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参考文献


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永正二年(1505)

主な出来事
・関東管領山内上杉顕定が古河公方足利政氏の次男顕実を養子とする。(「戦争と日本史10」)
3月:川越城に立て籠もる扇谷上杉朝良が、自身の隠居と、甥朝興への家督譲渡を条件に山内上杉顕定に降伏する。
12月:足利義尹が畠山義英に対し、翌年二月に京都に向けて出馬する意向を大内義興の添え状と共に御内書で示す。(「戦争と日本史14」)

死没
9月16日:武田信昌(59:甲斐武田家第十六代当主)



備考、その他
・豊前国宇佐郡の国人佐田泰景が大内氏に軍忠状を提出する。(「戦争の日本史12」)
・肥後国で菊池政隆に反発する国人衆が阿蘇惟長に連署起請文を送り、支援を要請する。
2/22:内裏にて水無瀬神宮法楽続百首を催す。冷泉為和、初めて歌会に参加する。(「武士はなぜ歌を詠むか」)
4/23:幕府が勧修寺領加賀国郡家庄に対する安富盛憲の押領を退け、勧修寺の支配を安堵するように守護富樫稙泰に命じる。(「戦争と日本史14」)
6/2:将軍足利義澄が、但馬の山名致豊と垣屋続成に和睦を勧める後内書を送る。(「人物叢書 山名宗全」)
8月:畠山義英が足利義稙に書を発し、畠山尚順と共に忠義を尽くす意向を示す。
9月:細川政元家臣香西元長が京都周辺の農村に半済を課し、反発した郷村を焼き払う。山科では合戦にまで発展するも、山科本願寺に入った政元の命により、兵を退く。(「戦争の日本史11」)
10月:陸奥会津耶麻郡塩川にて芦名盛高、盛滋父子が合戦し、敗れた盛滋は伊達氏を頼って落ち延びる。(「戦争と日本史10」)
11/27:細川政元が家臣の赤沢朝経を河内に派遣し、誉田城の畠山義英を攻撃する。



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