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参考文献


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天文六年(1537)

主な出来事
2/10:武田信虎の息女が今川義元に嫁ぎ、武田、今川の同盟が結ばれる。
2/23:武田、今川の同盟に反発した北條氏綱が駿河に侵攻する。

生誕
11/6:足利義昭(室町幕府十五代将軍)

死没
原胤隆(?:下総千葉家臣)
4/27:上杉朝興(50:扇谷上杉氏)

備考、その他
・島津勝久が忠良、貴久親子と提携し、実久に対抗する事とする。(「戦争の日本史12」)
・下総千葉家臣原胤隆が死去し、弟胤清が跡を継ぐ。(「戦争と日本史10」)
1月:常陸下妻城主の多賀谷光経が、小田政治と共に結城領に侵攻する。
3/4:駿河国吉原に布陣した北條氏綱勢が今川軍と合戦に及ぶ。甲斐の武田信虎が今川義元支援のため、須走口に侵攻する。北條方は駿河の富士川以東を占拠する。
5月:上総にて、武田信隆派が天神台城に立て籠もって挙兵し、小弓公方に武田信応の排斥を求める。
6月:小弓公方足利義明が安房の里見義堯に対し、古河、関宿城攻撃に対する協力を求める。
7月:北條氏綱が武蔵に侵攻し、川越城から扇谷上杉朝定を退去させ、松山城まで追撃する。
7/9:加賀能美郡の山上組が郡中の寄り合いへの参加を拒否した問題に対して、本願寺が山上組の警固番衆の役を解任し、波紋を宣告する。(「戦争と日本史14」)
8月:加賀若松本泉寺に味方する門徒が蜂起するも、程なく鎮圧される。
8/26:
・本願寺が加賀に使者を派遣し、一揆や私闘を禁じ、郡中や組の寄り合いへの参加するように命じる。
・加賀石川郡中で、六ヶ組の高橋新左衛門が別心を構えた証拠を得たために処刑する。
10/1:冷泉為和、甲府に下向する。(「武士はなぜ歌を詠むか」)
10/4:加賀に所領を持つ幕府奉公衆押野下総入道と与二兄弟の所領相論に関する裁定を本願寺に伝え、現地での執行を指示する。
10/21:冷泉為和が武田信虎に招かれ、躑躅ヶ崎館で和歌を詠む。
11月:尼子詮久が播磨国に侵攻する。本願寺光教が詮久に出馬を祝す書を発する。
11/15:本願寺が加賀能美郡中に対し、山上組の状況を報告する事と、郡中内での処断を禁じる旨を伝える。
12月:加賀河北郡中より、鈴見長門の別心が明らかになるも、石川郡の洲崎兵庫がこれを匿っているとの報告が本願寺にもたらされる。
12/25:幕府奉行人飯尾盛就が、将軍足利義晴より通達があるので使者を上洛するように本願寺に指示する。



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