永正五年(1508)
主な出来事
2/15:薩摩、大隅、日向国守護島津忠昌が自害して果てる。家督は子の忠治が継承する。(「戦争の日本史12」)
4/9:細川高国が挙兵して、澄元一派を追い払って上洛する。(「戦争の日本史11」)
4/27:前将軍足利義尹(義材)、大内義興に擁されて上洛を果たす。将軍足利義澄、管領細川澄元ら、京都を出奔する。(「武士はなぜ歌を詠むか」)
6/8:大内義興が上洛する。
7/1:足利義尹が、征夷大将軍に再任される。
10/4:勝山合戦 ○武田信虎vs武田(油川)信恵●
12/5:郡内近郊の合戦 ○武田信虎vs小山田弥太郎●
死没
・京極政経(?:出雲、飛騨、北近江国守護)
2/15:島津忠昌(46:薩摩、大隅、日向国守護)
7/26:古市澄胤(57:興福寺の衆徒)
8/2:赤沢長経(?:細川澄元家臣)
10/4:油川信恵(武田信昌の次男)、岩手縄美(武田信昌の四男)、栗原昌種(甲斐国の国人)
11/16:斯波義敏(74:前越前、尾張遠江国守護)
12月:藤原興親(?:安芸国厳島神主)
12/5:小山田弥太郎(甲斐国郡内領主)
備考、その他
・肥後国石貫に立て籠もっていた菊池政隆が肥前国島原に退去する。(「戦争の日本史12」)
・山城国山崎天王山の天神八王子社の祭礼が、戦乱で中止となる。(「戦争の日本史11」)
2月:正親町三条実望が駿河の今川氏親の元に下向する。(「武士はなぜ歌を詠むか」)
2/15:薩摩、大隅、日向国守護島津忠昌が自害して果てる。家督は子の忠治が継承する。
2/29:細川澄元が、将軍足利義澄に拝謁する。
春:足利義澄、冷泉為広に今川氏親への助力の依頼を伝達するよう命じる。
3月:将軍足利義澄が越前朝倉氏に支援を要請するも、朝倉氏は加賀国の一揆との対立を理由に、これを謝絶する。(「戦争と日本史14」)
3/17:細川高国が、澄元と対立し、伊賀に退去する。
4月:冷泉為広が出家する。
4/30:周防の大内義興が、前将軍足利義尹を奉じて堺に上陸する。
7月:古市澄胤、細川元常、赤沢長経らが木津に着陣し、奈良を攻撃する。(「戦争の日本史11」)
7/26:古市澄胤、細川元常、赤沢長経らが河内高屋城を攻めるも退けられ、敗走の途中、古市澄胤が討死する。
7/28:奈良で赤沢長経が、細川高国方に捕縛される。
8月:
・加賀国からの船が強風で越前に漂着し、乗組員は越前勢に殺害される。
・丹波の土豪久下政光が、将軍足利義尹に所領の回復を嘆願する。
8/2:細川高国方に捕らえられた赤沢長経が、斬首される。
9月:
・出雲守護代尼子経久が、杵築大社の造営を杵築大社国造千家に申し出る。
・安房里見義通が鶴谷八幡宮の修造を行う。(「戦争と日本史10」)
12月:安芸国厳島神主藤原興親が京都で死去し、その後継の座を巡って一族の小方氏と友田氏が争う。






