天文三年(1534)
主な出来事
5月:尾張那古屋城にて織田信秀の嫡子、吉法師(信長)が生まれる。
5/29:本願寺が細川晴元との和議を破棄し、細川晴国と結んで挙兵する。(「戦争と日本史14」)
8月:細川晴元が上洛する。(「戦争の日本史11」)
9月:将軍足利義晴が、六角氏の支援を受けて上洛する。
生誕
畠山昭高
5月:織田信長
死没
塩冶興久(38:尼子経久三男)
4/6:寒田親将(?:大友家臣)、吉弘氏直(?:大友家臣)、里見義豊(?:安房里見一族)
7月:西牟田親氏(?:筑後国人)
7/1:武田恕鑑(50:上総国真里谷武田氏)
備考、その他
・信濃国守護小笠原長棟、嘉吉年間以来の一族の争いを終結させる。(「戦争の日本史9」)
・塩冶興久が切腹し、出雲尼子氏の内乱が終息する。(「戦争の日本史12」)
・陸奥の岩城重隆の娘と伊達晴宗の婚約が成立するも、重隆がこれを違えて白川結城氏との婚姻を進めたため、伊達氏と岩城氏が対立、交戦する。(「戦争の日本史10」)
・下野宇都宮家臣、芳賀高経らが宇都宮興綱の子、俊綱を当主に擁立する。
正月:肥後国の相良長毎と名和武顕が菊池義宗に加勢する旨を表明し、相良氏は隈本城に兵を出す。(「戦争の日本史12」)
1/23:筑後南部の国人衆が菊池義宗の老臣、鹿子木親員に味方し、陶道麒の指示に従う旨を表明する。
2月初:豊後国山香口に大内勢が侵攻し、大友勢と交戦する。
2/11:摂津国人三宅国村が本願寺門徒となる。
2月下:豊後大友勢が豊前国宇佐郡に侵攻するも、14人を討たれて撤退する。
春:大内軍の豊後侵攻の情報が大友義鑑にもたらされ、国東郡内の諸氏らへ豊前国への出陣準備を命じる。
3/12:本願寺坊官下間頼盛が法主証如を人質として河内国榎並に退去する。(「戦争と日本史14」)
3/17:周防国の大内義隆が肥後国の菊池義宗に書を送り、筑後国での戦況が優位である事を祝する。
3/18:本願寺証如が石山本願寺に復帰する。
4/6:
・大内勢が豊後国に侵攻し、大友勢と大村山、勢場ヶ原において大規模な合戦が行われ、痛み分けに終わる。
・里見義豊と義堯が安房犬掛で交戦して、義豊が敗死する。(「戦争と日本史10」)
4/28:豊後国大友勢が肥後国木山城を攻略する。
5月:
・小弓公方足利義明が真里谷武田信応に支援の意向を示して出陣する。
6/5:三好伊賀守、久助が本願寺に呼応して挙兵する。
6/26:本願寺勢が摂津国椋橋城を攻略する。
7/20:大内勢が豊後国玖珠郡に侵入するも、大友勢に撃退される。
7月末:筑後国人、西牟田親氏が大友勢に討たれる。
8月:細川晴元方が摂津椋橋城の奪回のために伊丹から兵を出すも、退けられる。
8/3:細川晴元勢が、山城谷ノ城を攻略する。(「戦争の日本史11」)
9/21:菊池義宗が肥後国吉松に出陣する。
10月:下総の千葉昌胤が北條氏綱の相模鶴岡八幡宮の再興に協力する。
10/17:菊池義宗、筑後国に出陣する。
11月:
・小弓公方足利義明と真里谷武田信応の連合軍が武田信隆方の上総椎津城を攻撃する。
・武田太郎(晴信)の正室上杉氏が懐胎したまま死去する。






