天文四年(1535)
主な出来事
3月:将軍足利義晴からの使者が豊後国に入り、豊後大友氏と周防大内氏の和議交渉を促す。(「戦争の日本史12」)
4/20:筑前国で豊後国の大友氏と肥後国菊池氏の和議が結ばれ、菊池義宗(大友義鑑の弟)は肥後を追われて肥前国有馬氏の元に逃れる。
8/22:郡内合戦 ○北條氏綱vs小山田信有、勝沼信友●
11月:青蓮院尊鎮法親王の仲介で本願寺と細川晴元が和議を締結する。(「戦争と日本史14」)
12/5:三河の松平清康、家臣の阿部弥七郎に斬殺される。弥七郎は居合わせた植村氏明が討ち取る。
死没
8/22:勝沼信友(武田信虎の弟)
12/5:松平清康(25)
備考、その他
・織田信秀、尾張古渡に築城する。
・島津勝久が重臣川上昌久を大興寺で自害させる。島津実久、川上昌久に同調していた国人衆を味方にして勝久を鹿児島から大隅国帖佐へ追い、実権を奪う。(「戦争の日本史12」)
・陸奥の蘆名盛舜が、本庄房長らの要請に応じて越後に出陣し、守護代長尾為景らと交戦する。(「戦争と日本史10」)
・上野の横瀬泰繁が、幕府に対して岩松氏純の官途申請を行う。
2月:伊予国の河野氏が国分寺、仙遊寺などに湯築城の堀普請の人足の派遣を求める。
3月:下間頼盛が本願寺から暇乞いするという噂が流れる。(「戦争と日本史14」)
6/12:細川晴元勢が、摂津にて一向一揆勢を撃破する。(「戦争の日本史11」)
7/5:武田信虎、駿河に侵攻する。
8/16:北条氏綱、甲斐に向けて出陣する。
8/19:甲斐駿河の国境、万沢口にて武田、今川両軍が合戦に及ぶ。
8/24:北条氏綱、甲斐国郡内から撤退する。
9月:扇谷上杉朝興が相模に侵攻し、各地を放火する。(「戦争と日本史10」)
9/15:下間頼秀、頼盛兄弟とその一党が石山本願寺を退出する。
9/17:武田信虎、諏訪頼満と境川で講和を締結する。
10月:
・北條氏綱が武蔵川越城を攻撃する。
・北條氏が鶴岡八幡宮に逃げ込んだ領民の俵物に課税する旨を通告するも、八幡宮側がこれを拒否する。(「雑兵たちの戦場」)
12月:
・常陸の佐竹義篤が、高久城を攻略し、高久義貞を屈服させる。
・下野の小山高朝が、伊勢の御師佐八美濃守に伊勢役、初穂料を進納する。
12/1:本願寺から和睦の使者として、下間頼慶が細川晴元の元に、青蓮院へ下間頼次が仲介の御礼の為に派遣される。
12/23:本願寺から木沢長政へ和平の御礼の使者が派遣される。






