天文十年(1541)
主な出来事
1/13:毛利元就、陶隆房の連合軍が郡山城下で合戦し、尼子久幸(経久弟)が討死する。尼子勢夜に入って出雲へと退却を開始する。(「戦争の日本史12」)
6/14:武田信虎、今川義元の元を訪ねるため、甲府を出発。晴信、甲斐と駿河の交通を閉じ、その帰国を阻む。
6/16:武田信虎が駿河に去った事が公表される。
6/28:武田晴信、家督相続の儀式を執行する。
10月:木沢長政、細川晴元に反旗を翻して挙兵する。
10/29:木沢長政が、京都に迫り、細川晴元が岩倉に退去する。(「戦争の日本史11」)
11/1:将軍足利義晴が、近江坂本に退去する。
11/13:尼子経久が死去し、孫の晴久が跡を継ぐ。
生誕
波多野秀治(丹波八上城主)
前波吉継(朝倉~織田家臣、桂田長俊)
水野忠重(三河刈谷城主)
死没
1/13:尼子久幸(69:経久弟)
2/12:小山田信有(甲斐国郡内領主)
4月:友田興藤(?:厳島神主)
7/19?:北条氏綱(相模小田原城主)
11/13:尼子経久(84:出雲守護代)
備考、その他
・尼子晴久が美作国に出陣し、高田城の三浦氏を攻撃する。(「戦争の日本史12」)
・上野国赤石城主の那波宗俊が金山城の横瀬泰繁を攻撃する。(「戦争の日本史10」)
・山名祐豊が、因幡に侵攻する。(「人物叢書 山名宗全」)
・三好利長が、範長に改名する。(「戦争の日本史11」)
1月:厳島神主友田興藤が大内氏に反旗を翻す。能島村上氏もこれに呼応する。
1/11:安芸国に在陣中の陶隆房、天神尾に布陣する。
2月:尼子方の安芸国頭崎城が大内方によって攻略される。安芸佐東銀山城主武田信実が出雲国に脱出する。
2/1:武田信虎が、板垣信方を通じ、本願寺への贈り物と書状を届ける。
春:常陸の佐竹義篤が、陸奥南郷に侵攻する。
3/1:冷泉為和民部卿に任じられる。(「武士はなぜ歌を詠むか」)
4月:厳島神主友田興藤、尼子氏に通じた罪によって大内方の攻撃を受け、桜尾城にて自刃する。
5月:安芸佐東銀山城が大内方によって攻略される。
5/25:武田信虎、晴信父子が村上義清、諏訪頼重と共に信濃国小県郡の海野棟綱を攻め、これを追放する。
夏:常陸の佐竹義篤が、陸奥東館城を攻略し、南郷を制圧する。
6/4:武田信虎、晴信父子が帰国。
6/17:武田晴信が躑躅ヶ崎館に入る。
6月末:今川義元、大原雪斎、岡部久綱を甲府に派遣し、信虎隠居の件について、交渉を行う。
7月:
・冷泉為和、能登に下向する。
・関東管領上杉憲政、海野棟綱を信濃に復帰させるため、軍勢を信濃に差し向ける。
・木沢長政が、山城笠置山に築城する。(「戦争の日本史11」)
7/4:諏訪頼重、上杉方と和睦する。
7/17:諏訪頼重、諏訪へ帰国する。
8/4:本願寺証如が、斯波義統から依頼された越前侵攻への協力を謝絶する。(「戦争と日本史14」)
9月:陸奥の岩城重隆が常陸の佐竹義篤と、白川結城直弘との和睦を斡旋し、東館城の破却を条件に佐竹氏の南郷領有を認める条件で和議を成立させる。
9月:塩川国満が摂津一庫城に籠城し、細川晴元に反旗を翻す。伊丹親興、三宅国村、木沢長政がこれに呼応する。
9/23:今川義元、武田信虎の処遇について了承した旨の書を送る。
10月:
・冷泉為和が帰京する。
・尼子詮久が将軍足利義晴から「晴」の文字を拝領し、晴久を名乗る。
10/26:冷泉為和、権大納言に任じられる。
11月:
・関東管領山内上杉憲政と扇谷上杉朝定とが、北條方の武蔵河越城を攻撃するも、攻略はならず。(「戦争と日本史10」)
・細川晴元方が、木沢長政方の笠置山城に放火するも、撃退される。
11/25:冷泉為和、禁裏月次歌会に参加する。程なく甲府に下向する。
12月:細川晴元が、摂津に入る。
12/22:将軍足利義晴が本願寺に対し、河内門徒が木沢長政に味方しないように命じ、本願寺証如がこれを受諾する。






