Google

Yahoo!ブックマークに登録

参考文献


« 天文二十二年(1553) | メイン | 天文二十四~弘治元年(1555) »

天文二十三年(1554)

主な出来事
1月:尾張の織田信長が、村木城への出陣に際し、美濃の斉藤道三に援兵を依頼し、道三は家臣の安藤守就を派遣する。(「戦争の日本史13」)
5/11:毛利元就、隆元親子が安芸国人衆に陶氏との断交を表明する。(「戦争の日本史12」)
6/5:宮川口の合戦 ○毛利元就vs宮川房長●
7/12:尾張守護代織田彦五郎と坂井大膳が共謀し、守護の斯波義統を殺害する。難を逃れた子の岩龍丸(義銀)は那古野城の織田信長の元に逃げ込む。(「織田信長文書の研究 上巻」)
8月:大友義鎮が肥前守護職に任じられる。
11/20:菊池義武、豊後国木原にて大友義鎮の命により、自害して果てる。

生誕
北條氏秀(後の上杉景虎)

死没
6/5:宮川房長(?:陶家臣)
6/14:三木直頼(57)
7/12:斯波義統(42)
11/20:菊池義武(50:大友義鑑の弟)



備考、その他
・将軍足利義藤が義輝に改名する。
・山名理興が毛利元就に帰属し、備後国神辺城主に復帰する。(「戦争の日本史12」)
・毛利元就が娘婿宍戸隆家の娘を小早川隆景の養女として村上通康に嫁がせる。
・山城国乙訓郡今里村と上植野村とで用水相論が、摂津芥川山城で三好長慶の裁定により、今里村に裁許状が発行される。(「戦争の日本史11」)
1/21:織田信長が那古屋城を出陣する。(「戦争の日本史13」)
1/24:織田信長が今川方の村木砦を攻略する。
2月:安芸国人平賀広相が陶晴賢から毛利氏との離間を促す密書数通を毛利元就、隆元親子に披露する。
3月:
・安芸国人平賀広相が周防から武略のための廻文を持っていた使僧を捉えて毛利氏の元に連行する。
・石見国人益田氏が吉見氏に味方する下瀬城に開城を促す。
4月:三好長慶方の軍勢が丹波桑田郡に侵攻する。
5月:
・石見国人益田氏が下瀬城内の百姓に寝返りを誘う。
・石見国人益田氏が下瀬城内に毛利元就が熊谷信直の寝返りで敗退し、三吉、小早川氏もこれに同調したとの偽情報を流布させる。
5/12:毛利元就、安芸国西部の陶方勢力を一掃する。
5/15:毛利軍が周防国玖珂郡に兵を進め、陶軍と交戦する。
6月:
・安芸国佐西郡山里にて地下人一揆が蜂起し、毛利氏と交戦する。
・毛利水軍が周防国富田浦を攻撃する。
6/7:陶晴賢、益田藤兼に尼子晴久との盟約の仲介を促す。
7月:
・安芸国吉和にて地下人一揆が蜂起し、毛利氏と交戦する。
・安芸国の毛利氏配下の水軍の内、呉、能美衆が毛利氏に離反する。
8月:
・毛利隆元が安芸国佐西郡山里に出陣する。
・石見国人益田氏が下瀬城内に陶晴賢、吉見正頼、益田藤兼、尼子晴久の和議が成立間近であるとの情報を流す。
・摂津国人有馬氏と連携して、三好長縁(長逸)が播磨に侵攻する。
9月:毛利、小早川水軍が呉、能美浦を攻撃する。
9月以降:島津貴久が大隅国の蒲生範清攻めを開始し、平松岩剣城を攻略する。この時、島津勢が鉄砲を初めて実戦使用する。
10月:
・安芸国佐西郡山里の白砂百姓中が毛利氏に服属する。
・足利晴氏が古河城に立て籠り、北條氏康に反旗を翻す。(「戦争と日本史10」)
・三好長慶が、淡路に渡り三好実休、安宅冬康、十河一存と播磨攻めについて協議する。
10/25:毛利勢が安芸国佐西郡山里の友田高森要害を攻略する。
11月:
・肥後国相良氏の元に匿われていた菊池義武が大友方に引き渡される。
・三好長慶方の軍勢が播磨明石城を攻撃する。



コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コ メントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認される まではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)






まとめ買いで送料がおトク!「楽天24」


加藤珈琲


お米の稲田






iTunes Store(Japan)
ドミノ・ピザ【PC向けサイト】
映画館で並ばずにチケットが買える!








Just MyShop(ジャストシステム)