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参考文献


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永禄十三年~元亀元年(1570)

主な出来事
・北條氏康が、七男氏秀を人質として上杉輝虎の元に送る。
1/23:
・織田信長が、朝山日乗と明智光秀に宛てた五箇条の条書を足利義昭に承認させる。同時に近国の大小名に上洛を要請する。(「織田信長文書の研究 上巻」)
・織田信長が、畿内近国の諸大名に対して朝廷、幕府の為に上洛を命じる。
4/20:織田信長が若狭に向かって出陣する。(「戦争の日本史13」)
4/23:元亀に改元する。
4/25:織田信長が佐柿城を出陣して越前に侵攻し、手筒山城を攻略する。森可隆が討ち死にする。
4/28:織田信長が金ヶ崎城を発ち、京都へ向けて撤退を開始する。
4/30:織田信長、京都に帰陣する。
6月:徳川家康、岡崎城を嫡子信康に譲り、自身は浜松城に移る。
6/28:姉川の合戦 ○織田信長、徳川家康vs浅井長政、朝倉景建●
8/20:
・織田信長、三好三人衆を討伐するため、岐阜を出陣する。
・今山の合戦 ○龍造寺隆信、鍋島信昌(直茂)vs大友宗麟、親貞●
8/23:織田信長が入京する。
9月:大友宗麟と龍造寺隆信が和睦を締結する。(「戦争の日本史12」)
9/12:夜半、石山本願寺が織田信長に対して挙兵する。
9/19:浅井長政、朝倉義景の連合軍が近江坂本に進出し、宇佐山城を攻撃し、森可成を討ち取る。(「信長と消えた家臣たち」)
9/23:織田信長が、浅井、朝倉軍の動向を知り、摂津の陣を引き払い、京都へ向かう。
12/13:
・織田信長と朝倉義景、浅井長政が講和し、織田勢が比叡山麓から撤退する。
・上杉輝虎、春日山城看経所に越中平定の祈願文を納める。この時から「謙信」を名乗る。(「上杉景勝のすべて」)
12/15:朝倉義景、浅井長政ら、比叡山を下りて撤退する。

生誕
初姫(浅井長政次女、京極高次正室)
森忠政(可成六男)

死没
4/25:森可隆(19:可成の長子)
8/20:大友親貞(?:豊後大友一族)
9/19:森可成(48:織田家臣)
11/21:織田信興(?:信長弟)
11/26:坂井政尚(?:織田家臣)



備考、その他
・島津氏が薩摩の有力国人入来院氏らを屈服させ、薩摩を統一する。(「戦争の日本史12」)
・徳川家康の嫡子竹千代が元服して、次郎三郎信康を称する。(「江戸大名家血族事典」)
1/5:毛利輝元、出雲に向けて出陣する。
1月23日:足利義昭・織田信長条書(「織田信長文書の研究 上巻」)
一、諸国に義昭が御内書で命じる際は、まずは信長に命じてその書状を添える事。
一、これまでの義昭からの下知は一旦無効とし、改めて思案の上、下知を加える事とする。
一、将軍に対して忠節の者に対して、褒美や恩賞を与えるに際し、与える領地がなければ、義昭の命令に応じて、信長の分国の中から提供する。
一、天下の事を信長に委任された上は、相手が誰であろうと、将軍の命を得ずに信長の意向によって成敗を加える。
一、天下が平和になったので、朝廷に対して常に油断のないようにする。
1/28:毛利軍が多久和城を攻略する。
2月:
・毛利氏が美作高田城在番の足立十兵衛尉に三浦勢討伐を賞する。
・常陸土浦城の小田氏治が、家臣の木田余城主信太伊勢守を土浦城に誘殺する。(「戦争と日本史10」)
・北條氏が相模今泉郷に動員をかける。その際、名主の小林惣右衛門を指名する。(「雑兵たちの戦場」)
・松永久秀が人質として預かっていた井戸氏の娘を犬くくりにて絞め殺し、遺体を井戸城の城際に串刺しにして晒す。同様に松蔵権介の子息も奈良口にて同じように殺害されて晒される。(「戦争の日本史11」)
2/13:織田信長、小早川隆景に礼状を送る。
2/14:布部合戦で毛利軍が尼子軍を撃破し、富田城を救援する。
2/25:織田信長が上洛の為、岐阜を発つ。
2/30:織田信長が上洛する。
3月:
・二条晴良が勘修寺領を横領し、正親町天皇が将軍義昭に返還命令を出すように要請するも、使者の山科言継に対し「勘修寺は足利義栄を支援していた。二条殿は身を捨てる覚悟で自分を支援してくれたので、理非の問題ではない。何度仰せ出されてもこの件に関して応じる気はない」と返答する。
・遠江浜松近くの堀江で一揆が発生し、徳川家康によって平定される。(「定本常山紀談 上」)
・織田信長、丹波の赤井忠家に知行安堵状を発給する。
・伯耆国内の尼子方勢力が岩倉、八橋二城に追い込められる。
・大友宗麟が佐嘉の龍造寺隆信討伐に出陣する。
3/1:織田信長が幕府に出仕した後、御所に参内する。(「戦争の日本史13」)
3/6:ポルトガル国王が、日本人奴隷売買禁止令を発する。(「雑兵たちの戦場」)
3/16:織田信長が、御所の修理を視察する。
3/18:織田信長が、小早川隆景、吉川元春に毛利、大友両氏の和睦に関して書を発する。小早川隆景に対しては木下秀吉が副状を発する。
3/23:織田信長、足利義昭が毛利輝元を右衛門督に任ずる事を副状で知らせる。
4月初:大友宗麟が龍造寺領内の船留を実地する事を筑後国衆に通告する。
4月:佐嘉表古瀬原口にて大友軍と龍造寺軍が交戦する。
4/10:上杉輝虎、北條氏秀を養子として景虎と名乗らせる。(「上杉景勝のすべて」)
4/11:織田信長、吉川元春に宛てて書を送る。(「織田信長文書の研究 上巻」)
4/16:木下秀吉ら、若狭の諸将に守護への忠節を命じる。
4/17:毛利軍が牛尾要害を攻略し、城兵の大半を討ち果たす。
4/23:織田信長が若狭佐柿城に入る。
4/25:上杉謙信、養子の景虎に姉仙桃院の娘を嫁す。(「上杉景勝のすべて」)
5月:
・大友宗麟、筑後の田尻、蒲池氏に水軍を伴っての出陣を命じる。
・常陸の佐竹義重が、前年攻略した小田城に太田道誉を入城させる。(「戦争と日本史10」)
5/4:幕府奉公衆の一色藤長が丹波の波多野秀治に書を送り、金ヶ崎城に木下秀吉、明智光秀、池田勝正を残して撤退したことを知らせる。
5/9:織田信長が京都を発ち、近江永原城に入る。
5/10:毛利輝元が家臣の柳沢元政に任官の件に関して礼状を発する。
5/15:織田信長が蒲生賢秀、氏郷父子に五千五百石余を加増する。(「織田信長文書の研究 上巻」)
5/19:織田信長が永原城を発ち、岐阜に向かう。
5/21:織田信長が岐阜城に入る。
5/25:織田信長が遠藤胤俊、慶隆親子に江北への出陣を命じる。(「織田信長文書の研究 上巻」)
5月下旬:六角勢が近江草津付近に進出する。
6月:
・姉川合戦を前に織田信長、来援した徳川家康に源為朝の鏃を与える。
・村上武吉、豊後大友家臣の本多治部少輔が上方に向かうに際し、塩飽島に違乱がないように命じる。
6/4:近江野洲河原で柴田勝家、佐久間信盛らが六角承禎親子を破る。
6/6:織田信長、若狭の武田信方に自らの江北出陣と将軍足利義昭の近江高島への出陣を報じ、これへの協力を要請する。(「織田信長文書の研究 上巻」)
6/8:吉川広家が堀立直正に書を送り、出雲国内の尼子方を高瀬、新山城に追い込んだと伝える。
6/10:近江修理太夫(京極氏?)、六角承禎親子を生け捕りにする。
6月中旬:近江鎌刃城主、堀秀村が織田信長に好を通じる。(「信長と消えた家臣たち」)
6/16:織田信長、明智光秀に降伏した三好政勝の知行に関して、近くに所領を持つ伊丹親興と交換する事を承諾させるよう、指令する。(「織田信長文書の研究 上巻」)
6/18:織田信長、近江に着陣する。
6/19:織田信長が近江修理太夫(京極氏?)の武功を賞し、参陣を促す。同日、信長が近江長比砦に布陣する。
6/21:
・織田信長が北近江の虎御前山に着陣し、浅井氏の小谷城攻撃の態勢を取る。
・明智光秀と村井貞勝が、大山崎に書を送り、軍勢の往還に際しての南方の道筋についての拡幅工事を承認するも、併せて町道の通行を禁ずる事は出来ない事を通知する。(「戦争の日本史11」)
6/22:織田信長が横山城攻略を目指して軍勢を移動させる。浅井勢がこれを追撃するも、信長家臣の梁田広正、中条秀忠、佐々成政らに退けられる。
6/26:織田信長、近江の久徳氏に三千石を与える。
6/27:夜間に浅井長政、朝倉景建率いる軍勢が織田軍攻撃のために移動を開始する。
6/28:姉川合戦後、織田信長が細川藤孝に宛てて戦勝を報じ、将軍義昭への披露を依頼する。追記で徳川家康の奮戦にも触れる。(「織田信長文書の研究 上巻」)
夏:常陸の佐竹義重が、那須氏討伐のため下野に侵攻する。(「戦争と日本史10」)
7月:
・毛利軍が出雲高瀬城周辺で稲薙を行う。
・佐嘉城近辺の長瀬、端津、浮盃で大友軍と龍造寺軍が交戦する。
・北近江の浅井氏が、本願寺の末寺福勝寺を通じて本願寺と交渉する。(「戦争と日本史14」)
・徳川信康が元服する。
7/3:今井宗久、但馬国人衆に姉川合戦での織田信長の勝利を報じると共に、生野銀山で産出される銀を代官に渡すように督促する。(「織田信長文書の研究 上巻」)
7/4:織田信長、上洛する。
7/8:織田信長、京都から帰国の途に着く。
7/10:織田信長、毛利元就と小早川隆景に近況を伝える書を送る。この中で、浅井長政の挙兵によって一時的に窮地に陥った事には一切触れず、「帰京の途中で裏切ったとの報告を受けた」と報じる。(「織田信長文書の研究 上巻」)
7/12:織田信長、畠山昭高に書を送り、岐阜へ帰国した事を報じる。
7/21:三好三人衆が摂津中島、天満森に布陣する。
7/27:筒井順慶が、大和十市城を攻撃する。
8月:
・毛利軍が新山城周辺で稲薙を行う。
・備前の浦上宗景の軍勢が毛利方備中幸山城を攻める。
・陸奥羽黒城などで、芦名勢が佐竹勢に勝利する。(「戦争と日本史10」)
8/12:近衛前久、薩摩の島津貴久に書を送る。
「まことに思い寄らざる佞人の所行により京都退座せしめ、無念の至りに候。しかれども、信長分別せしめ、義昭いわれざる御存分、是非なく候、はやばや帰洛せしむべきの由、再三、申し越し候といえども、いったん面目を失い候間、今に至りては、覚悟に及ばざる由、申し放し候。しかれば、江州南北、越州、四国衆ことごとく一味せしめ候て、近日、拙身も出張せしめ候。すなわち本意を遂ぐべく候。」
8/9:三好三人衆が、尼崎に進出し、伊丹城を攻撃する。
8/25:織田信長が三好討伐の為、摂津に向けて京都を出陣する。
8/26:織田信長が摂津天王寺に着陣する。
8/30:足利義昭が京都を出陣し、摂津に向かう。
9月:村上武吉と毛利元就、輝元、小早川隆景が起請文を交換し、互いに入魂の間柄である事を確認する。
9月初:毛利元就が重病となり、出雲に吉川元春、宍戸隆家の軍勢を残し、毛利輝元、小早川隆景が安芸に帰国する。
9/2:本願寺顕如が美濃郡上郡の門徒に宛てて檄文を送る。
9/6:
・本願寺顕如が近江中郡の門徒に宛てて檄文を送る。
・興福寺大乗院の尋憲が、本願寺に諸国での一揆蜂起を指示したとの噂を日記に書き留める。
9/7:織田信長、和泉国槇尾寺から鉄砲十挺を贈られた事に対し、礼状を認める。
9/8:織田信長が天満森に本陣を構える。
9/10:本願寺と浅井氏が同盟関係を確認する。
9/12:
・織田信長が、摂津海老江城に本陣を移し、三好勢への攻勢を強める。
・夜半、石山本願寺が織田信長に対して挙兵する。
9/14:将軍足利義昭、徳川家康に対して織田信長への援軍を依頼する。
9/18:将軍足利義昭と織田信長が、朝廷に対し、本願寺へ戦闘を止めるよう勅使を派遣して欲しいと要請する。(「戦争と日本史14」)
9/20:織田信長、降伏した三好政勝(政康弟)に摂津国豊嶋郡を与える。
9/22:織田信長が海老江の陣を払って天満森に戻る。
9/23:織田信長が摂津の陣を引き払い、京都に戻る。
9/29:この日、本願寺顕如が、一昨年来の近衛前久の本願寺逗留を知る。
10月:毛利元就、直属の児玉就英率いる安芸水軍を出雲に差し向け、尼子方の補給路を断つ。
10/2:徳川家康が近江に着陣する。
10/4:幕府、徳政令を発する。
10/7:本願寺顕如が、諸国の門徒に織田信長に対する戦闘を命じる。
10/8:摂津国において織田方の伊丹親興が三好勢を撃退する。
10/15:織田信長、伊丹親興に対し、摂津国での勝利を賞し、海月を贈られた事に謝辞を述べる。
10/21:三好三人衆が、河内、山城国に進出し、山城御牧城を攻略するも、木下秀吉らに奪回される。
10/30:青蓮院尊朝法親王が本願寺に織田信長との和睦を促す。
11/1:織田信長、氏家卜全より参陣の申し入れがあったことを喜び、指示を与える。
11/13:
・織田信長、尾張聖徳寺に書を送り、一向一揆に与しなかった事を賞し、蜜柑や綿、白鳥を贈られた事に謝辞を述べる。
11/21:
・伊勢長島の一向一揆が蜂起し、小木江城が攻め落とされ、織田信興が討たれる。
・織田信長が六角承禎と和睦する。
11/24:織田信長、若狭国人本郷信富に書を送り、若狭国内の情勢を信長側近矢部家定に報告してくれた事、及び鮭を贈られた事に謝辞を述べる。
11/25:近江堅田の地侍が織田信長に内通し、信長、坂井政尚を堅田に送り込む事を決める。
11/26:近江堅田への進出を策した坂井政尚、浅井、朝倉軍と戦い、討ち死にする。
12月:
・織田信長、本能寺を宿に定め、諸役を免除する。
・尼子方の隠岐の軍勢が立て籠もる出雲の本庄、下葉崎の城郭を毛利軍が攻略する。
・尼子方の出雲満願寺城を毛利軍が攻略する。
12/6:興福寺大乗院門跡尋尊が越前に派遣した使者が、織田信長と幕府の命による通行止めによって目的を達せず、帰京する。(「織田信長文書の研究 上巻」)
12/9:正親町天皇、比叡山延暦寺に綸旨を発し、和議と寺領の安堵を承認する。
12/12:織田信長、将軍足利義昭の側近、一色藤長、曽我助乗に宛て、比叡山延暦寺が今回、浅井、朝倉氏に同調した件について不問にする旨を承知する。
12/13:朝倉義景、和議について織田信長に誓書を提出する。
12/14:織田信長、講和によって岐阜に帰国する。
12/15:朝倉義景、比叡山延暦寺に書を遣わし、今後の連携を確認し、浅井長政と共に帰国する。
12/27:浅井方の高宮氏が、織田方の久徳氏の砦を攻撃するも、退けられる。(「織田信長文書の研究 上巻」)


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