永正四年(1507)
主な出来事
6/23:管領細川政元が、養子澄之一派の香西元長、薬師寺長忠らに暗殺される。
6/24:細川澄之方の襲撃を受け、澄元、三好之長らが京都から近江に脱出する。
7/8:細川澄之が、家督を相続する。(「戦争の日本史11」)
8/1:細川高国が、京都の澄之の邸を襲撃し、澄之をはじめ、香西元長、薬師寺長忠らを討ち取る。
8/2:細川澄元が、上洛して家督を相続する。
8/7:越後守護上杉房能が、上杉定実を擁する守護代長尾為景に襲われ、天水越にて自害する。
死没
2/14:武田信縄(37?:甲斐武田家第十七代当主)
6/23:細川政元(42:管領)
6/26:赤沢宗益(?:細川家臣)
8/1:細川澄之(19:九条政基の子、細川政元の養子)、香西元長(?:細川家臣)、薬師寺長忠(?:細川家臣)
8/7:上杉房能(50?:越後守護)
備考、その他
・肥後国の阿蘇惟長が阿蘇大宮司職を弟惟豊に譲り、自らは菊池武経を名乗って守護となる。菊池政隆は石貫に立て籠もる。(「戦争の日本史12」)
・足利高基が父政氏と和解し、古河に帰還するが程なく対立、抗争が再開する。(「戦争と日本史10」)
3/3:内裏で闘鶏が催される。
4月:
・細川政元が澄之、澄元、三好之長、赤沢宗益らを率いて丹後に侵攻する。(「戦争の日本史11」)
・細川政元の丹後侵攻に際し、山城国守護代香西元長が、上賀茂社に人夫の徴発を依頼するも、守護不入をもって拒否されたため、社家の屋敷地を放火する。
4/25:細川政元、澄元、三好之長らが帰京する。
6/23:管領細川政元が、養子澄之一派の香西元長、薬師寺長忠らに暗殺される。
6/24:細川澄之方の襲撃を受け、澄元、三好之長らが京都から近江に脱出する。
6/26:細川政元家臣赤沢宗益が、丹後から撤退する途次、一色方の追撃を受け、自害して果てる。
7/8:細川澄之が、家督を相続する。(「戦争の日本史11」)
8/1:細川高国が、京都の澄之の邸を襲撃し、澄之をはじめ、香西元長、薬師寺長忠らを討ち取る。
8/2:細川澄元が、上洛して家督を相続する。
8/7:越後守護上杉房能が、上杉定実を擁する守護代長尾為景に襲われ、天水越にて自害する。
10/4:細川一門が、政元の追善和歌会を催す。(「武士はなぜ歌を詠むか」)
12月:河内の畠山尚順と義英の対立が再燃する。






