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参考文献


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永禄十一年(1568)

主な出来事
2月:大友家臣で立花山城主鑑載が高橋鑑種に通じて挙兵する。(「戦争の日本史12」)
2/8:摂津富田にて、足利義栄に対する将軍宣下が行われる。
7/4:大友軍が立花山城を攻略する。
7/13:足利義昭が越前一乗谷を発つ。(「戦争の日本史13」)
9/14:正親町天皇が織田信長に京都、宮中の警固を命じる綸旨を与える。
9/26:織田信長、足利義昭を奉じて入京する。信長は東寺、義昭は清水寺に陣を構え、禁裏に明院良政と細川藤孝を使者として派遣し、禁裏の警護を申し入れる。
10/18:足利義昭が征夷大将軍に任ぜられる。
12月:・武田信玄が、今川氏との同盟を破棄して駿河に侵攻する。(「戦争と日本史10」)


生誕
羽柴秀勝(織田信長の子、羽柴秀吉の養子)

死没
足利義栄(31?:室町幕府十四代将軍)
立花鑑載(48?:大友家臣)
肝付良兼(34:大隅国人)
5/3:長野筑後守(?:豊前長野城主)
9/4:長野弘勝(?:筑後守弟)



備考、その他
・土佐国人本山貞茂(後親茂)が長宗我部元親に降伏する。(「戦争の日本史12」)
・陸奥石河一族の沢井氏が佐竹氏に服属する。(「戦争と日本史10」)
1月:将軍足利義昭の仲介によって、越前の朝倉義景と本願寺が和睦する。(「戦争と日本史14」)
1/17:三好方の摂津池田衆が奈良に入り、淡路、阿波衆に代わって多聞山城の松永勢を監視する。(「戦争の日本史11」)
2月:
・織田信長が北伊勢に侵攻する。三男信孝を神戸氏の養子に、弟信包を長野氏の養子にする。
・大坂、堺、奈良の本願寺門徒が大和に一向宗の道場を設置しようとし、石成友通がこれを支援するも、奈良の寺社の反対によって実現はせず。(「戦争と日本史14」)
2/4:興福寺一乗院家が、年頭の挨拶の為に多聞山城に入る。城内からは山芋や蒟蒻の吸い物が振る舞われた他、三好義継が舞を披露する。
2/8:
・摂津富田にて、足利義栄に対する将軍宣下が行われる。
・織田信長、直江景綱を通して上杉輝虎に糸毛の甲と腹巻を贈る。(「織田信長文書の研究 上巻」)
3/21:三好方の河内衆が奈良に入り、摂津衆に代わって多聞山城の松永勢を監視する。
春:土佐一条氏方の河後森城主河原淵教忠が、伊予に出兵した領民の帰還を祈願して天満宮社殿の造営を行う。
4月:
・吉川元春、小早川隆景率いる毛利軍が伊予国に侵攻し、大津の宇都宮氏と交戦し、宇都宮豊綱は降伏する。
・毛利氏の働きかけで河野氏の家督を来島通康と毛利家臣宍戸隆家の娘(小早川隆景養女)の間に生まれた通直が継承する事が決まる。
4/15:足利義秋、越前一乗谷で元服し、義昭と改名。前関白二条晴良が立ち会う。
5月:
・薩摩の島津氏と日向の伊東氏が和議を結び、島津氏が日向飫肥を伊東氏に明け渡す。
・会津の蘆名盛氏が、南陸奥石川一族の沢井氏に起請文を送る。(「戦争と日本史10」)
5月上旬:伊予に在陣中の毛利軍が安芸に帰国する。
5/3:大友方に降伏した長野筑後守が何者かに殺害され、その頸が赤間関の毛利軍に届けられる。毛利方も事件の真相を不思議がる。
6月:常陸の佐竹義重が、南陸奥石川一族の沢井氏に起請文を送る。
6/2:筒井順慶が、築城人夫を奈良の町から徴発する。
6/20:
・足利義昭が紀伊粉河寺に御内書を発し、近日上洛するので、畠山高政と協力するように要請する。
・田原親宏率いる大友軍が毛利方の豊前宮山城を攻略する。
6/25:織田信長、直江景綱に書を送り、上杉、武田の和議について問い合わせる。
6/28:豊前岩熊村に拠った毛利軍が大友方長野助守に討ち取られる。
6月下旬:三好三人衆が近衛前久を殺害するという噂が流れる。
6/26:三好長逸と岩成友通が近衛前久を訪ね、害意のない旨、誓紙を出す。
6/27:公家衆が近衛邸を見舞う。
7/12:足利義昭、上杉輝虎に書を送り、近況を伝える。
7/13:大友軍が毛利方の豊前苅田松山城を攻めるも、攻略はならず。
7/25:足利義昭、美濃立政寺に移る。
7/29:織田信長、上杉輝虎に書を送り、上杉、武田の関係や越中の情勢について問い合わせる。
8月:
・松永久秀が、人質として預かっていた十市遠勝の娘おなへを実家に帰す。
・毛利軍主力が九州への渡海を開始する。
8/7:織田信長が、近江佐和山城に入り、六角承禎に対して自らの上洛に対する支援を要請する。六角氏はこれを拒否する。(「戦争の日本史13」)
8/17:三好三人衆が近江観音寺城の六角承禎と会見する。
8/21:織田信長、大和の柳生宗厳に書を送り、松永久秀と連携しての協力を依頼する。
9月:
・豊前足立山に毛利軍が布陣する。
・三好勢が備前本太城を攻めるも、毛利方村上武吉の家臣島吉利が撃退する。
・三好政康、香西元成らが、山城国木津に布陣する。(「戦争の日本史11」)
・織田信長が、山城国大山崎に禁制を発する。
9/3:三好康長らが、大和多聞山城の松永久秀を包囲する。
9/4:毛利軍が豊前三岳城を攻略し、城将長野弘勝を討ち取る。
9/5:毛利軍が豊前宮山城、等覚寺城を攻略する。
9/7:織田信長、上洛のため、岐阜を出陣する。
9/8:浅井長政の軍勢が織田勢に合流する。(「北政所と淀殿」)
9/12:
・織田家臣佐久間信盛、丹羽長秀、木下秀吉らの軍勢が六角氏の近江箕作城を攻略する。
・公家の山科言継が日記に箕作、観音寺城の陥落を記し、絵箱、太刀箱を御所の台所に預ける。
9/13:織田軍が六角氏の居城、観音寺城を攻め落とす。六角承禎は没落する。
9/14:
・公家の山科言継が織田軍の上洛に備えて、屋敷の品々を御所に移す。
・正親町天皇が織田信長に京都、宮中の警固を命じる綸旨を与える。
9/20:公家の山科言継が織田軍の京都進出と京都内外の騒動を日記に記す。
9/21:織田信長、上杉家臣直江景綱に書を送り、上洛作戦が順調である旨を伝える。
9/22:足利義昭が近江桑実寺で織田信長と合流する。
9/26:織田信長が、足利義昭を奉じて入京する。信長は東寺、義昭は清水寺に陣を構え、禁裏に明院良政と細川藤孝を使者として派遣し、禁裏の警護を申し入れる。
9/28:織田信長と足利義昭が東福寺に入る。
9/29:織田軍の攻撃を受け、山城勝龍寺城、摂津芥川城が陥落し、越水、滝山、伊丹城が降伏する。
10月:
・下野上那須の大田原、大関氏が那須資胤の元に帰参する。(「戦争と日本史10」)
・北條氏と下総関宿城の簗田氏との和睦が決裂する。
・武田信玄が、常陸片野城の太田道誉(資正)に書を送り、対北條氏に関して協力を要請する。
・松永久秀が井戸城を攻撃する。その際、人質として預かっていた井戸氏の娘と松倉権介の子息が牢に移される。10/2:
・織田信長、摂津石山本願寺に五千貫、和泉堺に二万貫の矢銭をかける。
・摂津池田城の池田勝正が織田軍に降伏する。
10/3:大和の松永久秀らが摂津芥川城の織田信長、足利義昭のもとを訪れ、臣従する。
10/4:足利義昭と織田信長が、松永久秀に大和を安堵し、河内飯森城に三好義継を入れる。
10/5:山科言継が、足利義昭の参内の際の服飾、道具について催促する。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝
」)
10/10:織田家臣村井貞勝が、家来を山科言継の元に派遣する。(「信長の天下所司代~筆頭吏僚 村井貞勝
」)
10/14:織田信長と足利義昭が摂津から京都に帰陣する。
10/18:足利義昭が征夷大将軍に任ぜられる。
10/22:足利義昭が将軍宣下のお礼に参内する。
10/23:将軍足利義昭が細川屋敷に織田信長を招き、能楽を催す。この席で義昭が信長に副将軍か管領への就任を勧めるも、信長はこれを固持する。
10/24:将軍足利義昭が、信長に桐紋と二引両の使用を許可する御内書など、二通を発する。尚、その中で義昭は信長を「御父 織田弾正忠」と冒頭に宛てる。
10/26:織田信長が岐阜に帰国するため、京都を発つ。
11月:
・近衛前久、京都を出奔し、大坂石山本願寺に身を寄せる。
・北條勢が下野唐沢山城を攻撃する。
・下総千葉家臣で、上総大台城の井田氏が、北條氏から武蔵岩付城の在番を命じられる。
11/23:近衛前久、家督を次男の信尹に譲りたい旨を正親町天皇から将軍義昭に取り成すよう依頼する。
11/27:
・足利義昭が、正親町天皇をはじめ、織田信長らが取り成すも、近衛前久の願いを拒否する。
・松永久秀の家臣竹内秀勝、法隆寺に宛てた書中で織田勢の事を「田舎衆」と評する。
12月:下総千葉家臣で、下総金城の高城氏が、北條氏から武蔵河越城大橋宿の在番を命じられる。
12/16:
・近衛前久が罷免され、前関白二条晴良が関白に再任する。
・木下秀吉ら、連署によって松永久秀に対し、信長の今井宗久登用について仲立ちするよう申し入れる。



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