永禄十二年(1569)
主な出来事
1/5:三好三人衆が、本圀寺の足利義昭を攻撃する。(「織田信長文書の研究 上巻」)
1/6:三好義継、池田勝正らが足利義昭加勢の為、上洛して三好三人衆を撃破する。
1/10:織田信長が、上洛する。
1/14:織田信長が、殿中御掟9ヵ条を定める。
1/16:織田信長が、殿中御掟7ヵ条を追加して定める。
2/11:織田信長が堺を接収する。(「戦争の日本史13」)
4/19:ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスが織田信長と対面する。
閏5/3:毛利軍が立花山城を攻略する。城兵は助命して志賀島に送る。(「戦争の日本史12」)
6月:上杉、北條両氏が和睦を締結する。(「戦争と日本史10」)
10/12:
・大内輝弘が山口に乱入し、大内氏築山館を占拠する。
・織田信長が京都に帰陣する。
生誕
茶々(浅井長政の長女)
死没
岩城重隆(?:南陸奥岩城氏当主)
岡見義綱(?:常陸小田一族、牛久城主)
岡見治資(?:常陸小田一族、谷田部城主)
4月:入江春景(?:摂津国人、高槻城主)
8/11:安芸国虎(40:土佐安芸城主)
10/25:大内輝弘(50?:周防大内一族)
10月末:吉田興種(?:大内~毛利家臣)
備考、その他
・徳川家康が清洲城を訪れ、織田信長と盟約を結ぶ。(「定本常山紀談 上」)←永禄五年の誤記?また、この時、家康家臣の植村家政が刀を持ったまま、強引に対面の席に進んだと言うが、家政はまだ生まれていない。
・佐々木承禎、柴田勝家の立て籠もる長光寺城を攻め、水の手を断つが、城内の水を貯蔵した甕を全て壊した勝家の逆襲にあって敗北する。この合戦で「甕割り柴田」の異名を得る事になる。(「定本常山紀談 上」)←元亀元年の誤記?
・土佐一条氏配下の久礼城主佐竹信濃守が長宗我部氏に内応し、蓮池城が長宗我部元親の弟吉良親貞に攻略される。(「戦争の日本史12」)
・将軍足利義昭が大友、毛利氏に対して、和睦を結んで四国に出兵するように要請する。
・毛利元就からの救援要請を受けた織田信長が、木下秀吉、坂井政尚を播磨、但馬に出陣させる。
・島津氏が薩摩の有力国人菱刈氏を屈服させる。
・織田信長の娘、冬姫が蒲生賦秀(後の氏郷)に輿入れする。(尾張・織田一族)
・北條氏が、相模玉縄城の修理保全について、領民の自発的な貢献を指示する。(「雑兵たちの戦場」)
1月:常陸の佐竹勢が小田氏を攻撃し、海老島城を攻略する。(「戦争と日本史10」)
1/3:三好三人衆が兵を率い、和泉を経て上洛する。(「戦争の日本史13」)
1/5:三好三人衆が、本圀寺の足利義昭を攻撃する。(「織田信長文書の研究 上巻」)
1/6:三好義継、池田勝正らが足利義昭加勢の為、上洛して三好三人衆を撃破する。
1/9:織田信長が、岐阜を出陣する。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
1/10:織田信長が、上洛する。
1/14:織田信長が、殿中御掟9ヵ条を定める。
1/16:織田信長が、殿中御掟7ヵ条を追加して定める。
1/20:遠江天王山の合戦 ○徳川家康vs今川氏真●
・この時大久保忠隣、17歳であったが、戦場で叔父の忠佐より、討ち取った敵の首を譲ると言われ、激高して敵中に駆け入り、自ら首を取る。(「定本常山紀談 上」)
1/27:京都の二条勘解由小路において、将軍御所の建設工事が織田信長家臣の村井貞勝と島田秀順を奉行として始まる。(「戦争の日本史13」)
2月:安房の里見勢が下総の高城氏、臼井原氏を攻撃する。
2/7:足利義昭、大友宗麟に対し、毛利元就との和議を勧告する。
2/8:足利義昭、上杉輝虎に御内書を送り、織田信長に越甲和議の斡旋を依頼した事を伝え、武田信玄との和議を促す。(「上杉景勝のすべて」)
2/10:織田信長が、足利義昭の上杉輝虎宛の御内書への副状を直江景綱に送る。
2/27:将軍足利義昭の御所の起工が行われる。(「戦争の日本史11」)
3月:
・大友宗麟が戸次鑑連、吉弘鑑理、臼杵鑑速に対し、筑前小石原要害攻略を指示する。
・織田信長、畿内各所に撰銭令を発布する。
3/2:
・織田信長が摂津多田院の矢銭を免除する。
・織田信長の元に勅使が派遣され、副将軍就任を打診されるも、信長は返答せず。
3月中旬:吉川元春、小早川隆景が豊前足立山の陣を出陣し、筑前に向かう。
3/16:大友宗麟が備前の浦上宗景に書を送り、大内輝弘とも連絡を取りあっている事を伝える。
3月末:大友軍が筑前馬見城を攻略する。
4月:
・毛利元就が長府に向けて出陣する。
・武田信玄が常陸の佐竹義重に書を送り、小田原方面への出陣を促す。
・織田信長が、前高槻城主入江春景を三好三人衆に通じた罪で殺害する。(「織田信長文書の研究 上巻」)
4月中旬:吉川元春、小早川隆景が立花山城の麓に布陣する。
4/7:足利義昭、上杉輝虎に重ねて武田家との和議について問い合わせる。織田信長も副状を直江景綱に送る。
4/14:京都の将軍御所が完成し、将軍足利義昭が居を移す。
4/16:朝山日乗が、烏丸光康邸に大工を招集し、皇居修理の見積もりを行う。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
4/20:足利義昭、上杉輝虎に更に重ねて武田家との和議について問い合わせる。
4/21:織田信長が帰国のために京都を発つ。将軍足利義昭が御所の門前で涙を流して見送る様子を公家の山科言継が目撃する。
5月:
・伊勢木造城主、木造具政が織田信長に好を通じる。
・織田信長、津田一安を使者として甲府の武田信玄のもとに派遣する。
・大友宗麟が大内輝弘に防長の毛利領への渡海を指示する。
・島津氏が日向に侵攻し、島津一族北郷時久が107人を討ち取り、1人を生け捕り、大将5人と合わせて170人を斬り捨てたと記録する。(「雑兵たちの戦場」)
・島津一族北郷時久が庄内から日向に兵を出し、3人をさらったと記録する。
・下総千葉家臣で、下総助崎城の大須賀氏が、北條氏から武蔵江戸城の在番を命じられる。(「戦争と日本史10」)
5月初:毛利元就、輝元が長府に着陣する。
5/6:ポルトガル人宣教師ルイス・フロイス、朝山日乗と宗論を交わす。激高した日乗が刀を抜いた際、木下秀吉らが日乗を取り押さえる。
5/18:立花山城下で大友、毛利軍が合戦に及ぶも決着はつかず。
閏5月:上杉輝虎、林次郎左衛門(秀貞?)を通じて、織田信長に鷹を送る。
6月:
・毛利元就が村上武吉配下の水軍の豊前における戦功を賞する。
・但馬の山名祐豊の支援を受けた尼子勝久らが出雲忠山に布陣する。
・武田信玄が伊豆に侵攻し、韮山城を攻撃する。(「戦争と日本史10」)
・武田信玄が、常陸の梶原政景と上総の正木憲時に書を送り、安房の里見氏の元にいる足利藤政の鎌倉復帰に向けて協力を要請する。
7月:
・毛利元就、輝元、山口近辺に地下人一揆が蜂起したことを受け、周防賀川に軍勢を送る。
・尼子勝久、出雲富田城への攻撃を開始する。
・武田信玄が駿河に侵攻し、大宮城を攻撃する。
・織田信長が、朝山日乗に伊勢国内に千石の知行を与える。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝」)
8月:
・備後神辺城が山名氏旧臣藤井皓玄に占拠される。
・周防田島で豊後からの廻文の者が捕えられ、毛利輝元が廻文の者並びに彼らに宿を貸した者も誅伐するよう命じる。
・毛利元就が将軍足利義昭よりの大友氏との講和勧告を受け入れる意思を表明するも、大友宗麟がこれを拒否する。
8/9:豊後佐賀関の若林鎮興が周防秋穂浦に水軍で押し寄せ、毛利方の兵五人を討ち取る。
8/11:長宗我部元親が安芸城を攻略し、城主安芸国虎を自害させる。安芸城主には元親弟の香曽我部親泰が任じられる。
8/20:織田信長、伊勢攻略のため、岐阜を出陣する。
8/26:織田信長が木造城を出陣し、大河内城に向かう。木下秀吉が大河内城の支城である阿坂城を攻略する。
8/28:織田軍が伊勢国司北畠氏の居城、大河内城を包囲する。
8月末:豊前香春岳城麓に田原親宏率いる大友勢が襲来し、毛利方と交戦する。
9月:武田信玄が武蔵を経て相模に侵攻し、小田原城を攻撃する。
9/8:織田軍が大河内城に夜討ちをかけるも、城方の反撃を受け、失敗する。
10月:
・豊前東小倉、鳥羽田に田原親宏率いる大友勢が襲来し、毛利方と交戦する。
・比叡山延暦寺が近江の山門領を織田信長に差し押さえられているとして、梶井門跡を介して訴訟を起こす。(「戦争と日本史14」)
10/3:大河内城が開城となる。(「信長と消えた家臣たち」)
10/11:
・北畠具教、織田信長の次男、信雄を養子とする条件で降伏する。
・大内輝弘が周防秋穂に渡海する。
10/15:吉川元春、小早川隆景ら九州在陣中の毛利軍が撤退を開始、大友勢に宗像まで追撃を受ける。
10/17:織田信長が岐阜に帰国する。
10/18:吉川元春、小早川隆景率いる毛利軍が長府に帰陣する。
10/21:吉川元春、福原貞俊を先鋒とした毛利軍が山口に向かう。
10/22:織田信長、上杉輝虎より鷹を送られ、礼状を送る。
10/24:吉川元春、福原貞俊率いる毛利軍が、長門の白松北南、木波、床波の地下人一揆を討つ。
10/25:
・吉川元春、福原貞俊率いる毛利軍が、秋穂の地下人一揆を討つ。
・大内輝弘が富海で自刃する。
10月末:毛利元就、大内旧臣の吉田興種を誅殺する。
11月:常陸の佐竹勢が小田氏治の居城小田城を攻略する。氏治は土浦城へ退避する。
11/5:魚津城将河田長親、居多神社神官花ヶ前盛貞に越中宮津八幡宮の社職を与える。
11/20:将軍足利義昭から、本願寺が阿波門徒に命じて三好三人衆を支援しているのではないかとの詰問を受け、本願寺顕如がこれを否定する。(「戦争と日本史14」)






