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参考文献


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応仁二年(1468)

主な出来事
3/15:東軍の骨皮道賢が西軍の食糧補給路を断つ。(「戦争の日本史9」)
7/10:斯波義廉、管領を罷免され、細川勝元が就任する。
9/20:足利義政、朝倉孝景に東軍誘引の御内書を送る。 
9/22:足利義視が上洛し、東軍の陣中に入る。義視、将軍義政に諌書を送り、義政の許にいる「邪徒」三人を退けるように求める。これに義政、機嫌を損ねる。
閏10/16:将軍足利義政、伊勢貞親の復帰を命じる。
閏10/25:西軍の朝倉孝景、子の氏景を京都に残し、越前に下向する。
11/13:足利義視、比叡山に脱出する。
11/23:足利義視、西軍の斯波義廉の邸に入る。
12/5:朝廷、足利義視以下、西軍に投じた公家十人の官位を剥奪し、治罰の院宣を下す。

死没
・少弐教頼(?:少弐氏当主)
3/21:骨皮道賢(?:細川勝元配下の足軽大将)
11/11:有馬元家(60:赤松氏庶流)



備考、その他
・少弐教頼、北九州で挙兵するも、大内、大友氏連合軍に敗れ、筑前国高祖城で自害する。
・本願寺蓮如が嫡子順如がその地位を放棄したとして、実如を嫡子とする譲り状を認める。また、近江堅田に安置していた開山御影(親鸞像)を大津の三井寺近松別所に建立した坊に安置する。(「戦争と日本史14」)
1/1:細川勝元の軍勢が西軍陣所に矢や石を打ち込むも、本格的な戦闘には至らず。山名家臣垣屋氏の邸が焼き払われる。(「戦争の日本史9」)
1/11:西軍の備後衆約六十人が東軍山名是豊に降参する。(「人物叢書 山名宗全」)
3/17:北小路烏丸で大内政弘勢と小早川熙平、毛利豊元の軍勢が合戦に及び、三百余が死傷する。
3/18:
・東軍の骨皮道賢が七条の民家に火を放ち、西軍を牽制する。
・山名宗全が、但馬円通寺の寺領を安堵する。(「人物叢書 山名宗全」)
3/20:
・山名宗全が与布土氏に戦功として恩賞地を宛がう。(「人物叢書 山名宗全」)
・丹波夜久野合戦で細川方内藤勢が山名方太田垣勢に敗れる。
3/21:西軍の猛攻を受け、骨皮道賢が討たれ、布陣していた稲荷社も焼亡する。
4月:京都で足利義視が上洛するとの噂が流れる。
4/1:西陣の山名の城に矢倉が建てられる。(「人物叢書 山名宗全」)
4/3:山名宗全が丹波夜久野合戦における牧田氏の戦功を賞する。(「人物叢書 山名宗全」)
4/11:古河公方足利成氏、岩松左京亮に斯波義廉、畠山、山名氏から「都鄙和睦の儀」を進めたいとの書状が到来したと伝える。
4/14:山名宗全邸に高さ七丈(約21m)の物見櫓が建てられる。
5月:越前に侵入した東軍方斯波義敏勢が朝倉孝景方に敗れて国外に追われる。
5/2:細川成之の軍勢が斯波義廉の邸を攻撃する。
5/6:加賀で赤松方小寺氏の軍勢と富樫方額氏の軍勢が交戦し、赤松方が勝利をおさめる。(「戦争と日本史14」)
5/8:細川勝元の兵が山名宗全の邸を攻撃、赤松政則と大内政弘の軍勢が合戦に及ぶ。
6/8:山名宗全邸の物見櫓が焼け落ちる。
6/21:西軍が東軍の陣所を攻撃する。
6/29:京都で足利義視が上洛するとの噂が流れる。
7月:山名宗全が、栂尾高山寺に制令を与える。(「人物叢書 山名宗全」)
7/7:熊野から聖護院道興が将軍義政の許に参上する。
7/8:西陣の山名の城に堀の工事が行われるのを見た東軍薬師寺勢がこれを攻撃する。(「人物叢書 山名宗全」)
8月:備後小世良で山名宗全方と是豊方が交戦する。
8/1:
・細川勝元勢が相国寺の畠山義就の陣所を攻撃する。
・聖護院道興、近衛政家に対し、将軍の使いとして伊勢に足利義視を迎えに行くと告げる。
8/2:西軍の足軽が汁谷の民家を焼く。
8/3:幕府、近衛家領の近江国信楽郷の兵士に聖護院道興の警固を命じる奉書を下す。
8/4:青蓮院をはじめ、東山にある諸門跡が悉く焼き討ちされる。
8/7:西軍、清閑寺を破却し、清水寺に陣取り、山科に兵を出す。
8/8:聖護院道興、京都を発ち、伊勢に向かう。
8/13:東軍方の武田、赤松勢が山科に陣取り、深草、竹田を攻める。
8/19:関白一条兼良、孫の政房と共に奈良に下向する。(「戦争の日本史9」)
8/25:東軍の細川勢が丹波から嵯峨に侵攻して西軍と合戦に及び、六、七十人ほどが戦死する。
8/26:法性寺に陣取る西軍を東軍が攻め、泉涌寺、妙法院を焼く。
8/27:西軍が西岡を攻める。
9月:
・幕府、尾張の国人飯尾弥三郎に斯波松王丸に協力し、国内の西軍勢力を討つように命じる。
・前関白一条教房が土佐に下向する。(「戦争の日本史12」)
9/3:
・近江国信楽郷の聖護院宿坊にて近衛政家が足利義視と対面する。
・伊勢貞親、朝倉孝景に東軍への内通を促す。
9/4:西軍、仁和寺を焼く。
9/7:
・西軍の船岡山の陣を東軍が攻撃する。
・西軍、嵯峨に布陣した内藤貞正を攻め、天龍寺、臨川寺を焼く。
・足利義視、二千余の兵を率いて甲賀郡信楽を発ち、野尻に逗留する。
9/10:山名宗全が備後小世良合戦での山内氏の戦功を賞す。10月:富樫政親の被官額丹後守が加賀国の祇陀寺領中村庄内の田地を横領したと訴えられる。(「戦争と日本史14」)
10月:西軍山名勢が播磨に侵攻するも、赤松勢に退けられる。(「人物叢書 山名宗全」)
10/8:西軍が鳥羽を攻める。
10/10:西軍が鳥羽、西岡、下桂を攻める。
10/19:東軍が、東寺が西軍に味方したため、寺領の備中国新見庄を没収して御料所とし、代官に細川勝元被官寺町又三郎を任じる。
閏10月:山城国の国人が「十六人衆」を名乗り、同国の興福寺領狛野荘の年貢を奪う。(「戦争の日本史11
閏10/1:古河公方足利成氏、「都鄙御合体」の儀について京都より御教書が届いたと那須資持に伝える。
閏10/7:日野勝光の申沙汰により、東大寺別当職に東南院覚尋が任じられる。
閏10/14:越前を東軍方斯波義敏が大略平定する。
閏10/17:足利義視が自害したとの噂が流れる。
閏10/28:西軍の土岐成頼、一色義直、畠山義就、山名宗全、斯波義廉、興福寺、大乗院、一乗院に書を送り、細川勝元の要請に従うなら禍を招き、西軍に敵対した場合、寺社領を奪うと脅す。
11月:東軍方の山名是豊が備後に下向する。(「人物叢書 山名宗全」)
11/3:東軍の疾足(足軽)三百余が宇治社に詣でる。身軽な物を身につけ、長矛と強弓を持っていたという。
11/4:東軍の疾足(足軽)三百余が宇治から東崗に帰ったところを西軍が襲撃、二十余人が討たれる。
11/11:有馬元家が将軍義政の命で誅殺される。
11/13:烏丸益光、東軍の陣から追放されるも、細川勝元に迎えられ、勝元の邸に入る。
11/24:大内政弘、足利義視の許に参賀に訪れる。
12/2:東軍の疾足(足軽)が洛中の西邑を焼く。
12/10:朝倉孝景が越前に斯波義敏に降伏したとの情報が京都で流れる。
12/19:幕府、足利義視の近江国の所領を没収し、青蓮院門跡に還付する。
12/30:山名宗全が、等持院領備後信敷東分半分を給分として山内氏に与える。(「人物叢書 山名宗全」)








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