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参考文献


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天文七年(1538)

主な出来事
3月:筑前国秋月にて周防大内、豊後大友両氏の重臣が会合し和睦が締結される。これに伴い大内方は筑前国内の旧大友領を返還する。(「戦争の日本史12」)
10/7:第一次国府台合戦 ○足利晴氏、北條氏綱、氏康vs足利義明、里見義堯●(「戦争と日本史10」)

生誕
新発田長敦(上杉家臣)
武田義信(晴信嫡子)

死没
10/7:足利義明(?:小弓公方)、義純(?:義明の子)、基頼(?:義明の弟)



備考、その他
2月:北條氏綱が下総葛西城を攻略し、更に武蔵岩付城を攻撃する。(「戦争と日本史10」)
2/8:本願寺証如が加賀河北郡中からの使者に対し、四郡中結束して鈴見長門を成敗するように命じるも、四郡中の結束は望めないので、河北郡中にのみ討伐を命じるように要請され、これを受け入れる。(「戦争と日本史14」)
2/28:冷泉為和が武田信虎に招かれ、躑躅ヶ崎館にて遊行上人真寂とともに和歌を詠む。
3月:常陸国口尾瀬にて、佐竹義篤と佐竹義元、小場義実らが交戦する。
3/5:細川晴元が、山城国山崎に築城する。(「戦争の日本史11」)
5月:加賀石川郡中で洲崎兵庫の従者が処刑される。
6月:小弓公方足利義明が下総国府台城に入る。
6/3:本願寺証如が、木沢長政に加賀門徒の洲崎、及び河合が詫び言の口利きを依頼してきても、これに同意しないように要請する。
6/8:本願寺証如が、細川晴元の被官、高畠与十郎、甚九郎に加賀門徒の洲崎、及び河合が詫び言の口利きを依頼してきても、これに同意しないように要請する。
6/28:本願寺が前年来の加賀能美郡中の問題について、清水八郎右衛門、和気六郎右衛門以外を赦免する事とする。
7月:
・京都で播磨国守護赤松政村が没落し、尼子詮久が上洛するとの噂が流れる。(「戦争の日本史12」)
・将軍足利義晴が、尼子経久、晴久親子に対し、因幡国岩井荘について、因幡守護に意見を加えるように要請する。(「人物叢書 山名宗全」)
7月:河内の遊佐長教が、畠山政国を擁立し、高屋城に入る。(「戦争の日本史11」)
8/9:本願寺証如が、幕府に加賀門徒の洲崎、及び河合が詫び言の口利きを依頼してきても、これに同意しないように要請する。
8/11:二条家が加賀門徒の洲崎、及び河合の赦免を本願寺に取り次ぐ。
8/12:山門西塔院が加賀門徒の洲崎、及び河合の赦免を本願寺に取り次ぐ。
8/15:本願寺が加賀門徒の洲崎、及び河合の赦免を謝絶し、近江坂本にいるという両人の追放を要請する。
9月下:尼子詮久が播磨国に侵攻し、守護赤松政村は淡路に逃走する。
9/24:織田信秀が那古野天王坊に相伝の坊跡と田畑を安堵する。(尾張・織田一族)
9/29:若狭武田氏が越前からの侵攻に対応して加賀門徒を越前に侵攻させるように本願寺に依頼する。
10月:
・第一次国府台合戦後、千葉昌胤、原胤清らが、小弓公方の下総小弓城を奪取する。
・細川高国の遺臣が京都近郊宇治に挙兵し、丹波守護代内藤国貞が、これに呼応する。
10/2:北條氏綱、氏康親子が足利義明討伐のために小田原を出陣する。
10/5:本願寺証如が、9/29の若狭武田氏からの門徒動員の依頼を謝絶する。
10/6:北條氏綱、氏康親子が江戸城を発ち、下総に向かう。
10/12:北条方の須走、垪和勢が甲斐国上吉田に侵入し、住民を多数殺害する。
10/22:山門衆徒が衆議して加賀門徒の洲崎氏、及び河合氏の赦免を本願寺に取り次ぐも、本願寺はこれを謝絶する。
11月:
・尼子勢が播磨三木城を包囲するも、攻略はならず。
・下総の千葉昌胤が千葉妙見社の神官左衛門太夫に禰宜職を安堵する。
11/13:本願寺から坊官の平井七郎左衛門を山門西塔院執行代に派遣し、加賀門徒の洲崎氏、及び河合氏の扱いについて、事情を説明する。



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