃えを行った際、山内一豊、妻の持参金によって関東の商人から名馬を購入し、信長の賞賛を得たという。(「定本常山紀談 上」)
3月:
・三好康長が阿波の長宗我部方である実子康俊を織田方に寝返らせる。
・織田信長が分国内の本願寺門徒に対し、紀伊雑賀、鷺森への参詣を認める朱印状を発する。
・武田勝頼が佐竹義重を介して里見義頼と同盟を結ぶ。
・北條氏照が、下野中里村よりの半手の申し入れを了承する。(「雑兵たちの戦場」)
3/1:村井貞勝が、織田信長の左大臣推任の件で、立入家を訪ねる。(信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
3/5:村井貞勝が、清涼寺の千部経読誦中について、禁制を掲げる。(信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
3/9:上杉景勝が越中小出城を攻める。織田信長、能登の代官として側近の菅屋長頼を派遣する。
3/11:吉田兼和が、村井貞勝を訪ねる。(信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
3/22:村井貞勝が、下御霊社にて梅若太夫の勧進能を鑑賞する。(信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
3/24:本願寺顕如が、雑賀の本寺参詣について、織田信長の承認を得た事を報じ、今後の馳走を依頼する。
3/29:村井貞勝が、羽柴秀吉、松井友閑と共に、清水寺に宴を催し、猿楽を鑑賞する。(信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
4月:北条勢が甲斐国都留郡に侵攻する。
4/9:村井貞勝が、翌日に予定されていた誠仁親王主催主催の懺法講を無用として停める。(信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
4/10:
・村井貞勝が、粟津座に書を送り、粟津座に属さない新儀の商人の活動を停める事を伝える。(信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
・村井貞勝が、伏見稲荷領内の狼藉を禁止する。(信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
4/13:村井貞勝が、誓願寺普請のため、吉田社より松一本を徴発しようとするも、吉田兼和の拒絶を受け入れ、これを中止する。(信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
4/24:吉田兼和が、村井貞勝を訪ねる。(信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
4/28:村井貞勝が、筑後法橋に、三島暦職などを安堵する。(信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
5月:
・常陸の佐竹氏配下の江戸、島崎氏らが鹿島に侵攻し、鹿島貞信、清秀兄弟らが下総矢作城に退避する。(「戦争と日本史10」)
・伊豆沖で武田、北條水軍が交戦する。
・下野榎本、小山で北條勢と佐竹、結城勢が交戦する。
5/3:近衛前久の斡旋で島津義久が、正五位下から従四位下に昇叙される。
5/4:
・越中願海寺城が菅屋長頼らに攻略される。城主の寺崎盛永父子は能登から佐和山に護送される。
・吉田兼和が、村井貞勝を端午の礼に訪れる。(信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
5/6:越中魚津城の安部政吉、丸田俊次、田中直賢が樋口与六(直江兼続)に書を送り、越中願海寺城が織田方の攻撃を受けている様子を報告する。(「上杉景勝~転換の時代を生き抜いた人生」)
5/9:吉田兼和が、村井貞勝を訪ねる。(信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
5/17:村井貞勝が、禁中に瓜を献上する。(信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
5/20:吉田兼和が、村井貞勝を訪ねる。(信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
6月:
・毛利方の美作葛下城主の中村頼宗が、宇喜多方の美作岩屋城を攻略する。
・織田信長が香曽我部親泰に朱印状を送り、三好康俊と協力して信長のために馳走するように要請する。
6/1:上杉景勝家臣、竹俣慶綱が新潟津の沖の口の運上を巡って新発田重家を訴える。
6/4:吉田兼和が、村井貞勝を訪ねる。(信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
6/7:村井貞勝が、摂津闕郡今宮惣に対して、綸旨および下知状に任せ、いまみや神人に、祇園社大宮賀輿丁としての朝役、神役を認める。(信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
6/13:吉田兼和が、村井貞勝を訪ねる。(信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
6/25:羽柴秀吉が、播磨姫路を出陣して、因幡鳥取城攻略に向かう。(「戦争と日本史15」)
6/27:菅屋長頼、遊佐続光一族を誅殺する。逃走中に長連龍に捕捉、殺害されたとの説もある。(「信長と消えた家臣たち」)
6/28:島津義久、織田信長からの上使である伊勢貞知に対し、豊後大友氏との和睦に応じる旨の書状を提出する。
7月:上杉景勝、柏崎町に治安維持のための制札を出す。
7/7:村井貞勝が、安土に下行する。(信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
7/9:吉田兼和、庭田重保、勧修寺晴豊、中山親綱、正親町季秀ら公家衆が、村井貞勝を訪ねる。(信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
7/12:羽柴秀吉が因幡鳥取城を包囲する。(「戦争の日本史13」)
7/16:日野輝資が、自身の下男が万里小路充房の従者に打
7/17:
・越中願海寺城主寺崎盛永父子、佐和山城にて切腹する。
・織田信長が信忠に秘蔵の雲雀毛の馬を贈る。(尾張・織田一族)
7/25:織田信忠、信雄、信孝三兄弟が安土城に招かれ、織田信長より脇差を与えられる。(尾張・織田一族)
8月:備前虎倉城主伊賀家久が毛利氏に通じて宇喜多氏を離反する。
8/12:
・武田勝頼の家臣長坂光堅、跡部勝資が上杉景勝の側近山崎専柳斎に書を送り、新発田重家が景勝の元に出仕しない事を「沙汰之限」としながらも、和睦の仲介を申し入れる。(「上杉景勝~転換の時代を生き抜いた人生」)
・織田信忠が長良河原に馬場を作らせ、尾張、美濃の諸将と共に乗馬の訓練を行う。(尾張・織田一族)
9/1:上杉家臣、毛利秀広が御館の乱の論功行賞への不満から、上杉景勝側近の儒者、山崎秀仙を殺害、その場に居合わせた直江信綱も斬殺される。秀広は岩井信能らに討たれる。景勝、樋口与六に直江家の跡を継がせる。
9/3:織田信長が次男信雄を総大将として伊賀に侵攻させる。
9/6:滝川一益、丹羽長秀、堀秀政らに率いられた織田軍が伊賀壬生野城、佐那具城を攻撃する。
9/10:伊賀佐那具城に立て籠もる城兵が織田方を攻撃するも、退けられた上、城にも攻撃を受けたため、開城する。
9/29:上総小田喜城主、正木憲時が自害して果てる。里見義頼が義弘の後継者の地位を確立する。(「戦争と日本史10」)
10月:
・羽柴秀吉が小寺孝高に阿波木津、土佐泊城に兵糧、弾薬の補給を命じる。
・駿河戸倉城の北條家臣笠原政晴が武田勝頼に内通する。
10/2:織田信長が能登を前田利家に与える。
10/25:羽柴秀吉が因幡鳥取城を攻略する。城将吉川経家らは自害して果てる。
11月:大友軍が豊前宇佐宮を焼き討ちする。
12月:
・上杉景勝、越後柏崎町に治安維持のための制札を出す。
・織田信長の使者が徳川家康に対し、来年の信長による甲斐侵攻の予定を示し、兵糧などの準備を促す。
12/2:肥後相良義陽が阿曽氏家臣甲斐宗運と響ヶ原で戦うも討死する。



コメント

札幌からコメント
子供の頃から、佐々木三郎盛綱ー加地氏ー新発田重家のことを祖母、伯父から聞かされており、特段の関心があります。長野市にその子孫が現存していると聞かされています。これからも細やかな時系列データを期待しております。
 

>北村 剛様
コメントありがとうございます。

私も最近になるまで、新発田重家の上杉景勝に対する抵抗がこれほどまでに激しかった事を知りませんでした…というか、年表にしてみて、6年という時の重さを感じました。

今年の大河ドラマでは新発田重家の乱が軽く扱われそうで不安ですが…

新発田城には一度訪ねた際の写真もありますので、いずれ、アップロードする予定です。

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