文明十一年(1479)
主な出来事
4/26:内裏の修理が始まる。(「戦争の日本史9」)
11/22:将軍足利義尚、判始、評定始を行い、石清水八幡宮に寄進状を発給するも、父義政の判を使用する。
備考、その他
・太田道潅が下総、上総各地を転戦し、これらを平定する。
・山名政豊が但馬に下向する。(「人物叢書 山名宗全」)
1/19:美濃守護代斎藤妙椿、幕府の調停で織田敏定に尾張国内二郡を譲渡する条件で和睦して帰国する。(尾張・織田一族)
3月:内裏の修理に関して、洛中に棟別銭が賦課される。この時、洛中洛外の境目の設定について議論となる。(「戦争の日本史11」)
4月:大山崎八幡宮の神事、日使頭祭が応仁の乱以来の再興を果たす。(「戦争の日本史11」)
4/26:内裏の修理が始まる。(「戦争の日本史9」)
7月:北近江上坂村と三田村とで水論が起こり、ついに合戦となった末に600人余が討ち死にする。
閏9/1:斯波義良、甲斐八郎と共に兵を率いて越前に下向する。(「戦争の日本史9」)
11/1:斯波義良、甲斐敏光らが越前に侵攻し、朝倉勢と交戦する。
11/22:将軍足利義尚、判始、評定始を行い、石清水八幡宮に寄進状を発給するも、父義政の判を使用する。
12/7:興福寺別当の尋尊が、越前、美濃、加賀三ヶ国が盟約して足利義視を将軍に擁立し、その子義稙に越前守護斯波氏を相続させることを河内の畠山義就、伊勢の一色義春、周防の大内政弘と申し合わせているとの情報を入手する。(「戦争と日本史14」)






