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参考文献


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寛正七~文正元年(1466)

主な出来事
2/12:関東管領上杉房顕が死去し、後継者に越後守護上杉房定の子、顕定が定められる。(「戦争の日本史9」)
2/28:文正に改元する。
8/25:斯波義敏が越前、尾張、遠江国の守護職に任じられ、義敏、持種、竹王丸が幕府に出仕する。
9/6:細川勝元、将軍足利義政に義視について申し開きをする。これにより義視を讒言した事が発覚し、伊勢貞親親子、季瓊真蘂、赤松政則、斯波義敏父子、上池法印が京都から逃走する。
12/20:細川勝元に実子聡明九郎(後の政元)が生まれる。このため勝元、養子としていた山名宗全の子、豊久を仏門に入れる。山名宗全、豊久を還俗させて実家に引き取る。

生誕
7/30:足利義稙(義視の子、室町幕府十代将軍)
12/20:細川政元(勝元の子)

死没
2/12:上杉房顕(32:関東管領、憲実の二男)
閏2/6:上杉憲実(57:前関東管領)



備考、その他
3/29:斯波義廉、朝倉孝景の仲介で古市胤栄と対面する。(「戦争の日本史9」)
5/29:斯波義廉、古市胤栄に越前国内に所領を与える。
6月:連歌師宗祇、東国に下向する。(「武士はなぜ歌を詠むか」)
6/25:伊勢貞親と季瓊真蘂が、斯波持種の移居について相談する。
6/29:伊勢貞親と季瓊真蘂が、斯波義廉の成敗について相談する。
7/23:幕府、斯波義廉の出仕を停止し、下屋敷を斯波持種に明け渡すように命じる。
7/25:山名宗全、一色義直、土岐成頼らが将軍義政上意に背き、義廉支持を申し合わせる。(「人物叢書 山名宗全」)
7/30:幕府、大内政弘を赦免する。面目を失った管領細川勝元は一旦、隠居しようとする。
7/末:斯波義廉の母、家中の結束を促す。
8月:
・山名宗全の娘と斯波義廉の婚姻の儀が進められる。
・尾張守護代織田敏広、京都の守護義廉から出陣の命を受けるも、遠江での戦乱のため、自身の出陣を見合わせ、一族の広成らを京都へ出兵させる。
・山名宗全の被官十三名が、主君を諫めて将軍義政との合戦について、翻意を促す。(「人物叢書 山名宗全」)
8/3:季瓊真蘂、将軍義政の命であると山名宗全の姉妹安清院を呼び、山名宗全の女と斯波義廉の婚儀を破棄するように命じる。宗全はこれを拒否する。
8/4:
・畠山、細川、山名氏をはじめ、諸大名が分国の軍勢を召し上げる。
・尾張守護代織田一族の広成が斯波義廉支援のために京都に出陣する。(尾張・織田一族)
8/19:古市胤栄が畠山義就復帰のために経略を巡らしていると、興福寺の尋尊に古市胤栄の代官古市家則が報告する。
8/25:畠山義就が吉野から壺阪寺に兵を出す。
9/2:畠山義就、河内国升形城を攻略する。
9/5:
・足利義視、伊勢貞親の讒言によって自身に危険が迫っている事を知り、細川勝元邸に逃げ込み、無実を訴える。
・幕府が九条家領の諸役免除、守護使入部停止を宗全に命じる。(「人物叢書 山名宗全」)
9/6:足利義視、山名宗全邸を訪ね、程なく細川勝元邸に戻る。
9/13:細川勝元邸にいる足利義視の許に奉行衆が参申する。
9/14:斯波義廉が斯波氏家督と越前、尾張、遠江守護職に復帰する。(尾張・織田一族)
9/27:成身院光宣が上洛し、細川勝元、畠山政長と大和国の情勢について相談する。
10月:連歌師宗祇、長尾孫六(忠景)に連歌論書長六文を書き与える。
10/2:後土御門天皇、御禊行幸の随身の御馬を斯波義廉ら七人に催促する。
10/5:管領細川勝元、畠山義就の挙兵を受けて、将軍義政の意向を伺い、その征伐を決め、諸大名に近日中の出陣を申し合わせる。
11月:関東管領上杉家臣、長尾景人が下野足利荘支配のため、勧農城に入る。(「戦争と日本史10」)
11/28:十市氏の仲介で筒井氏と小泉、越智氏の和睦が進められる。
12月:管領畠山政長、合戦に備えて京中の酒屋、土倉から役銭を取り立てる。
12/6:成身院光宣が奈良に戻る。興福寺の尋尊、和睦締結に喜悦する。
12/25:畠山義就、吉野を出陣する。
12/27:山名宗全の支援を得た畠山義就が兵を率いて上洛する。義就勢が千本地蔵堂に布陣したのに対し、畠山政長は屋形の四方に矢倉を上げ、赤松政則、六角政高らが援兵を差し向けて立て籠もる。また、政長の被官人が物取り放火に及び、土倉だけでなく等持寺をも類焼させる。








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