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参考文献


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永正八年(1511)

主な出来事
・肥後国守護菊池武経が守護の座を降り、実家の阿蘇に帰る。後継者には菊池氏庶流の武包が就く。(「戦争の日本史12」)
8/14:足利義澄が近江岡山で死去する。(「戦争の日本史11」)
8/16:足利義尹、細川高国、大内義興らが、京都を退去し、丹波に入る。替わって澄元方の細川政賢らの軍勢が入京する。
8/24:船岡山の合戦 ○大内義興、細川高国vs細川澄元、三好之長● ~細川政賢は討ち死にする。
9/1:足利義尹が入京する。

生誕
9/7:松平清康(徳川家康の祖父)

死没
8/14:足利義澄(31:室町幕府第十一代将軍)
8/24:細川政賢(?:細川澄元家臣)



備考、その他
・大内義興に従っていた安芸、石見国の国人衆が義興に無断で帰国する。(「戦争の日本史12」)
秋:伊勢宗瑞と扇谷上杉朝良が和睦する。(「戦争と日本史10」)
2月:細川氏奉行人飯尾元運が、山城国西岡寺戸の土豪竹田又六に対し、大山崎から京都までの塩合物輸送と山崎口、竹田口、木幡口、大江山口の関所管理を任せ、さらなる忠節を求める。(「戦争の日本史11」)
6月:細川澄元が、山城国大山崎に対し、6月16日に渡海する旨を報じ、支援を要請する。(「戦争の日本史11」)
7月:
・細川澄元が阿波で挙兵する。
・細川高国が、大山崎に書を発し、澄元勢に対する防備を厳重にするように命じる。
7/15:細川高国が、奉行人飯尾秀兼を山城国大山崎に派遣し、自ら出陣して細川澄元勢を迎撃する旨を報じ、協力を依頼するも、その日の内に出陣を延期する意志を示す。
8月:細川高国が、大山崎に書を発し、澄元勢に対する防備を厳重にするように命じる。
8/14:足利義澄が近江岡山で死去する。
8/16:足利義尹、細川高国、大内義興らが、京都を退去し、丹波に入る。替わって澄元方の細川政賢らの軍勢が入京する。
8/23:細川高国、大内義興らが山城国北山に布陣、澄元方は船岡山に布陣して迎撃に備える。
8/24:船岡山の合戦 ○大内義興、細川高国vs細川澄元、三好之長● ~細川政賢は討ち死にする。
9/1:足利義尹が入京する。
12/29:将軍足利義稙が、尾張国内の妙興寺領を安堵する御教書を発する。(尾張・織田一族)



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