天正三年(1575)
主な出来事
・大隅国の肝付兼亮が追放され、跡を継いだ兼護が薩摩島津氏に降伏する。(「戦争の日本史12」)
2/16:上杉謙信が「上杉家軍役帳」を作成し、配下の諸将の軍役を定める。(「上杉景勝のすべて」)
5/21:長篠の合戦 ○織田信長、徳川家康vs武田勝頼●
・日の出と共に武田軍が織田軍へ向けて突撃を開始するも、織田軍の鉄砲と馬防柵の前に攻めあぐむ中、辰の刻に酒井忠次が鳶ヶ巣山砦を攻撃して、これを攻略、長篠城を救援する。武田軍は多数の将兵を失って敗走する。(「戦争の日本史13」)
5/22:毛利輝元が、備中松山城を攻略する。
6月:織田信長、明智光秀に丹波攻略を命じる。(「信長と消えた家臣たち」)
6/2:備中松山城主三村元親、自害して果てる。
7/3:織田信長が禁中での誠仁親王主催の鞠会に出席する。官位昇進の勅状を得るも、これを辞退し、代わりに家臣の賜姓、任官を請い、勅許を得る。
8/12:織田信長、越前一向一揆攻略の為に岐阜を出陣する。
11/4:織田信長が権大納言に任じられる。
11/7:織田信長が右近衛大将に任じられる。
11/21:織田信忠、美濃岩村城を開城させる。城将の秋山信友は織田信忠の本陣で捕らえられ、岐阜城下に護送されて逆磔となる。
11/28:織田信長が家督と岐阜城を嫡子信忠に譲り、自らは茶道具を携えて佐久間信盛の屋敷に移る。
12/26:徳川家康、遠江二俣城を攻略、城将依田信蕃は開城して甲斐へ帰国する。
死没
三村高徳(備中常山城主)
6/2:三村元親(備中松山城主)
10月:下間頼照(60:本願寺坊官)
11/21:秋山虎繁(49:岩村城主、信友)
12/27:水野信元(?:尾張緒川城主)
備考、その他
・大隅国の肝付兼亮が追放され、跡を継いだ兼護が薩摩島津氏に降伏する。(「戦争の日本史12」)
・四万十川の合戦 ○長宗我部元親vs一条兼定●
・肥前平戸の松浦隆信、鎮信親子が龍造寺隆信に起請文を送り、その配下となる。(「戦争の日本史12」)
・吉川元春と山名祐豊とが、起請文を交わし、山名氏と毛利氏とが同盟を結ぶ。(「人物叢書 山名宗全」)
1月:
・但馬の山名祐豊が因幡の山名豊国の仲介で吉川元春に和議を申し入れる。
・北條氏政が下野小山氏への攻撃を開始する。(「戦争と日本史10」)
・下総の千葉邦胤が、香取郡に侵攻する。
1/1:毛利軍が備中国吉城を攻略する。城兵305人は残らず殺される。
1/11:上杉謙信、顕景に加冠して、名を景勝と改め、弾上少弼を称させる。(「上杉景勝のすべて」)
1/13:中御門宣教、正親町季秀、広橋兼勝が京都所司代村井貞勝を訪ねる。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
2月:
・毛利軍が三村方の鬼身城を攻略し、村上武吉が小早川隆景に祝儀を送る。
・常陸の佐竹氏が、陸奥白河結城氏を攻撃する。(「戦争と日本史10」)
2/4:上杉景勝が、晋光寺の賀状に応え、「少弼景勝」と署名する。
2/6:村井貞勝、明智光秀、矢部家定が、織田信長の使者として参内し、鶴十羽を献上する。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
2/9:上杉景勝が、吉江資堅の軍役を定める。
2/13:村井貞勝と明智光秀が、嵯峨清涼寺に禁制を掲げる。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
2/15:織田信長が、村井貞勝に京都山中路の新道造営を命じる。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
2/16:
・上杉謙信が「上杉家軍役帳」を作成し、配下の諸将の軍役を定める。(「上杉景勝のすべて」)
・村井貞勝が、山中路の新道造営を開始する。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
2/19:村井貞勝が、普請奉行を吉田社に派遣し、吉田兼和に二十六日の織田信長の入京までに新道を完成させるように指示する。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
2/21:村井貞勝が参内して、親王宣下の警固を行う。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
2/25:吉田兼和が、京都所司代村井貞勝に新道普請完了を報じる。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
2/27:村井貞勝が普請を終えた新道を自ら乗馬して見回り、吉田社を訪ねる。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
3月:上杉謙信が佐竹氏に対して、下野の小山秀綱の身上について尋ねる。
3/1:中御門宣教、甘露寺経元、正親町季秀が、京都所司代村井貞勝を訪ねる。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
3/3:織田信長が上洛する。
3/4:村井貞勝が、織田信長宿所の相国寺に集まった公家衆に、この日の対面がないことを伝える。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
3/19:村井貞勝が、伏見荘の三淵藤英の旧領について、御所に参内する。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
3/22:織田信長が長岡藤孝に朱印状を発し、丹波の兵を動員して大坂への出陣を命じる。(「戦争の日本史13」)
3/25:大和守護に塙直政が任じられる。
3/28:
・織田信忠が出羽介に任じられる。
・織田信長の養女の二条家への輿入れに際して、村井貞勝が警護役を務める。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
3月末:武田勝頼が三河足助に進出してきたため、織田信忠が迎撃のため、出陣する。(尾張・織田一族)
4月:
・島津家久が薩摩から上洛し、6月上旬まで在洛する。
・里見家臣正木憲時が千葉家臣国分胤政の立て籠もる下総矢作城を攻撃する。
4/1:織田信長が、丹羽長秀と村井貞勝に徳政として公家の本領還付を命じる。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
4/3:荘国寺にて鞠会が開催され、村井貞勝が配膳役を務める。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
4/6:
・織田信長が京都を出陣する。
・吉田兼和が、村井貞勝を訪ねる。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
4/7:吉田兼和が、村井貞勝を訪ねる。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
4/8:
・織田軍が河内高屋城の三好康長への攻撃を開始する。
・中山孝親、甘露寺経元が、村井貞勝に徳政に関する「寄破文書目録」を提出する。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
4/13:織田信長が摂津天王寺に陣を移す。
4/16:
・織田軍が和泉新堀城を攻略する。河内高屋城の三好康長が降伏する。
・村井貞勝が、徳政令に応じない者に翌日の出頭を命じる。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
4/18:中御門宣教ら、公家衆が村井貞勝邸を訪れ、酒宴を催す。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
4/21:武田勝頼が三河長篠城を包囲する。
4/29:吉田兼和が、村井貞勝を訪ねる。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
5月:毛利輝元が、三村氏配下の備前常山城などを攻略する。常山城では城主三村高徳の妻も薙刀を持って戦い果てたという。
5/1:村井貞勝が、朝廷に白瓜の初物を献上する。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
5/6:村井貞勝の家来衆が、中御門宣教を訪ね、昼食を振る舞われる。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
5/13:織田信長が長篠城救援のため、岐阜城を出陣する。
5/14:
・織田信長が岡崎城に到着する。
・禁裏が、村井貞勝に懸袋を下賜する。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
5/15:村井貞勝が、懸袋下賜の礼の為、参内する。禁裏が、村井貞勝に懸袋を下賜する。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
5/18:織田信長が設楽郷の極楽寺山に本陣を構える。
5/20
・武田勝頼が医王寺山の本陣を出て織田、徳川軍と対陣する。
・戌の刻、織田信長が酒井忠次に兵を与え、鳶ヶ巣山砦の攻略を命じる。
5/21:長篠の合戦 ○織田信長、徳川家康vs武田勝頼●
・日の出と共に武田軍が織田軍へ向けて突撃を開始するも、織田軍の鉄砲と馬防柵の前に攻めあぐむ中、辰の刻に酒井忠次が鳶ヶ巣山砦を攻撃して、これを攻略、長篠城を救援する。武田軍は多数の将兵を失って敗走する。(「戦争の日本史13」)
5/22:毛利輝元が、備中松山城を攻略する。
6月:山中幸盛が因幡若桜鬼ヶ城を攻略する。
6/1:織田信忠が正五位下に任じられる。
6/3:織田信長が丹波国人川勝継氏に宛てて朱印状を発し、丹波に内藤、宇津両氏討伐のために明智光秀を派遣するので、これに協力するように依頼する。
6/6:織田信長が越前国内の反本願寺勢力に書を送り、織田軍の侵攻の際に忠節を尽くせば、旧罪があっても赦免の上、知行の安堵、宛行を行う旨を伝える。
6/13:織田信長が上杉謙信に書を送る。
6/14:織田信長が越前三ヶ寺を敵と見なさないことを約し、越前侵攻の際には忠節を尽くすように依頼する。
6/17:織田信長が丹波国人小畠左馬助に宛てて朱印状を発し、丹波に内藤、宇津両氏討伐のために明智光秀を派遣するので、これに協力するように依頼する。
6/28:近衛前久、丹波から帰洛する。
7月:
・松永久通、十市遠勝の未亡人と再婚する。(「信長と消えた家臣たち」)
・松永久通と十市遠勝の娘おなへとが、祝言をあげる。(「戦争の日本史11」)
・北條氏政が、上野の毛呂氏に下野小山攻撃の戦況を報じる。
・佐竹義重、義久が占拠した陸奥白河領の知行割を行う。
7/1:播磨三木城主の別所長治が叔父重棟と共に相国寺の織田信長を訪ね、拝礼する。
7/3:明智光秀が惟任日向守、塙直政が原田備中守、羽柴秀吉が筑前守、丹羽長秀が惟住姓、武井夕庵が二位法印、梁田広正が別喜右近、村井貞勝が長門守にそれぞれ賜姓、任官を受ける。
8月:
・島津歳久が薩摩から上洛する。帰国にあたって近衛前久から扇三本を与えられる。
・佐竹義重が、家臣の船尾昭直を陸奥滑津城に配置する。
・里見氏による下総侵攻の心労で、矢作城の国分一族朝重の母が死去する。
・北條勢が下総佐倉から上総東金に侵攻する。土気、東金城下の稲を刈り取り、上総一宮城の正木藤太郎に兵糧として送る。
8/14:織田信長が越前敦賀に着陣する。
8/15:織田軍の先陣が敦賀を出陣して越前国内へ侵攻する。羽柴秀吉、明智光秀らが率いる一隊が府中にて敗走する一揆勢を待ち伏せ、二千余を斬り捨てる。
8/16:織田信長が敦賀を発ち、府中に本陣を構える。
8/17:織田信長の本陣に一揆勢の首二千余が届けられる。
8/18:織田信長の本陣に越前国内各地から一揆勢の首が届けられる。
8/22:織田信長が京都所司代村井貞勝に越前国内の情勢を知らせる。
8/29:越前を訪問中の興福寺大乗院尋尊が織田軍による一揆勢探索を目撃する。
9月:
・北庄の普請場で近江国人林員清が誅殺される。
・吉川元春、小早川隆景が因幡に出陣する。
・宇喜多直家が天神山城を攻略し、浦上宗景が追放される。
9月初旬:織田家臣明智光秀が諸将に先んじて越前から陣払いして近江坂本城に帰る。
9/20:近衛前久、京都を発って九州薩摩へ向かう。
10月:毛利軍が因幡私部城を攻略する。
10/1:織田信長が丹波国人片岡藤五郎に宛てて朱印状を発し、丹波に赤井氏討伐のために明智光秀を派遣するので、これに協力するように依頼する。
10月中旬:明智光秀が丹波の国衆の大半を配下とし、黒井城を包囲する。
10/18:柴田勝家が黒目称名寺に一向一揆の大将下間頼照を討ち取った功を賞する。(「戦争と日本史14」)
10/20:播磨の別所長治、小寺政職、赤松広秀、備前の浦上宗景、但馬の山名韶熙が京都妙覚寺の織田信長の元に出仕する。
10/23:上洛した三木自綱「飛騨国司姉小路中納言卿」と名乗って、織田信長に馬を献上する。
10/25:織田信長が陸奥の伊達照宗に書を送る。
11月:
・織田信長、廷臣、諸門跡に新たに知行を与える。
・里見勢が下総矢作城を攻撃する。
11/10:美濃岩村城に立て籠もる武田勢が織田軍を夜襲するも、撃退される。
11/14:織田信長が、武田勝頼が岩村城救援のために出陣するとの報を受け、京都を出て岐阜に向かう。
11/24:織田信忠が岐阜に凱旋する。
12月:
・近衛前久、薩摩出水の専修寺に入る。
・穂田元清(毛利元就四男)が備中猿懸城主となる。
12/8:越前皿谷村の一向宗門徒が、真宗高田派の専福寺、称名寺、法光寺の門徒となる請文を出す。
12/27:徳川家康、岡崎城に水野信元を呼び出し、切腹を命じる。
12月末:土佐長宗我部氏が阿波に侵入し、海部城を攻略し香曽我部親泰(元親弟)が城将となる。


